#50 夜の約束
運が良かったのか、それとも未智さんのおかげで冷静になっていたのか。
水中で目を開けたり、川の水を飲んだりせずに済んだ。本当によかった。
綺麗な川とはいえ、危ないからな。
っていうか、見た目が綺麗だから衛生面が優れてるってわけじゃないんだろ?
あんまり詳しいことは知らんけど、ボウフラが湧くかどうかで判断できるとかなんとか。まあ、魚釣りとキャンプが認められてるってことは、最低限の基準は満たしているんだろうけどね。
「生きてっかぁ?」
ダメージの回復を図っている俺を心配して、飛鳥さんが駆け寄ってくる。
大げさだな、溺れる寸前までいっただけの話で、実際に溺れたわけじゃないのに。
「平気ですよ。水飲んだわけじゃないですし」
「ホントか? ぐったりしてんぞ?」
……まあ疲れてるのは事実なんだけど、ちょっと真相は話せないかな。
アレは若気の至りだ。お互い若者だからな、ああいうこともままあるさ……。
「ハンモックが気持ちいいから、起き上がれないだけですよ」
強ち嘘ではない。時間帯のおかげか、暑すぎない気温が心地よい。
ハンモックは今の時間がピークかもな。
「そんなにか? 適当な安物なんだが」
「さすが飛鳥さん、よっ、買い物上手」
「ハハ、よせやい。良妻賢母だなんて……」
そこまで言ってないが、誤魔化せたようで何よりだ。
それにしても、川遊びって中々退屈だな。
この人達の水着で目の保養ができるけど、それでも二十四時間過ごすのは厳しい。
女性陣なんて尚更、厳しいだろう。
「川に入らなくていいのかい? もうそろそろ、他の客も来る時間だぜ?」
むしろ、まだ他の客いないんだな。一時間ぐらい遊んでるはずだが。
早すぎんだよ、俺ら。絶対集合時間間違ってるよ。
「来ても問題ないでしょう」
「他の客いたら皆、服を着ちまうぞ? 今のうちに見とかなくていいのか?」
ああ、そういうことね。
海ならまだしも、こんな人気のない川でビキニは恥ずかしいか。
「飛鳥さんがいれば、それでいいですよ」
「キミぃ……そんな嬉しいこと言われたら、我慢できなくなるぞぉ」
乗るな、乗るな。耐荷重的には問題ないだろうけど、俺の上に乗るな。
ハンモックもう一つあんだろ、横に。
「ウマ乗りはまずいですって、飛鳥さん」
「キミの言う〝まずい〟ってのは、落ちたら危ないって意味だろ?」
そうだよ、わかってんならどいてくれよ。
アラサーがハンモックの使い方を間違えてケガって、笑い話にもならんぞ。
「悔しいけどさ、アイツらは私なんかより遥かに美人さ。それなのに、進次郎君は私なんかを見てくれるって言うんだ。本気になっちまうよ」
いかん、目が本気だ。
早朝とはいえ屋外だぞ? もうじき他の客も来るって、アンタが言ったんだぞ?
「お、俺だってマジになりますよ? 水着の美女に押し倒されてるんですから」
「なれよ」
おかしいな、いつもの飛鳥さんならこれで誤魔化せるんだが……。
どうする? 下手にいつもの手法使ったら、流れでやられちまうぞ。
……意外にも、俺って流されるタイプらしいしな。
いかんなぁ、こんな状況なのにさっきのことが……。
「飛鳥さん、こういうことは……時と場所を……」
言葉が続かない。
続きを待っているのか、それとも失望しているのか、飛鳥さんは何も言わず俺を見つめている。
「あの、飛鳥さん……」
「……」
その場の勢いに流されるなと、そう言ってやりたい。
言ってやりたいのだが……俺にその資格があるのか? いや、ない。
さっきのことを飛鳥さんが知っているかどうかは問題じゃない。
ここで自分のことを棚に上げられるほど、腐りきっちゃいねぇ。
「飛鳥さん……」
「どうした? いつもの口八丁か?」
「テント……二つあるんですよね?」
「ああ、男女でわけるためにな」
「……五人は狭いでしょう」
「……」
意図が伝わったらしく、俺の上からゆっくりと降りる。
これはいつもの一時しのぎじゃない。
腹が決まったよ、さすがの俺も。
出会ってから日が浅いとか、そんな言い訳を続けるわけにもいかんのだよ。
その気にさせるようなことを言い続けてきたんだから。
「結局、釣りに落ち着くんですよねぇ。川遊びって」
再び、未智さんと二人で釣りをすることになった。
先ほどと違う点といえば、俺の足の間に未智さんがいないことだ。
飛鳥さんと夜の約束をした以上、さすがにそんなことできないよ。
「そんなこと言って……もう一回したくなったんじゃ?」
「いえ……そこまで性欲を持て余してないですよ」
また嘘をついてしまった。バリバリ持て余してるよ。
「嘘ばっかり」
鋭いな、本当に。
「なぜそう思うのです?」
「私の手を見てる」
正直だなぁ、俺の目線。
そうだよ、未智さんの白い手が気になって仕方がないんだ。手フェチってわけじゃないんだけど。
「……未智さんに汚いことをさせてしまって、本当に申し訳なく……」
「謝罪はいらない」
「そうですか」
あくまでも若気の至り、男女の気の迷いってことにしてくれるらしい。
そうだよな、大人だもんな。引きずっちゃダメだよな。
「それにしても退屈だね」
「ええ……」
そもそも川遊びって何するんだろ。
平たい石を探して水切りとか? 一分で飽きるわ。
定番はカヌーとかかな。
それも一日中は無理だし、そもそも怖い。あれに命を張る勇気はない。
「せめて釣れりゃあいいんですけどねぇ」
餌が悪いのか、腕が悪いのか、ポイントが悪いのか。
ここまで釣れないことある?
