#53 喧嘩の連鎖
本日の予約客が全員到着したので、お姉さんと受付を交代することになった。
二十二時まではトイレを使わせてくれるらしいが、それ以降はどうすればいいのだろうか。殺虫剤を禁止されてしまったんだが。
とりあえず考えるのは後にしよう。空腹が限界まできている。
バーベキューは夜に決まったので、昼は茜さんが持ってきたお弁当だ。
ぶっちゃけバーベキューよりも、よっぽど楽しみだ。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
昼食時の話題は当然、先ほどの件についてだ。
現場に居合わせなかった未智さんは、この件に興味津々らしい。
作家魂なのか、それとも野次馬根性なのか。
「エンドレス石積みなんてやらずに、そっちに行けばよかった」
喧嘩の現場を見逃したのがよほど悔しいのか、それともおにぎりの梅干しがすっぱいのか、渋い顔をする未智さん。
いや、待て、喧嘩よりもエンドレスなんとかのほうが気になるんだけど。
あっ、アレか。なんか積みあがってるんだけど。謎のオブジェができてるんだが、一人で積み上げてたのか?
「進次郎君、さっきは私達を庇おうとしてくれただろ? カッコ良かったぞ」
飛鳥さんが食べる手を止め、賞賛の言葉を送ってくれた。
…………。
「進次郎君?」
カッコ良かったねぇ……。
実際に戦ったお姉さんと飛鳥さんのほうが、よっぽどカッコ良いけど……でもさ。
違うじゃん? 現実なんだぞ? 漫画やアニメの世界じゃないんだぞ?
「飛鳥さん、もうこれっきりにしてくださいよ」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、まさにこんな顔だろう。
俺の発言の意図が汲み取れなかったらしく、困惑している。
……あんまりうるさく言いたくないけど、言わなきゃダメだよな。
「今回はたまたま上手くいきましたけど、相当危ないことしましたよ、貴女」
「危ない?」
そうだよ、危ないんだよ。
相手は男だぞ? たとえ相手が素人でも、本気で殴られたら死ぬ可能性がある。
死ぬとまではいかなくても、ケガぐらいはしていただろう。
「いくら警察と知り合いだからって無茶しないでくださいよ」
ハッタリだと踏んで、殴りかかってきた可能性もある。
いや、事実だと知ってても殴るヤツは殴るよ。ましてや相手は、キャンプ場にクレームいれるような、頭のおかしいヤツなんだぞ?
「大げさだなぁ。ああいう輩は、先手打たれると日和るんだって」
「どこのデータか知りませんけど、必ずしもそうとは限らないでしょう」
俺から言わせてみりゃ、そんなもん結果論に過ぎない。
相手は五人だぞ? 不意打ちで二人倒したところで三人も残ってる。
普通の喧嘩なら五対三なんて覆しようがないだろうが、こっちは戦える人間がいないんだぞ? お姉さんと飛鳥さんが白星上げられたのは、不意打ちだからこその話であって、普通に戦ったら話にならん。茜さんや風夏さんは当然として、俺も戦力にはならない。
極論、五対一でも負ける。事前に通報してたからよかったものの、全員病院送りにされてた可能性もじゅうぶんにある。そりゃそうだ、仲間二人がいきなり急所攻撃されたんだから、手心なんて加えてくれないだろ。
「何事もなかったんだからいいだろ」
「よくないです。行動を改めていただかないと……」
「あぁ? 守ってやったのに、その言い方は失礼じゃないか?」
俺が食い下がってきたことが不快なのか、それとも言い方が悪かったのか、飛鳥さんが不機嫌になる。
普段ならここで俺が折れるんだけど、ここは譲っちゃいけない。手を出した二人だけならまだしも、茜さんや風夏さんも危なかったわけだし。
「通報済みなら警察が来るのを待てばよかったじゃないですか」
「うるさいなぁ……キミが男のくせに戦わないから私が……」
「戦う場面じゃないでしょう。大体、相手が不良だからって何をしてもいいわけじゃないですよ? 不良だって人権がありますし、痛みだって感じます」
今回は偶然にも当たり所がよかっただけで、場合によっては局部が潰れてた可能性だってある。頭がおかしい不良でも、さすがに可哀想だろ。
俺らの都合だけ考えても、過剰防衛のリスクがある。あれが賢い選択だったとは思えないんだよ。
「なんであいつらを庇うんだ? 私にはキミの考えがわからん」
飛鳥さんが予想している以上に俺が食い下がっているからか、飛鳥さんの様子がおかしい。まるで親に怒られている幼子のような雰囲気が……。
「別に庇ってるわけじゃ……」
「庇ってる! 同じ男として同情してんだろ!」
ついに声を荒げだした。心なしか、涙目に見える。
そろそろ俺も追及をやめるか。これでラストにしよう。
「それもなくはないですが……そういう問題じゃなくて、もうちょっと大人として、最年長としての判断をですね……」
