#76 退去勧告
「アタシって料理の天才かもぉ……。ノーベル料理賞三連覇間違いなしだわぁ」
おそらくそんな賞はないし、連覇って概念も多分存在しない。
アカン、ビールで完全にぐでんぐでんになっとる。
「もう、なんで酔い潰れてるんですか」
こりゃあ、お泊り確定だろうなぁ。まさかタクシー呼ぶわけにもいかないだろうし。まあ、飛鳥さんならタクシー代ぐらい出してくれそうだけど。
「らってぇ……。飛鳥さんと喧嘩しちゃったしぃ」
「喧嘩って、そんな大げさな」
確かに逃げて行ったきり戻ってこないけど、あの人だって大人なんだからわかってくれるよ。っていうか風夏さんに非はないし。
「アタシにだけは、あーだこーだ言われたくなかったと思うのよ」
「貴女にだけは……って言いますと?」
他の人はよくて、風夏さんがダメってどういうことだ? この人らの間に差なんかなくない?
「ほら、アタシってさぁ、身長高いし、美人だし、巨乳だし……」
は? なんか急にマウント取ってきたんだけど? 男の俺相手にそんなこと言っても、優越感なんか得られないぞ?
「アタシは恵まれてっから、自分に自信が持てるけどぉ……」
ああ、なるほどね。なんとなく言いたいことがわかったよ。
確かに俺もイケメンから『モテたいなら自分を磨けよ。堂々としろよ。女に絡んでいけよ』とか言われたら、その場で刃傷沙汰になるわ。肋骨の隙間を狙ってドスで一突きするわ。
「でもさ、でもさ、でもさぁ! アタシだって努力したんだよぉ! こういう服着るの恥ずかしいんだからなぁ!」
服の胸元部分をクイクイ引っ張りながら、魂の叫びをあげる。見えかねないからやめてほしい。いや、やめてほしくはないんだけど。
「好き勝手食べてるように見えるかもしれんけどさぁ! 深夜のラーメンとか我慢してんだぞぉ! アタシだって深夜にコンビニスイーツをバカ食いしたいよ!」
……気楽に見えて苦労してんだな、この人も。そりゃそうだよな、だって元は地味目の女性だもん。無理してギャルやってんだもん。
自分を変えるための努力なんてしたことない俺には、かける言葉が見つからん。ありのままの自分でいればいいなんて、口が裂けても言えんよ。
「アタシからすれば飛鳥さんのほうが羨ましいよ。着飾らなくても振り向いてくれる男がいるんだからさぁ」
そんな男が……。あ、俺のことか。
「いや、えっと、俺は風夏さんのことも、その、別にギャルじゃなくても……」
急に飛び火してきたから上手い言葉が見つからない。どこまでダメなんだよ、俺という男は。
「飛鳥さんばっかり特別扱いしてるくせに、何言ってんだよ。このこの」
「うぐっ」
「リアクション大げさすぎっしょ。マジでウケる」
ウケないよ。机越しに股をグリグリするのやめてください。軽くやってるつもりだろうけど、結構痛いんだからな。
でも正直興奮した。男って本当に愚かだよな。金払ってでも、もう一回やってほしいと思ってる自分に嫌悪感が……。
「大体飛鳥さんは、地毛が茶髪ってのが羨ましいわ。アタシなんか、ダンチョーの思いで金髪にしたってのに」
別にいいじゃん、黒髪でも。ギャルだからって金髪にする必要なんかないって。
とか間違っても言えんよな。大事な髪に手を加えてまで変わろうとしたわけだし、俺が軽々に口を挟むわけにはいかんよ。
「キャラづくりでお母さんのことをママ呼びし始めたけど、ぶりっこ扱いされて距離置かれるしさぁ」
……無理矢理でも水を飲ませてあげたほうがいいかな? このままだと、知られたくないことを洗いざらい話しちまうぞ。
「アンタとのファーストコンタクトとか、思い出すたびに死にたくなんだよ」
「えっと、なんのことです?」
何かあったか? 良い思いをした記憶が強すぎて、あんまり会話内容とか覚えてないんだけど。
「何が『奴隷になってほしいのよ』よ。ああ! はずっ!」
そういやそんなこと言われたな。別にそんな恥ずかしいセリフだとは思わんけど。
「痛い痛い痛い! ドヤ顔であんなアホなこと言ったの、マジはずい!」
さっきから言うべきかどうか悩んでるんだけど、その……。
「うるせぇぞ!」
そう、それ。
お隣さんが壁ドンと共に発したその言葉。俺の気持ちを代弁してくれてありがとう。そしてごめんなさい。明日菓子折りを持って謝罪に参ります。
「びびったぁ……」
「あんまり大声で〝痛い〟って叫ばないでくださいよ。未智さんのせいでDV彼氏疑惑立ってるんですから」
「ごめんごめん、酔い覚めたからもうダイジョーブ」
頼むよ、本当に。未だに『出ていけDVクソ畜生ハゲ畜生』みたいな張り紙されてるんだからさ。畜生って二回も書く必要ないじゃん。なんで畜生でハゲをサンドしてるんだよ。
「ただいま……」
あっ、飛鳥さんが帰ってきた。いや、遅くね? 三十分ぐらい経ってると思うんだけど、何本吸ったんだよ。
「どしたん? 長かったっていうか、元気ねーけど」
溜まっていたものを全て吐き出したのか、壁ドンで吹っ切れたのか、いつも通り飛鳥さんと接する風夏さん。この人も大概サッパリしてるなぁ。
「大家さんに会ってな……」
「タバコを注意されたんですか?」
「いや、キミとの関係とか、いつからいるのかとか……っていうか規約違反だから早く出ていけって……ああ、ちなみにタバコも注意された」
な、なんだと……? いや、当たり前と言えば当たり前の話なんだけど、ついにこの時が来てしまったか。
未智さんの件と、先日の件がなければ見逃してもらえたかもしれんけど、こうなってしまった以上は退去か?
飛鳥さんだけ出ていくならまだしも、最悪の場合俺ごと? いやいやいや、それはマジで困る。引っ越しもタダじゃないし、新居に移るなら敷金礼金が発生する。親にぶっ殺されるって。ただでさえ時の人になってんのに。
「元々キミに対する苦情とかも出てるし、もしかしたらキミもろとも……」
アルコール全部ぶっとんだよ。本当に困るんだけど。
大学の近くで安い物件ってここぐらいなんだよなぁ。他にもあるっちゃあるけど、エアコン無しとか、トイレ共同とかだぜ? いや、トイレ共同ってお前、令和だぞ?
「飛鳥さん、俺もタバコ貰っていいですか?」
飲もう……飲んで全部忘れよう……。酒とタバコで全部忘れよう……。俺も逃避しよう……。
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