#42 強制食事制限
胃が痛い。
蹴りを食らったのは鳩尾だが、胃が痛い。
「ご、ごめんね? さっきは」
「いえ……こちらこそ……」
あんなことがあったばかりなのに、風夏さんと後部座席に乗っているもんだから、胃が猛烈に痛い。
なんでだよ、なんで後部座席に来るんだよ。
俺が半死半生だから飛鳥さんが運転するのはわかるけど、風夏さんか俺が助手席でいいじゃんかよ。なんで二人まとめて後部座席なんだよ。挨拶するかどうか微妙なラインの人が、バスで隣に座ってきた時並みの気まずさなんだけど。
飛鳥さんは「今日だけはイチャついても、見て見ぬフリしてやるよ」とか、カッコいいのかカッコ悪いのかわからないことをほざいてたけど。
「あの、進次郎君って引きずりそうだから言うけど、別に気にしないでいいよ? 裸ならまだしも下着ぐらい」
気にするよ! 一瞬だけど、バッチリ見ちまったもん!
残念ながらヤクザキックのせいで記憶が曖昧だけどな。
「進次郎君」
信号待ちで余裕ができた飛鳥さんが、後ろを振り返る。
「なんです?」
「変なことを聞いていいかい?」
なんだろう。聞かないでほしい。
俺の統計に狂いがなければ、飛鳥さんが口を挟むと大抵ろくなことにならん傾向がある。沈黙はなんとやらだぞ、喋るな。
そんな無言の拒否が通じるわけもなく、飛鳥さんが予想以上に変なことを尋ねてきた。いや、尋ねてきやがった。
「その……勃ったか? チンチン」
聞くな! 恥を知れ!
「勃つわけないでしょう……」
「は?」
先ほどまで申し訳なさそうにしていた風夏さんが、怒りの形相でこちらを見る。
なんでだよ、なんで敵対すんだよ。
「乙女の恥ずかしい姿を見といて何言ってんの? アンタ」
怒る要素あったか? たしかに若干失礼な言い方だったかもしれんけど、俺にそういう目で見られるほうが嫌だろ。
「いや、一瞬で蹴りが飛んできたからそんな余裕なかったですよ」
これに関してはマジでそう。
そりゃあのまま見つめてたら、生理現象も起きていただろうけどさ。
「ごめん……痛かったよね」
ああもう! めんどくせぇ!
女性複数人の前で吐しゃ物まき散らして、今の俺は世界一落ち込んでるって思ってたけど、俺より遥かに落ち込んでるじゃねえか。
「事故だろうと見てしまったことに変わりはないです。正当な蹴りですよ」
思うところはあるが、一応擁護しておく。
せめてビンタにしてくれとか、蹴るにしてもあんなに全力で体重乗せた蹴りを放たなくてもいいじゃんとか、言いたいことは山ほどあるが堪えよう。
影山さんだったら絶対に股間を狙われてたし、そう考えると軽傷だ軽傷。股間は女性でも破裂する恐れがあるけど、鳩尾への蹴りなら安全靴でも履かん限り死にはせんだろうし。うん、軽傷、軽傷。
「怒ってないん?」
「あれぐらいで怒るヤツいませんって」
正直さ、さっきまで本気で落ち込んでたんだよ。絶対にトラウマになるって。
ことあるごとに、皆の前で吐いたことがフラッシュバックして悶えるみたいな、そういう心の傷を抱えて生きることになるんじゃないかって。本気で不安だったよ。
でも考えてみりゃ、気にすることなんてないんだよ。この二人、面倒だけど性格いいもん。サッパリしてるから、なかったことにしてくれるはずだよ。
「どっちかと言えば、風夏さんの友達に迷惑かけたってのが気掛かりですよ」
試着室をファッションショーに使われた挙句、吐しゃ物をまき散らされていい迷惑だよな。事故とはいえ、抱きしめたりしちゃったし。
絶対に嫌われたよなぁ……もう会うことはないだろうけど、それでも人に嫌われたくないんだよな、俺。
「あー、進次郎君は死にかけだから覚えてないかぁ」
「なんのことです?」
「迷惑なおじさんを撃退してくれたし、アレぐらいモーマンタイだって言ってたよ」
モーマンタイって……。いや、それより……。
「怒ってないんですか?」
「本当に迷惑してたみたいだし、マジで怖かったみたいだからねぇ」
