#60 正妻気取りの余裕

「随分減ってるじゃないか」

「すんません……」


 飛鳥さんが、タバコの箱を振りながらジト目を向けてくる。

 飛鳥さんが就寝する前は、ほとんどギチギチに詰まっていたはずのタバコも、今は振ればいい音がする。うん、吸いすぎた。

 とはいえ、そこまで怒ってはいないようだ。タバコに関しては。


「喫煙者が増えること自体は嬉しいさ、吸わない子ばっかだと、肩身狭いからさ」

「あー……やっぱりそうなんですね」


 確かに、喫煙者ってアレよね。犯罪者みたいな扱い受けてるよね。

 この辺は田舎だからマシだけど、街のほうに行ったら、どこ見ても禁煙の看板あるイメージだわ。

 喫煙所自体も昔よりは減っただろうし。

 アレだろ? 昔は会社の事務所とか、電車の中でもバカバカ吸ってたんだろ?

 事務所はまだしも、電車の中とか絶対嘘だろ。話を盛ってるに違いない。


「たっかいタバコ税納めてるのになぁ。酷い話だよなぁ?」

「え、ええ」


 凄く怖い。

 ただ肩に腕を回されてるだけなのに、滅茶苦茶怖い。

 他愛のないタバコトークを繰り広げてるのも怖い。

 俺はてっきり『オオカミ男は銀に弱いんだったよなぁ!?』とか言いながら、フォークでぶっ刺してくるものかとばかり。


「ま、気にせず吸ってくれよ。まだ未開封のヤツが何箱かあったはずだから」

「あ、ありがとうございます」


 結構なペースで吸ったので、もうしばらくはいいのだが、流れ的にもう一本火を点ける。うん、ヤニクラ? 的な現象が起きてる気がする。


「でも、インポタバコだからほどほどにな」

「え? なんですって?」


 何タバコって言った?

 なんか下ネタが聞こえた気がするけど、聞き間違いというか、なんらかの専門用語だよな? もしくはインポスターをインポって呼ぶ的なノリとか。


「メンソールタバコはチンチンが勃たなくなると言われてる」


 聞き間違いでもなんでもなかったわ。俺の耳は正常だったわ。

 さすが未智さんは博識だなぁ。でもあんまり女の子がそういう単語を……今更か。


「科学的な根拠は多分ないし、そもそもタバコ自体がEDの原因になる」

「ほぇぇ」


 知りたくなかったよ。エビの尻尾とゴキブリの成分がうんたらかんたらの話並みに知りたくなかったよ。

 まっ、喫煙者が多かった時代に少子化問題はなかったはずだし、そこまで気にすることないか。

 ……人って自分にとって都合が良い方向に対しては、素直だよね。


「キミがインポになっても愛してやるよ」


 カッコいい……のかな? わからんけど、愛は伝わってくる。


「そう、たとえ玉無しになってもな」


 愛が伝わってくる。愛情センサーぶっこわれてるヤツでも感知できるぐらい、大きくて重たい愛が。


「片金のほうが性欲強くなるって噂だぜ?」

「あの、ホント勘弁してください。誤解なんです」


 キスは事実だけど、無理やりしたわけじゃないんです。無理やりされたんです。

 未智さん赤面してたし、犯される覚悟が決まったって顔してたけど、アレはただの自爆なんです。午前の件はおいといて、先ほどの件に関しては無実なんです。ひっかき傷が目立たないぐらい真っ白なんです。車のカラーとしては最高の白なんです。


「男がビクビクすんな」


 近所迷惑にならない程度の笑いと共に、背中を叩く。いつもの姉御ムーブだが、まだ安心はできない。

 一言も言ってないんだから。『許す』なんて。


「もう一度確認するけど、嫌がってるのに無理やりってわけじゃないんだろ?」

「もちろんです。むしろ、急にキスされた感じで」

「まっ、いいんじゃねえの?」


 飛鳥さん? お許しいただけるので?

 経緯はどうであれ、見てないところでキスしたってのに、許してくれんの?