「っ!」
どうやら一手遅かったらしい。いや、一手余分だったという表現のほうが正しいだろうか。
最後に優しく諭したつもりだったのだが、それがトドメとなって、飛鳥さんが箸を投げ捨てて駆け出した。
一瞬しか見えなかったが、間違いなく泣いていた。決して気のせいではない。
普段の俺であれば、黙って見送っていただろう。
落ち着くまで待ったほうがいいかもしれないだの、下手に追いかけると飛鳥さんが転ぶかもしれないだの、余計なことを考えて動けなかったに違いない。
だが、気付いた時には俺も駆け出していた。ビーチサンダルではなく、普通の靴を選ぶ辺り、最低限の冷静さは保っているらしい。
靴下を履かずにスニーカーを履くのは気持ち悪いが、そんなことを考えている余裕などない。
「待ってくださいよ!」
大声を出しながら走れるほどのスペックもないくせに、必死に呼びかける。
その渾身の呼びかけを背に受けて、さらに加速する天邪鬼に、俺もムキになって加速する。影山さんとのジョギングに付き合った経験があるとはいえ、正直しんどい。
「危ないですって! 飛鳥さん!」
何を考えているのだろうか、あのアラサーは。いや、考える余裕なんてないんだろうな。よりにもよって、舗装されてない林に入り込みやがって。
心配させんなって話をしたばっかりなのに、ああもう! サンダルでこんなところ入って! しかも水着だから足丸出しだし!
「し、しつこ……しつこいぞ……」
日ごろの運動不足も顧みずに全力疾走した飛鳥さんは、スタミナ切れを起こしたようで、急に立ち止まった。
両膝に手をついて呼吸を整えていることから、限界一歩手前といったところか。
そういや、ジョギングの時も俺と影山さんの遥か後方で音を上げてたな。
アラサーかつ喫煙者だし、無理もないだろう。常に俺ん家でゴロゴロしてるし。
まあ……俺も限界手前……飛鳥さんが一歩手前なら、俺は二歩手前といったところだろうか。飛鳥さんがスタミナ無くてよかったよ。
「……なんで……追いかけて……きたんだ……」
肩で息をしながら、必死に声を絞り出す。頑なに振り向かないところから、泣いていると判断してもいいだろう。
いや、んなこたぁ、どうでもいい。泣いてようが笑ってようが、どうだっていい。
「そんなことより、ケガしてませんか? 枝とかで足、切ってないですか?」
パッと見た感じ、ケガはしていないようだが……大丈夫だろうか。
それにしても、よくお互いに転ばなかったものだ。本当によかったよ。
「ケガすると思ったなら……なんで追っかけてきたんだ」
「すみません……俺が追っかけたせいで、危険な目に……」
そうだよ、林に入ろうとした時点でペースを落とすべきだった。
俺が追いかければ追いかけるほど、飛鳥さんは無茶するんだから。
くそ……俺はどこまでも考え足らずだ。そもそも俺の言葉選び、話の運び方が悪かったせいで飛鳥さんを怒らせたんだ。自分に腹が立ってくる。
「違う、キミの話だ」
「え?」
俺の話……? それはどういう……。
困惑する俺に対し、息が整ってきた飛鳥さんが話を続ける。
「私を追っかけたせいで、キミがケガをする可能性もあったんだぞ?」
ああ、そういう……。
そりゃ長ズボンでもケガする可能性ぐらいあるけど……。
「俺のことはいいじゃないですか。それより、飛鳥さんはケガしてないんですね?」
「……なんだよ、なんで心配するんだよ。こんなヤツを……」
こんなヤツって……。
何を言ってるんだよ、飛鳥さんは。いつもみたいにドンと構えててくれよ。
「怒ってるんだろ? 最年長のくせに、皆を危険な目に遭わせかけたことを」
「……怒っているというか、心配してるだけですよ」
少々口うるさいことを言ったかもしれないが、別に飛鳥さんが百パーセント悪いなんて思っていない。
最良とは言えないし、できることなら最初で最後にしてほしい。だけど、選択肢の一つであったことも事実だ。
後先を考えていなかったのは褒められたことじゃないけど、皆を守ろうとしたってのはよくわかる。それについては感謝してるし、尊敬もしてる。
結局、俺の言い方が悪かったんだ。どう詫びればいいのか、誰か教えてくれ。
「…………」
返事どころか、振り向きもしない。
泣き顔を見せたくないのか、それとも俺の顔を見たくないのか。
どちらにせよ、俺が悪い。飛鳥さんの気持ちを汲み取れなかったのだから。
なんなら、未だに正解がわかっていない。俺はどう答えるべきだったんだ?
なぜ飛鳥さんは逃げ出した? どういう言葉を望んでいた?
あれから時間が経ち、呼吸も落ち着いた。なのにわからない。
ほぼ同棲していたにもかかわらずだ。我ながら情けない。
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