#71 記憶喪失再び

 何故俺は定食屋のテーブル席で茜さんの一家と酒を酌み交わしているのだろう。そして、このアラサーはいつになったら目を覚ますのだろうか。


「飛鳥ちゃんは相変わらずやねぇ」


 茜ママが、机に突っ伏している飛鳥さんにブランケットをかぶせる。夏場とはいえど、冷房のかかった店内で寝ると風邪をひく恐れがあるからだろう。俺的には起こすのが正解だと思うんだけど。


「ええっと、相変わらずとは?」

「んー? この子ねぇ、感情が昂るとお酒とか、おタバコに頼っちゃうのよ」


 確かに言われてみればその傾向があるかもしれない。普段はそこまでタバコ吸わないけど、機嫌悪い時は凄いペースで吸うもんな。この辺じゃ顔を知られてるからいいけど、よそでタバコ吸ってたら通報されんかね?


「まっ、飛鳥ちゃんのことはおいといて」


 何かを横に投げ捨てるジェスチャーをしながら、話を切り替える。こういうふとした仕草が、茜さんの血縁者だということを実感させてくれるな。


「進ちゃんと茜ちゃんは、どうやって知り合ったのかな?」


 向こうからすれば何気ない質問なのだろうが、ドクンと心臓が跳ね上がった。

 俺と皆の出会いって、聞かれたくないことランキング上位だろ。茜さん、空気を読んで誤魔化してくれよ?


「ちょーっとお仕置きしようとしたら、お友達になっちゃったんよ」


 あっ、誤魔化す気ゼロだ。ちょっと、いや、めちゃくちゃ待ってくれよ。確かにアンタら五人は、この話を知られたところで痛くもかゆくもないだろう。だが俺はどうよ? ネカマやってたことなんて知られたくないっていうか、そもそも、我々の親世代の人に通じるのか? いや、通じないほうがいいんだけどさ。


「待ちなさい、どういうことだい? まさかキミ、ウチの子に何か……」

「お父さんは黙っててくださいな」

「はい……」


 俺と茜さんの出会いより、この夫婦の馴れ初めのほうが断然気になるぞ。力関係が明らかにおかしいぞ。平民同士の結婚でここまでパワーバランス偏る?

 まあ、あらぬ誤解を避けられたから、こっちとしてはありがたい話なんだが。


「進ちゃんね、人を騙して遊んでたんよ」


 何一つ間違ってないんだけど、もう少しこう……あるじゃん? 話の組み立て方っていうかさ。


「なんだって? まさかウチの娘をたぶらかしてたのかい? 確かに随分と女慣れしているようだが……」

「お父さん? 冗談でも進ちゃんを悪く言わんでもらえる?」

「……すまない、続けてくれ」


 奥さんにも娘にも弱いんだな。ちゃんと仕事してるんだし、家族に対して、もっと強く出てもいい気がするんだけど。


「騙してたと言っても、ゲームの話よぉ」


 そうだよ、そこ重要なんだよ。ゲームで知り合ったっていうのを先に言わないと。まあ、この世代の人ってそういう知り合い方に否定的だろうけど、詐欺がきっかけで知り合うよりは理解しやすいだろう。


「まぁ、お金に関わることだから、許されへんことやけどねぇ」


 そこも重要だけど……ご両親の前で言わなくてよくない? 本気で反省してるし、なんらかの形で償わなきゃいけないとは思ってるんだけど、第三者に話す必要なくない? ……いや、俺がそれを望むこと自体間違ってるのかもな。周りに過去の罪を隠して生きたいと願っている時点で、加害者意識が足りてないのかもしれん。

 その昔、でたらめな研究をでっち上げて世間を騒がせておいて、被害者ヅラで出版した挙句にグラビアアイドルになって金を稼いだというトンデモない人間がいるそうだが、それと同レベルではないか?


「お金……」


 何か思うところがあるらしいけど、娘と奥さんからの攻撃を恐れているのか、セリフが続かない。俺も結婚したら、こんなふうに肩身が狭くなるのだろうか。


「あらあら、よくわからないけど……酷いことをしてたのねぇ」


 ……ネカマで男を釣るってのは昔からあるし、どっちもどっちだろう。だけど、課金アイテムを貢がせた時点で立派な詐欺だよな。向こうの意思で貢いだわけだし、訴えられても負けはしないと思うが、そういう問題じゃないよな。っていうか、負けないってのも、俺に都合の良い考え方っていうか……。


「ちょっと詳しく聞かせてもらえるかな? 茜、そんな顔をしないでくれ。別にキミ達の仲を引き裂こうなんて思っていない」


 お父さんなりにきな臭い空気を感じたのか、娘と妻に咎められる覚悟でこの件を深掘りしにきた。親心なんて知る由もないけど、父親としては当然の行動だろう。きっと俺も同じことをする。


「そうやねぇ、なんて言えばいいんでしょう」


 茜さん、頼むぞ? 俺が悪事を働いたのは事実だから、そこを隠す必要はないんだけど、伝え方って重要だぞ? 別に印象操作をしろとまでは言わないし、そもそも言う権利がないと思うけど、あえて人聞きが悪い言い方をする必要は……。


「なんだったかねぇ、この前テレビで聞いた言葉で、しっくりくるのがあったんよ。そうそう、色恋営業やったかねぇ」


 茜さーん!? それは考えうる限り最悪の表現なんですけど! 絶対アレだろ、ホストに貢いだ女達が被害者ヅラでわめいてるのを取り上げた番組だろ。そんな単語を聞かされた世の中の父親は……。


「中岡君、二度と娘に近寄らないでもらえるだろうか?」


 こうなるんだよ。仲を引き裂きに来るんだよ。拳が飛んでこないだけ有情だよ。


「お父さん? 仲を引き裂くつもりはないって言わはったよね? 今の言葉を取り消してくれないと、お父さんを引き裂くことになるんよ」


 茜さん? なんで真っ向から応戦すんの? やめて! 俺のために争わないで!


「茜、私はお前の幸せを願って……」

「アナタ?」


 たった今確信したよ。この人、千パーセント茜さんと血が繋がってるわ。

 声のトーンと笑顔だけで、一瞬にして場の空気を掌握したもん。これは京家の女性しか出せないオーラだよ。


「お話は最後まで聞かないとダメでしょう?」

「うっ……」

「返事は?」

「はい……」


 すげぇ、俺に向けられた威圧感じゃないのに、俺まで滝のような汗をかいてきた。

 お父さんに至っては、バケツで頭から水をぶっかけられたのかってぐらい汗をかいてるよ。一人だけ雨の日になってるよ。


「さぁ、進ちゃん。お酒飲んで洗いざらいお話しましょうねぇ」

「……恐縮です」


 俺は生きて帰ることができるのだろうか。生命保険に加入していないことを心の底から悔いているよ。




 あれから数時間経ったようだが、あまり覚えていない。定期的に襲い掛かってくる頭痛が、記憶喪失の理由を物語っている。ガブ飲みしていいようなお酒じゃないと思うんだけど、これ少しぐらいお金払ったほうがいいのかな?

 三日ほど寝込みたいぐらいしんどいけど、幸いにも茜さんのご両親の好感度を稼ぐことができた。

 一体何があったのか。俺は何をしたのか。茜さんに聞いても、モジモジするだけで何もわからない。まいったな、情報源が完全に断たれちまったよ。俺の背中で爆睡してるアラサーに聞いたところで、きっと何もわからないだろうし。

 ……明日は大学休むか。っていうか家まで帰れるかな? よほど深酒したのか、まだ頭がボーっとすんだけど。

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