「私ばっかりキミを独占してるからな。ちょっとぐらいは我慢するさ」

「飛鳥さん。いいの? 私と進次郎君がくっついても」

「未智も大事な仲間だからな。チャンスがあってもいい」


 俺の意思を考慮してくれてない点についてはこの際スルーするとして、良い仲間だなぁ。俺なんかがこの輪に入ってもいいんだろうか。

 でも、チャンスって言い回しは少し気になったな。

 なんていうか、自分の勝ちは揺るがないけど、わずかな希望ぐらいはもたらしてあげるって感じのニュアンスに……。


「どんな結果になっても友達でいてね?」


 ヤバい、なんか知らんけど感動した。

 未智さんの口からこんな言葉が聞けるなんて。

 出会って一ヶ月かそこらで親心抱くのも厚かましいかもしれんけど、第一印象的にこういうこと絶対に言わないと思ってたっていうか。


「どんなに曲がりくねった道を歩もうとも、最終的には私の横にいてくれるさ。なあ? 進次郎君」


 やっぱり勝ちを確信してるのか。

 肩を組んで同意を求めてきたところ悪いが……。


「いや、約束はできないです」


 できない約束はしない。できるとしても、不用意に言質は取らせない。

 それが俺の処世術よ。警察と癒着するより、よっぽどまともな処世術だろ?


「ははは、言うようになったな。ますます気に入ったぞ」

「光栄です」


 ジョークとかじゃなくて、本心だったんだけどなぁ。

 そりゃまあ、絶対に結婚しなきゃいけないルールなら、この五人の中から選ぶし、飛鳥さんを選ぶ確率はかなり高い。

 でも結婚しないっていう選択肢もアリなわけで……むしろ全員と仲良くするなら、それが最良な気もする。恨みっこなしって言っても、多少の禍根は絶対に残る。

 皆で過ごす時間に比例して、禍根も大きくなるだろう。それが怖くてたまらない。

 そうだよ。五人同時に出会わなんだら、誰か一人と出会ってたら……。


「言っとくけど、嫉妬はしてるからな? 我慢はするけど、私より先にキスをすませたことに関してはバチグソに嫉妬してっからな?」


 でしょうよ。

 俺も飛鳥さんが他の男とキスしたら、コツコツと貯金を始めるよ。殺し屋を雇うための貯金を。


「じゃあ飛鳥さんもする?」


 未智さん? 俺の唇の所有権は、俺のもとにあるんですよ?


「死ぬほどしたいけど、今夜は我慢する。せーぜー、イチャイチャしな」


 タバコの火を念入りに消し、そのままサンシェードに戻っていく。

 お墨付きっていうか、公認、いや、容認? とにかく、今夜は未智さんと添い寝してもお咎めなしってことだよな?


「えっと? そろそろ寝ます?」


 まだ眠気は来てないし、頭も少しばかり混乱してる。どれぐらいっていうと、熟睡できない程度には混乱してるよ。

 本格的にギャルゲー主人公のような境遇になった気がする。母親ぐらいしか女性の連絡先を知らなかった俺が、結婚を視野にいれた交際を迫られるなんて。

 それも、異なるタイプの美人五人。

 街中で五人組の女性とすれ違う確率が、どれほどのものかはしらない。適当でいいから答えてみろって言われても、見当がつかなすぎて数字が出てこない。

 でも、そんな俺が確率を割り出せる事象がある。それは、この五人と同等以上の美女グループとすれ違う確率。

 断言できます。ゼロです。さすがに命は賭けないけど、自信はある。

 そりゃまあ、百人グループの中から五人選べば、上位互換のグループも作れるかもしれんよ? いや、それでも厳しいだろうけどね?

 とにかく奇跡。面倒な性格といえば面倒な性格だけど、良いか悪いかで言えば間違いなく良い性格だ。ここまで悪意を持ってない成人、中々おらんて。


「未智さん?」


 無駄に長いモノローグを終えてなお、未智さんから返事がこない。

 電池切れたんかな? アンドロイド感あるとは思ってたけど、まさか本当に……。


「時間」

「え?」


 時間がなんだって?

 スマホで確認してみたところ、一時過ぎのようだ。で?


