#52 田舎の処世術

 俺の必死さが伝わったのか、受付のお姉さんは迅速に対応してくれた。

 女子トイレと男子トイレ、共にお姉さんが殺虫剤で虫を全滅させて、俺がホウキとチリトリで処分するという連係プレイ。

 記憶が正しければ、女子トイレに入るのは初めてなんだが、本当に小便器がないんだな。いや、当たり前のことなんだけど、違和感が凄かった。


「全く……虫だって生きてんだよ?」


 くつろいでいたところを呼び出され、悪態をつくお姉さん。

 いや、アンタの怠慢じゃないのか? 無料のキャンプ場ならまだしも、それなりの金を取ってんだから、虫対策ぐらいすべきでは?


「虫よけとか散布しないんですか?」

「限度があるし、金もかかんだよなぁ。ただでさえ採算とれねぇのに」


 言いたいことはわかるけど、悪循環じゃないか?

 虫対策しないと、売り上げが右肩下がりになる一方だと思うんだけど。


「今回だけだかんな? あんまり殺虫剤まきたくねえし」

「……夜とかどうしたらいいですか? 絶対に虫多いですよね?」

「知らんよ、携帯トイレでも買ってきな」


 うわぁ……素っ気ないな、コイツ。

 ……あれ、ひょっとして俺ってクレーマー?


「受付で販売してないんですか? 少しぐらい割高でも売れそうですけど」

「頭いーな、アンタ。こーゆー仕事向いてんじゃね?」


 不名誉極まりないな。

 釣りの餌が高かったから思いついたんだが? アンタのぼったくりから着想を得たんだが?

 ん、待てよ?


「お姉さんは、トイレどうしてるんですか?」

「あ? 専用のがあるけど?」


 ほぉ……?


「それ貸してもらえ……」

「ダメに決まってんだろ」


 言い終える前に却下される。

 そりゃそうだよな、特定の利用者を優遇なんてできんわな。


「一回ぐらいならまだしも、何回使うんだって話だろ? そんな頻繁に来られたら迷惑だっつーの」


 ごもっともすぎる。

 俺は別にいいとしても、五人いるわけだしな。

 一人につき八回来るとしたら、四十回か。それは鬱陶しいな。


「あの子だけでも……」

「しつけぇな、忙しいから帰りな」


 取り付く島もないとはこのことか、完全に迷惑客扱いだ。

 大人しく引くべきだってのはわかってるんだが、あんなことがあった以上はなんとかしないと……。


「雑用でもなんでもしますから、なんとかなりませんか?」


 ダメ元で頼んでみる。これで断られたらさすがに引こう。

 ここの爺ちゃんと飛鳥さんが知り合いらしいし、通報まではされんだろうけど、これ以上食い下がるとトラブルになりかねん。


「……そこのドア開いてるから、入ってきな」

「え? あ、はい」


 まさか、上手くいったのか?

 受付室に招かれたんだが、俺の魂の交渉が成功したのか?


「扇風機の羽根とクーラーのフィルター清掃よろしく」

「あ、はい」


 面倒ではあるが、それぐらいならまあ……。


「床掃除もよろしく。しっかり拭き掃除もしなよ」


 意外と話が通じるんだな、この人。ダメ元だったんだが。

 うわぁ、よく見るとめっちゃ汚いなぁ……。


「それができたら、机とか棚もしっかり拭いといて、んじゃ」

「んじゃ……?」

「クーラーのフィルター掃除すんだから、こんなとこにこもってらんねえっての」


 それはごもっともだ。蒸し焼きになっちまうよ。

 まあ我慢するけどさ、それより……。


「あの、客がきたら……」

「バインダーで名前確認して金を受け取って。後はパンフレット渡せばいいから」


 そういうの俺がやってもいいのか?

 まあ、やれと言われたらやるけど……。


「じゃあひと泳ぎしてくっから」


 下に水着を着ていたらしく、服を脱ぎ捨てるお姉さん。

 正直ドキッとした。脱ぐって動作は、どうしてこうも情欲をかきたてるのか。

 ってか、ハナから泳ぐ気満々だったん? 田舎の自営業、自由すぎん?


「どーてー君には刺激強かったかな?」

「ええ、とても」


 風夏さんのを見慣れてなかったら、即堕ちだったな。さすがに風夏さんのほうがスタイル良いし。


「残念だけど彼氏いっから」

「羨ましい限りですなぁ」

「どーしてもって言うならキープ君にしてあげても……」

「どーしても!」


 とりあえずノってあげた。従業員専用トイレ使わせろなんて、無茶言ってる側だからな、これぐらいのリップサービスは安いもんよ。


「仕事次第で判断してあげるわ。じゃ、しっかりねぇ」

「あっ、俺のことを皆に……」

「言っとく言っとく。フィルター水洗いしてねぇ」


 行っちまったよ……まあ、気楽でいいけど。

 なんで休日のキャンプで、雑用なんかしなきゃいけないんだろ。

 ……影山さんと顔合わせるの気まずいし、ちょうどいいか……。




 フィルター乾かねぇなぁ……扇風機の風に当てるより、干したほうが早いか?