「そういや、小説のほうはどうなってます?」
「……バトル物を書いてみたけど、とても人様に見せられる物じゃない」
まるで前に見せてきたのが、人様に見せられる物みたいな言い方だな。
それにしてもバトル物か、意外なチョイスだな。
「文字だけでバトルってのは、中々難しい」
ああ、それはあるかな。
絵がないとイメージが湧きにくいかも。
結局ヒューマンドラマがメインになりそうだけど、この人のキャラって人間味がないからなぁ。
「っていうか、それじゃ俺の渡したデータを活かせなくないですか?」
「恋愛描写に使おうかと」
使えるんかねぇ。
読んでないからハッキリとは言えないけど、バトル描写との温度差やばそう。
「プログラムとかできるんですよね? ゲーム開発とかはしないんですか?」
「簡単に言ってくれるね。一人でできるような世界じゃない」
そらそうかもしれんけど、今の時代ネットで仲間ぐらい作れるんじゃないの?
ああ、この性格だから厳しいか。俺の言えた義理じゃないけど。
「とりあえず泳いできたらどうですか?」
「……そんなに私の水着が見たいの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ泳がない。一生釣りする」
ええ……。
なんか怒ってない? スネてる雰囲気あるんだけど。
違うんだ、怒らせる気はなかったんだ。
「別に見たくないってわけじゃないんですよ? もちろん見たいですとも」
「じゃあ、なんで否定したの?」
「なんて言いますか、その……第一目的じゃないって言うんですかね?」
「どういうこと?」
「その、アレです。せっかくの川なら、ちょっとぐらい泳げばいいんじゃないかと、ええ、それが第一と言いますか……」
まずいな、言葉が上手く出てこない。
初手から機嫌を取る癖をつけすぎて、リカバリーが上手くできんのか?
……そもそもなんで否定したんだ? 今までの俺なら『そうです!貴女の水着を見たいんです!』って、言ってたよな?
「言いたいことはわかったけど、泳がない」
「まあ、強制はしませんが……俺も、もう泳ぐ元気ないですし」
「そう……ところで、さっきなんで沈められたの? お得意の安っぽい口説き?」
「そんなところです」
なんだよ、安っぽい口説きって。
この人らって、褒めるイコール口説きだと捉えてるフシあるよね?
まあ、今回に限っては『好き』って言ったけどさ。うん、安っぽい口説きだわ。
「で? 飛鳥さんに何を言われたの? 上に乗られてたよね?」
……言いたくねぇ。
だってこの人、茜さんとデートするようにけしかけといて、実際にデートしたら嫉妬しまくりだったじゃん。
「早く言って。それとも、釣果になりたい?」
どういう脅しなのかわからないけど、ろくな目に遭わないってことはわかる。
ここで誤魔化しても、いずれ白状させられるしな、言うか……。
「夜の約束を……」
そういえば影山さんが、自腹で買ったテントなんだよな。
そんなところでヤっていいものか?
「へぇ、いいんじゃないの」
「あれ? 怒らないんですか?」
てっきり、嫉妬で暴れるもんかと思ってた。
今日の未智さんはヤケに大人だな。
「面白い話が聞けそうで何よりだよ。驚くほど、イベントがないからね」
「そう……ですか?」
俺はアンタと凄い体験をしてしまったんだが……。
「漫画とか小説なら、ナンパ男に絡まれたり、誰か溺れたり、川から何かが流れてきたり、イベントが起きるはずだよ」
そりゃ創作物と比べりゃ、現実なんてそんなもんよ。
異常に権力強い生徒会とか、外国から転校してきた美少女と同棲とか、そんなの存在しないから。
そう考えると、俺の境遇って大分現実離れしてるぜ?
冴えない男が、美人五人と知り合って、たった一ヶ月ちょいでキャンプに行くほど仲良くなるなんて、ありえない話よ。普通は俺みたいなヤツ相手にされんて。
五人グループで全員が美人ってのが、そもそもありえない。顔だけで友達選んでる人らならまだしも、似た者同士で集まってんだろ?
「悩むね」
「何がです?」
「邪魔せずに報告を楽しみにするか、ひっかきまわすために飛鳥さんを煽るか」
何その二択。前者一択だろ。
素人小説のアイデアのために、振り回されたくないよ。
「ちなみに、煽りとはどんなことを」
返答次第で、警戒レベルが変わってくる。
「飛鳥さんが見てる前でキスしたりとか」
警戒レベルマックスでいこう。
未智さんのキスを上書きするために、めっちゃ濃厚なキスされそうだし。
それぐらいならまだいいけど、皆に見せつけながらヤるとか言い出しかねん。
「なんてね。データ欲しいから、邪魔はしない」
わかっていたことだが、これの詳細も報告しなきゃいけないんだな。
さすがにほっといてほしい。
そもそも従う義理ってあんのかな。
俺を奴隷にするっていう宣言は、結局ただの脅しだったらしいし、律儀にモルモットを続ける理由なんてあるのか?
報酬として大学のレポートを手伝ってもらってるけど、それに見合うデータは渡してるはずだし。
「ちなみに満足いくデータが手に入らなかった場合、私直々に相手をする」
「はは、さすがの貴女もそこまで体は張れんでしょう」
「そう思いたいなら、そう思えばいい。疑似とはいえ、恋人だから遠慮はしない」
情けない話だが、大人しく従う他ないらしい。
だって、明らかに本気だもの。
どうやら、未智さんとの上下関係はもうしばらく続くらしい。
対等な友達になりたいんだけどなぁ。
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