「覚悟の時間ちょうだい」


 ああ、現在時刻の話じゃないのね。

 別にまだ眠くないから、いくらでも待つけど……。


「なんの覚悟です?」

「添い寝の覚悟に決まってる。意地悪しないで」


 意地悪って……何その可愛い表現。

 その初心な表情や仕草、赤面してる様子もたまらない。

 仕掛けた側が覚悟の時間を要求する意味もわからんが、待てと言われりゃ待つよ。

 ただ、急にハシゴ外されたら、さすがに緊張するよ。流れでそのままベッドインしたかった。正確にはハンモックインかな?

 密着経験があるものの、添い寝ってやっぱりハードル高いっていうかさ。添い寝以上のことをしたから、添い寝は余裕……なんて単純なものじゃないっていうか。

 そもそもハンモックだぞ? 普通のベッドよりハードル高いわ。

 ましてやギリギリ二人用のハンモック。未智さんが小柄とはいえ、普通の同衾より恥ずかしい。さらに言えば屋外よ? 他の利用者からは見えないだろうけど、それでもねぇ? あと、サンシェードが近い。皆が寝てる近くって、ハードル高いぞ?


「提案。いい?」

「どうぞ?」

「今夜はもう、えっちなことやめよ?」


 別にするつもりないんだが? ハナからないんだが?

 俺から未智さんに仕掛けたことあったか? いつだって受け身だぞ。


「キスは封印。変なところも触っちゃダメ」


 言われんでも触らんて。チキン野郎だもの。

 むしろ俺のセリフだよ。この人平気で股間触ってくるじゃん。


「わざわざ触るの禁止するぐらいなら、背中合わせで寝ま……」

「それはダメ」


 えー……。


「私が眠りにつくまで、優しく頭を撫でて」


 あの、俺、運転手……。


「ダメ? 生意気だからダメ? お子様体型だからダメ?」

「ダメってわけじゃ……」

「飛鳥さんの頼みなら、二つ返事で答えるはず」


 そりゃ飛鳥さんは特別だし……。

 特別……?

 自分で言っておいて何かひっかかるものがあるな。そりゃ過ごした時間は断トツで長いし、俺に対する好感度も一番高い。でも特別扱いは違うんじゃないか?

 違うことはないかもしれんけど……なんていうか……。

 だいぶ傾いてないか? 飛鳥さんに。


「進次郎君? どうしたの?」

「いえ、えっと、わかりました。そろそろ寝ましょうか」


 誤魔化すように、未智さんの隣に寝転がった。

 やっぱり緊張するな。何度も密着してるはずなのに。


「ひと……一つ言っておく」


 珍しいな、未智さんがドモるなんて。相当緊張しているんだな。

 急に早口になったり、テンパって扉にぶつかったり、泣きわめいたりするし、この人って感情が希薄というより、感情表現が下手なだけ?

 カッコ良くいえばポーカーフェイス?


「いくつでもどうぞ」

「お風呂入れてないから……その……」

「え? ああ、キャンプですもんね」


 やっぱり女の子なんだよな、この人も。

 人の目なんて気にしないってツラしてるけど、実際そんなわけないんだよ。

 早い話、今日の未智さんオシャレしてるじゃん。


「もし〝臭い〟とか言ったら……サイアクな目に遭わせる」

「言いませんって。むしろ自分の体臭が気になりますよ」


 さすがに加齢臭はしないだろうけど、汗臭くないかな?

 女性って鼻利きそうだもんな。

 特に未智さんって、俺の家でよく鼻ヒクヒクさせてるじゃん?


「いいから早く寝よ? もう喋るの禁止。黙って撫で続けて」

「わかりました……」


 明るくなるのって何時ぐらいだろ。夏だから五時ぐらい?

 大丈夫かなぁ。他の利用者達から離れてるとはいえ、絶対に見えないって距離でもないぞ? ハタから見ればバカップルだぞ? 足が飛び出てるサンシェード二つとハンモックで抱き合って寝てるバカップルだぞ?

 こんなんSNSにあげられたら、生きていけないぞ。

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