そりゃ迷惑だろう。客としても迷惑だし、経営者側だったら尚更。
なんだっけか、SNSで見たんだよな。授乳室の前で弁当を食べるヤバいオヤジがいたっていう漫画を。
本当にいるんだなって思ったよ、そういう人。
「初対面の子まで落としちゃうんだから、やるねぇ」
「落としてません」
何を言ってんだ、このギャルは。
そんなチョロい子じゃないって、アンタが一番知ってるはずだろ。
「いいや、アレはメスの顔だったぞ」
メス言うな。口を挟むな、運転に集中しろ。
どうでもいいけど、飛鳥さんがゴツい車を運転してるの面白いな。
「あの子、必死に男慣れしてる雰囲気出してたけど、実は処女なんだよね」
聞いてないです。っていうか、なんでそんなこと知ってんだよ。女子の下ネタは生々しいっての、伏線だったのかよ。
「言われてみれば、飛鳥さんと同じで攻められると弱いタイプでしたね」
「攻めたのか? おい」
前見ろ、前。危ないから。
「からかわれっぱなしは癪ですから」
「それが手口か? たぶらかす手口なのか?」
人聞きの悪いことを言うな。たぶらかしてないっての。
「二人っきりで一体どんなやり取りしてたのか、聞かせてもらおうか。そこのファミレスでな」
「食欲ないんで、帰らせてください」
心配かけたくないから我慢してるけど、まだ痛いんだよ。
しばらくまともな食事できないんじゃないかって、不安になるぐらい痛い。
「マジごめん……」
いや、面倒だから謝らなくても……って!
「ふ、風夏さん? 何を?」
「お詫びに足触らせてあげようかなって」
どこの国の文化だよ、その誠意の見せ方。
あっ……やわらかい……。
「風夏さんが詫びる必要なんてないですよ」
詫びるにしたって、もっとやりようがあるだろ。
知ってるんだぞ、男慣れしてますってツラしてるけど、実際はいっぱいいっぱいだってことを。
「だって、マジ蹴りしちゃったじゃん。殺しちゃったと思ったよ」
んな大げさな。たしかに俺も一瞬、死んだかと思ったけどさ。
「過呼吸っていうか、呼吸困難になったぜ? キミ」
なってたかも……。きっと凄い顔で悶絶してたんだろな、俺。
「とにかくさぁ、お互いに誠意を見せあっちまいなよ」
どういうことだろう。向かい合ってエンコ詰めすればいいのかな。
ダメだ、少し前にヤクザのゲームにハマってたせいで、誠意のイメージがおかしくなってる。
「なんのために後部座席に放り込んだと思ってんのさ。罪悪感だのしがらみだの、この場で全部吹き飛ばしちまいな」
ただの気まぐれだと思ってたけど、俺らのこと気遣ってくれてたんだな。
といってもな、俺のほうはもう解決したんだよな。トラウマ払拭できたし、着替え見てしまった件も許されたし。
「内臓破裂とかしてないよね? ホントごめん……」
後はこっちだよなぁ。
まあ、気持ちはわかる。俺も逆の立場だったら引きずるよ。
「正直に言うとしばらくは、おかゆとかうどんしか食べられそうにないです」
「うう……」
「でもキャンプまでには治りますって」
栄養はサプリでなんとかしようかな。
しかし、アレだな。普段そこまで食い意地張ってないんだけど、食えないとなると急に食べたくなるな。普段お菓子食べないけど、買いだめしたら凄い勢いで食べるみたいな感じ?
「んー……粗食なりに美味しい物を食べさせてあげたいんだけど、私は料理できんからなぁ」
そうか、うどんとかおかゆも工夫次第で満足感が得られるのか。問題は工夫できるほどの技術がないってことなんだが。
「茜に頼むか? 出張飯屋みたいな感じで」
「それはギャンブルですね……」
変なアレンジしそうで怖い。
普段なら根性で食べるけど、この状況で刺激が強いもの食べたら死ぬぞ。
「簡単な料理なら、アタシできるけど?」
「えっ、料理上手なギャルが現実に存在するんですか?」
「ギャルをなんだと思ってんの? ってか上手じゃねーし」
これは意外な特技というか、まさかの手料理イベントか?