 しっかし、よくもまあここまで汚せるもんだよ。

 気持ち悪くないのか? こんな汚れたエアコンと扇風機を使って。

 扇風機はともかく、エアコンは病気にならん?


「進ちゃん、やっとるかね?」

「おっ、茜さん」

「差し入れのジュース持ってきたんよ」


 そう言って、清掃したばっかりのパイプ椅子に腰かける茜さん。

 うん、喉乾いてたからありがたいんだけどさ……。


「ジュースありがとうございます。それで、あの……その格好……」

「んー? 変かねぇ? やっぱり私は地味な水着を……」


 いや、似合ってないって意味じゃなくてだな……。


「美しいとは思いますけど、他の利用客がいるのにそんな無防備な……」


 さすがに危なくない?

 唯一の男である俺がこんなところにいるわけだし、水着はそろそろ……。


「やあねぇ、私なんかを見るのは進ちゃんだけよぉ」


 謙遜とかじゃなくて、本気なんだよなぁ。

 男なんてアレよ? 多少ブスでも、おっぱい大きければ見るもんだぜ?

 こんな、おっとり美人がビキニでうろうろしたらアカンて。


「男の俺が言ってるんですから、信じてくださいよ。せめてパーカーか何か羽織ってください」


 個人的な趣味だが、パーカーを羽織ったほうがエロい。あくまで個人的な趣味な。

 一般的な性欲猿共は露出優先のはずだ。


「んー……夜冷えると思って、上着は持ってきてるんやけどねぇ」

「じゃあ羽織ってくださいよ。男だけの客とか、結構来てますよ?」

「でも暑いからねぇ……」


 足を組むな、足を。目のやり場に困るから。


「……彼氏でもない俺がこんなこと言うのおかしいですけど、あんまり他の男に見せたくないというか……」

「ヤキモチかぇ?」

「……つまらない男ですみません」


 茜さんの気持ちに気付いた上で、これだもんな……最低だな、俺。

 付き合う気もないくせに、思わせぶりなことばっか言ってさ。


「可愛いねぇ、進ちゃんは」

「茜さんには負けますよ」


 っていうか他の人らは?

 一時間以上経つのに、誰も手伝いに来てくれないんだけど。


「あっ、お客さん来ましたよ」

「あらあら、じゃあお手洗い行ってくるねぇ」


 他の男に見せたくないという意をくんでくれたのか、専用のトイレに引っ込む。

 まあ、元々トイレ目的で来たんだろうけどさ。


「五人で予約してた山田だけど」

「ええと、ああ、はい。ご利用ありがとうございます」


 うわ、ヤンキー系の兄ちゃん達じゃん。

 茜さん、絶対にトイレから出てくんなよ? 絡まれそうだし。


「あのさぁ、このキャンプ場高くね?」

「……えっと」

「川なんて誰のもんでもねーだろ? なんで金取んだよ」


 うわぁ、厄介系のヤンキーじゃん。いや、ヤンキーは皆厄介なんだけどさ。

 知らんよ、川がどこの管轄だとか、経営がどうとか。

 どうする? こういう輩の対処、教えてもらってねぇぞ。


「臨時バイトですので詳しいことは……」

「あぁ?」


 もうやだ、田舎やだ。

 この前の更衣室張りこみおじさんもそうだけど、こういう頭おかしいヤツらは隔離すべきだよ。日本経済に害しか及ぼさねぇよ。


「大体、海パンで接客とか舐めてんのか? キモいもん見せたんだから、ちょっとぐらい料金まけろよ」


 ……俺の独断で追い返していいかな?

 こいつらを通したら、皆が危ない気がするんだけど。


「正規の料金を払っていただけないようでしたら……」

「払わねぇとは言ってねぇだろ」

「一人分にしろよ」

「時間の無駄だからさっさと通せや」


 今って令和だよな? まだこんな輩が存在したのかよ。平成の終わりと共に絶滅すれば良かったのに。

 しょうがねぇ、ここは国家権力をチラつかせるか……。


「あの、これ以上は警察沙汰になり……」

「あ?」

「こんなんじゃマッポは動かねえよ、バーカ」


 いや、マッポって……。十年前でも死語では?


「動くぞ?」

「あ?」


 あ、飛鳥さん?

 騒ぎを聞いて駆けつけてくれたのか? あ、お姉さんと風夏さんも……。

 風夏さんは着替えてるみたいだけど、お姉さん、アナタ……。


「ジロジロ見んなよ、ブサイク」

「んだと?」


 いや、そりゃ見られるよ。

 急にビキニのお姉さんが出てきたら、そりゃ見るって。

 これ、助かったのか? 守るべき対象が増えちまったんじゃないか? いつの間にか茜さんもトイレから出てきてるし。

 正直めちゃくちゃ怖いから一歩も出たくないけど、受付室から出て、飛鳥さん達の前に立った。あ……茜さん、ついてこなくていいから。危ないから部屋にこもっててくれよ。


「アタシ管理人の孫なんだけど、権限でアンタら出禁にするわ」


 そう言いながら、ハエを追い払うような仕草をする。

 すげぇ度胸だな、何をするかわからん輩を相手に。


「安くしろって言ってるだけだろうが」

「一人分でじゅうぶんだろ」


 こいつらもこいつらで、全然引き下がらないな。

 金ないなら、公園で遊んでろよ。自分の家でバーベキューしろよ。


「金の問題じゃねえし。アンタら、他の女性客とかに迷惑かけそーだし、帰ってくんない?」


 現時点で迷惑かけてるもんな。

 でもこんなに挑発して大丈夫か? 人数的には五分五分だけど、戦闘力は比べるまでもないぞ?


