#75 逃避癖
ここに住み始めてから大体二年半ぐらいだろうか。食卓がまともな料理で埋まるなんて、初めてかもしれん。コンビニ弁当とかお惣菜、ピザぐらいしか並ばないことで有名な食卓が、結婚記念日の実家並に豪華な食事で彩られてる。
「まさか風夏さんがここまで料理上手だとは」
もはや錬金術じゃん。あの食材から、なんでここまで色んな物作れるんだ? 俺は鍋にする以外の処理方法を思いつかなかったぞ。
「前にも作ってあげたじゃん」
「前って、ああ……」
風夏さんの蹴りで吐いた事件、アパレル嘔吐事件の時のことだな。あの時は本当に死ぬかと思ったけど、今にして思えば良い思い出だ。服屋さんには悪いが。
「あの時はうどんとか、おかゆでしたから」
「弁当も作ってあげたじゃん」
「それはそうですけど、あの時よりはるかに豪華じゃないですか」
あの時は俺の胃が死んでたから、卵焼きとか春雨サラダぐらいしか食べられなかったんだよな。そういやあの弁当で坂本にマウント取ったよな、懐かしい。
ちなみに坂本はまだご存命だ。食堂のメンヘラお姉さんに幽閉されてる説があったけど、残念ながらシャバにいる。例の件で煽りメッセージ送ってきたし。いや、座敷牢からメッセージ送ってきた可能性もあるけどさ。
「もっと褒めろし。たとえば……『良いお嫁さんになるよ』とか」
言おうかと迷ってたけど、そんなこと飛鳥さんの前で言えるわけがない。絶対ふてくされて、面倒なことになるもん。
「性別による役割の分担を助長してるとか言われても嫌ですし……」
厄介なフェミニストのせいにしておこう。ちょうど我々もSNSで時の人になってるから、ネットを言い訳にしても許されるだろう。我ながら暴論だけど。
「んなことアタシが言うわけないじゃん。料理上手を褒めるのと、料理は女性がすべきだってのは別の話だし」
なんだろう。当たり前のことを言ってるにすぎないんだけど、凄く大人に見える。そうだよな、これが普通なんだよな。曲解して騒ぐアイツらがおかしいんだよな。
俺が思うに、可愛いって言葉がセクハラになったのはアイツらのせいだ。自分が言われることのない誉め言葉だから、その言葉自体をタブーにして……。
「んー、美味いけどビールのツマミとしちゃ薄味かなぁ?」
なんやコイツ。野菜の一つも切ってないくせに、一丁前に姑気取りかいな。
「しょーがないじゃん。この家、まともな調味料ねえし」
耳が痛い。大激痛だ。
「醤油ねえのに、刺身醬油あるの腹立つわ」
「飛鳥さんがよく刺身を買ってくるんで……」
値引きシール張ってない刺身をポンポン買ってくるのを見せつけられる度に、経済力の差を見せつけられて辛い。やっぱ成金はちげぇなあ、ホント。
「みりんとか料理酒ねえのに、日本酒とかビールは常備してるし」
商店街の人ら、色々押し付けてきたわりには調味料くれなかったんだよな。いや、俺が要求するのも厚かましい話なんだけどさ。
っていうか、むしろ何で味付けしたの?