いや、茜さんで既に経験してるんだけど、アレはノーカンだろ。あれは修行イベントに近い。
「良かったなぁ、進次郎君。現役女子大生の手料理だぞー」
「得意料理とかあるんですか?」
「いや、ホントに最低限しかできんし。期待されっとやりづらいんだけど」
「でも流れ的に、うどんとかおかゆは作れるんですよね?」
「いや、作れんやつおらんし」
なぜか不機嫌になる飛鳥さんを無視して、料理スキルについて深掘りする。
謙遜……というか、本当にそこまでって感じだな。だけど、わざわざこのタイミングでアピールしてきたってことは、軽いアレンジぐらいならできるんだよな?
スーパーの味気ないおかゆとかうどんで数日過ごす覚悟決まってたから、まさに渡りに船よ。
「風夏ぁ、今イチャつく許可は出したけど、家に上がって手料理振舞うなんて許可、出した覚えはないぞぉ」
「なんで飛鳥さんの許可がいるん? アタシと進次郎君の問題なんだけど」
そうだぞ、お前の認印なんて必要ないだろ。
「そういうのは私の役目なんだよ」
「でも飛鳥さん、料理できないんでしょ? アタシに任せなって」
そうなんだよ。飛鳥さんが意地張っても、俺が不幸になるだけなんだよ。
食という数少ない幸せが奪われるんだよ。
「私と進次郎君の愛の巣に入り込むってなら、覚悟見せなよ」
愛の巣に関してはもうツッコまんけど、覚悟ってなんだろう。善行になんの覚悟がいるんだろう。
「水着で料理しろ」
何を言ってんだお前は!?
「それぐらいヨユーだし」
お前も何を言ってんだ!?
「パレオだのパーカーだの無しだぞ? できるのか?」
「さっきは店だから日和っただけだし」
いや、男の家で水着着て料理するほうがハードル高くないか。
何が目的なんだよ。打ち切り間近の料理漫画じゃないんだから。
「私だったら、下着でもできる」
どうしたんだろ、飛鳥さん。慣れない運転で精神おかしくなったんかな。
「家の中ならアタシだって、それぐらいヨユーですけど?」
張り合うな、張り合うな。ギャルというキャラを貫こうとする精神は見事だけど、ギャルとビッチを履き違えてないか?
「風夏、吐いたツバ飲み込むなよ? そこまで言うなら、本当に下着で料理してもらうからな?」
飛鳥さんは、それで何を得るんだよ。そっちの気があるわけでもないだろうに。
「飛鳥さんこそいいの? そんなことしたら進次郎君、完全に落ちちゃうけど」
いや、その状況だと性欲より恐怖が勝ると思う。俺、未だに飛鳥さんが何を言ってんのかわからねえもん。
「進次郎君は私のタンキニ姿で完全に落ちてるよ。もう誰にも惑わされないさ」
やめてくれ。勢いだったんだよ。変なテンションになってたんだよ。
ああ、思い返したら恥ずかしくなってきた。
「……飛鳥さん、もしかすっと、流れ作りたいだけ?」
風夏さんが何かに気付いたらしい。流れ?
「進次郎君にプレゼントしてもらった水着を、家の中で着る流れを作りたいだけなんじゃね?」
あー……。
「悪いか? これを機に、水着を部屋着にしたいんだよ」
いや、人の家で着る服を部屋着とは呼ばんだろ。
「アタシを当て馬? みたいな扱いしないでくんない?」
そうだよな、失礼だよな。完全に踏み台扱いだもん。
「なぁ風夏? 手料理作るって役目を譲ってくれよ。憧れのシチュなんだよ」
「憧れてんのに、料理できねえの?」
バッサリと正論でぶった切るあたり親友だよな。俺も同じこと思ったけど、ツッコミ入れる勇気なかったわ。
結局、飛鳥さんが風夏さんに教わりながら作ることになった。
これが一番平和な着地点だよな。通うのが面倒だからって理由で、風夏さんがしばらく泊まることになったのを除けば。
そろそろ不安になってきたよ。ご近所さんの目がひたすら怖い。
ただでさえ未智さんのせいで目をつけられてるのに、飛鳥さんだの風夏さんだの影山さんだの、女性が頻繁に出入りしてさ。
アパートの住民で草むしりをしましょう、ってお知らせがあったけど、不参加決め込みたい。絶対に居心地悪いし。
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