「本当に警察呼ぶぞ? 私は、この辺の警察と顔馴染みなんだ」


 飛鳥さんのことだから、ハッタリじゃないんだろうな。

 なんでこんなに顔が広いんだろうか。どういう生き方したら、ここまでコネ作れるんだろう。


「なんだこのガキ? 女みてぇな水着着やがって」

「ガキらしいハッタリだな。あんまりいいカッコすんなよ?」


 あの、その人、女だし、アナタがたよりも年上だと思いますよ。


「私は女だ。二十七だ」


 勘違いには慣れているはずだが、半ギレ気味で前に出る飛鳥さん。

 まあ、キレるわな。っていうか、あんまり刺激しないでくれ。殴られるのは俺だと思うけど、それでも前に出たら危ないって。


「こんなチビが二十七? もうちょい上手い嘘つけよ、坊主」

「ポコチンの毛も生えそろってないガキが何言ってんだ?」


 いや、だから女なんですよ、その人。

 ポコチンないんですよ。


「なぁ、兄ちゃん達。田舎の警察ってのは、多少のことだったら、身内びいきしてくれんだぜ?」

「あ? 何を……おぉん……」


 すげぇ、こっから見てても全然気配を感じなかった。

 気付いたら飛鳥さんの膝蹴りがヤンキーの局部に刺さってた。

 ありゃよっぽどの達人じゃないと避けられんわ。


「兄ちゃん達が手を出したら傷害罪でしょっぴかれるけど、私らが少しやりすぎたところで、無罪放免にしてくれるんだよ」


 そんなアホな。

 警察ぞ? 公務員ぞ?


「悪いけどもうケーサツ呼んでんのよ。普段は女一人で経営してっから、気軽に呼べんのよ。ウチのジーちゃんもケーサツと仲良いし」


 あー、そういうもんなんですね。

 田舎のこういうところ好きだけど嫌いだよ。

 っていうか、いつ呼んだんだろ。


「お前ら、お前ら、客にこんな……がっ……」


 リーダー格がやられた上に警察を呼ばれて当惑している男に、容赦なく蹴りを叩きこむお姉さん。格闘漫画ばりの容赦なさ、体重の乗せ方に見てるこっちが痛くなってきた。


「進次郎君、今のってヤバくね?」


 風夏さんが引き気味に耳打ちしてくる。

 うん、今のはビビるよな。完全に戦意失ってる相手にこれは。


「体浮いてましたもんね」

「これ大丈夫なん? 過剰ボーエイにならん?」


 どうなんだろ。俺的には、なると思うけど。

 うわ……ゲロっていうか、胃液吐いてない? 俺も風夏さんのヤクザキックで吐いたことあるからわかるけど、女性といえど本気の蹴りって侮れんな。


「この兄ちゃん達次第かな。ちゃんと反省するなら、何もなかったっていう処理になるし、反抗したら強姦しようとして返り討ちって処理になるな」


 えっ、こわ……。

 警察と顔馴染みだと、ここまで恩恵受けられるん?

 普通、不良を仕方なく返り討ちにしたら、傷害罪になったりすると思うんだけど。


「あっ、サイレン聞こえね?」

「耳良いですね、風夏さん」


 言われてみれば聞こえる気がする。

 本当に通報済みとは驚いたよ。てっきりハッタリかと。


「ちょ待てよ、お前らが先に手を出してきたのに」

「私のコンプレックスをバカにした兄ちゃんらが悪い」


 どうなんだろ、訴えられたら負ける気がするけど。

 せっかくのキャンプなのに、事情聴取とか嫌なんだけど?

 まぁ、怪我人出なかったからいいか……。

 その後、まあ一分後ぐらいかな。

 やってきた警察と、飛鳥さん達が和気あいあいと喋ってるのを見て、女性の恐ろしさと人間関係の重要さ、公務員への不信感など、価値観が変わったよ。

 二人も悶絶してるのに、事情聴取が一方的だもん。明らかに贔屓してるもん。

 そっか、田舎で生きるには、交友を深めたらいいんだな。たしかに田舎の大物って町を歩くだけで、声をかけられまくるイメージだわ。

 後で知ったことだが、このヤンキー達は去年もこのキャンプ場で問題を起こしたらしい。ゴミを放置したり、トイレの壁に穴開けたり、女性客に絡んだりと、今回の一件で贔屓されても仕方ないレベルの問題行動だ。

 去年の分の制裁を加えるために、あえて予約を断らなかったらしい。どうりで通報するのが早いわけだ。

 女とは、まっこと恐ろしい生き物ぜよ。

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