「料理なんて塩コショウがありゃ、なんとかなるだろ? 文句言うな」
飛鳥さんは豪胆というか、横柄だなぁ。作ってもらってる側が『文句言うな』ってお前、よく言えたな。俺が同じことを言ったらビンタ飛んでくるだろ。
「魚はオリーブオイルで強引に味付けしようとしたんだけど、オリーブオイルすらなくて驚いたわ」
そりゃ、醤油とかみりん置いてない家だもん。サラダ油があるだけで奇跡だよ。
「しょうがないからバターと塩コショウで味付けしといたよ。どーせ飛鳥さんバカ舌だから、ビールあればなんでもいいっしょ?」
あっ、むしろバターはあったんだ。自分の家の冷蔵庫を把握してないのもどうかと思うけど、料理しないヤツなんてそんなもんだよ。
「ははっ、違いねえや」
バカにされたというのも、気にも留めずビールをガブ飲みする。バカなのは舌だけじゃなかったらしい。
「鶏肉は美羽でも呼んで処理しなよ。アイツ、ジョギングとか筋トレしてるから、鶏肉食べるっしょ」
今回鶏肉を使ってないと思ったら、そういうことね。バカっぽい見た目と喋り方だけど、この人普通に賢いんだよな。いや、勉強とかはできなさそうだけど、視野が広いというか、落ち着いているっていうか。
「焼き鳥にしてくれよ。ビールと言えば焼き鳥だろ?」
どこまで横柄なんだ、この人。
おそらくだけど、飛鳥さんは自分と同じ考え方を相手に求めすぎてるんじゃないかな。飛鳥さん自身が自然と友達に尽くすタイプだから、人が人に尽くすのは当たり前という思考なのでは? なんて考えてみたり。
「一本も串ねえのに、よく言えるね」
「唐揚げでもいいぞ?」
飛鳥さん、今のは遠回しに拒否されたんだよ? おそらくだけど、作ってもらっといて偉そうにリクエストするなという意味だぞ?
何が『唐揚げでもいいぞ』だよ。料理初心者の俺でも、揚げ物が面倒なことぐらいわかるわ。
「唐揚げぐらい作れないとママになれないよ? アタシだったら、いい年こいて唐揚げさえ作れない娘なんて嫁入りさせられねえし」
やめてあげて! 年齢の話はやめてあげて!
「はっはっはっ、行き遅れもここまでくると、ご自由にお取りくださいって感じで嫁入りさせるもんさ」
反応に困る自虐ネタはやめてくれ。きっと、そんな親はどこにもいないから。人はそこまで性善説を信じられねえから。娘はいくつになっても大事だから。だからそんな悲しいことを言わないでくれ。
「考え方の問題だっての。フツーは料理できないなりに、なんか手伝おうとするよ」
今日はヤケに耳が痛い日だなぁ。胃も痛いぞ? 同時キルやめてください。
悪かったってばよ、本当に。人に料理押し付けといて、二人で格ゲーしてて悪かったってばよ。
「手伝ってほしいならそう言ってくれよー。邪魔にならないようにって、私達なりに配慮したんだぞー?」
飛鳥さんはもう少し大人になったほうがいいと思う。社会人経験が少ないってのはわかるけど、それを言ったら俺と風夏さんはほぼゼロだぞ?
「だから考え方の問題だって。実家に帰るの嫌がってたけど、それってアレコレ言われるのが嫌なんでしょ? 言われるだけの理由が飛鳥さんにもあんだよ」
ぐうの音も出ない正論でビールがまずい。ツマミじゃなんとかできないぐらいまずい。やらかしたなぁ、手伝う意思を見せればよかったよ。
「……タバコ吸ってくるわ」
正論に耐えられなくなったのか、タバコを手に離席する。
そういやキャンプの時も逃げ去ってたな。この人そういうところあんだよな。妙に子供っぽいというか。
風夏さんは何か言いたげだが、黙って飛鳥さんを見送る。おそらくこれまでの経験則から、これ以上何か言うと喧嘩になると理解しているのだろう。
「本当は頼りがいのある良い人なんだけどなぁ」
風夏さんの切実な呟きに、俺は何も返せなかった。
どうしよう、飛鳥さんの実家に行っても上手く行かない気がしてきたぞ。やっぱり俺なんかじゃ、飛鳥さんを支えることはできないんじゃないだろうか。
いや、飛鳥さんに限らず、俺が幸せにできる女性なんてこの世には……。
ああ、ビールがまずい。気まずさが逆ツマミになってるよ。
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