#41 覗かせ魔

「複雑な気分だよ」


 飛鳥さんはバツが悪そうな表情をしながら、そう呟いた。

 何が複雑なのか知らないけど、まずは早とちりで尻を蹴り飛ばしたことを謝ってほしい。つま先で蹴られたから結構痛かったんだが? 出口なのか入口なのかわからんけど、穴が痛いんだが?


「キミが男を見せたってのは喜ばしいことなんだけどねぇ」


 だけど……なによ。ただ純粋に喜べよ。すっげぇ怖かったんだからな。


「見捨てたほうがよかったですか?」


 年上相手だというのに、つい語気が強まってしまう。

 だが俺は悪くない。後ろの初めてをつま先に奪われたんだから、誰だって怒る。


「恥も外聞もなく見捨ててたら、私が直々に矯正してたよ」


 俺の嫌味をどう受け取ったんだろう。なんだそのシャドーボクシングは。やめろ、心得なんかないくせに。


「あの、とりあえず謝ってくれません? わりとマジで痛かったっていうか、今も痛いんですけど」


 飛鳥さんが普通のスニーカーで助かったよ。心からそう思う。

 それ絶対足に悪いだろってぐらい先端尖ってる靴だったら、俺はしばらくトイレに行くのが怖くなっていただろう。


「怒鳴ったことに関しては謝ろう」


 腕組みをしながら断腸の思いと言わんばかりの表情で、謝罪の意を表す。

 普段なら気にならんけど、今回ばかりは腕組みが気になってしかたない。

 もっと誠心誠意を込めてほしい。アンタ蹴る時に、『この色魔ネカマが!』って言っただろ。韻踏めば何を言っても許されるわけじゃないからな。ラッパーはご意見番じゃないんだぞ。っていうか、初対面の人がいるところでネカマって単語を出さないでくれ。


「蹴りを入れたことに関しても謝罪を……」

「蹴って悪いか!」

「悪いから怒ってんですよ」


 この人、なんで逆ギレしてんの? 男だって痛いものは痛いんだぞ?


「助けるだけなら、抱きしめてナデナデする必要はないだろ!」


 人差し指を突き出しながら言い放つ。気のせいか『異議あり!』と聞こえたような気がする。


「第三者として割り込むよりも、彼氏って設定のほうがいいかなって……」

「おじさんが去った後も続ける意味があるのかい?」

「それはそうなんですけど……怖かったんですよ」


 ああいう人はボクサーより危険だと思う。だってボクサーは一般人相手に殴ってこないだろうし、殴るとしても手加減してくれるだろ? ああいう人って、下手したら殺しにくるぜ?

 大人しい大型犬より獰猛な小型犬のほうが怖い、と言えばわかりやすいだろうか。


「キミに下心がないことはわかってるから、この件に関してはもう言わない。だが、謝罪もしないからな」

「……わかりましたよ」


 なぜ頑なに謝罪を拒むのか知らないけど、あまり気分のいいものではない。

 このモヤモヤはアレだ。命がけで戦ったのに『人殺し!』って罵られるヒーローを見た時のアレだ。


「ごめんね? 私のせいで」


 飛鳥さんに代わって店員さんが謝罪する。腕を絡めながら。

 なんてことをしてくれたのでしょう。

 そういうことされると……。


「面白い挑発だな」


 ほらぁ、こうなるからぁ。飛鳥さん嫉妬深いんだからぁ。


「なんで飛鳥さんが怒るの?」

「そういう仲なんだよ」


 やめて! 私のために争わないで! 仲良くして!


「えー? でも中岡君、さっきフリーだって……」

「どういうことだ、説明しろ進次郎君」


 やめて! 私を争いに巻き込まないで! 勝手に二人で共倒れして!

 ダメ元で風夏さんにSOSのアイコンタクトを送ろうとしたが、声を出さずに大笑いしてるのを見て諦めた。なんだよ、いっそ大声で笑え。ヘイトを自分に集めろ。いつもネトゲでそういうプレイしてるだろ、アンタ。


「と、とりあえず帰りません? レンタカーって延長料金とかあるでしょ?」

「まだ時間に余裕がある。逃げるな」


 俺が何をしたというのだろうか。

 フリーだってのは嘘じゃないし、店員さんに対してやったことも善意だ。

 なぜ責められなきゃならん? 役職者が全体的に若い会社だったら、パワハラで問題になるぜ? それぐらい理不尽だぜ?




 結局、水着ファッションショーは継続された。

 客が我々を除けば一人しかいないので問題ないと言えば問題ないのだろうが、それでも気が引ける。俺が小心者なのか? こういうのってよろしくないと思うんだよ。


「おっ……メッセージきた」


 店内で待機させてくれればいいのに、俺は車に軟禁されていた。

 これ以上店員さんと接触できないようにと、飛鳥さんが提案したのだ。そんな焦らんでもな、ここまで好意を示してくれてる飛鳥さんを差し置いて、初対面の女性になびかんって。

 そもそも向こうにその気がないっての。自分のことを好きじゃない相手にグイグイいけるほど、精神力強くないよ。


「お兄さん、お兄さん」


 試着室に向かう道中、中学生ぐらいの女の子に声をかけられた。例の客、唯一の我々以外の客だ。


「えっと……何か用かな?」


 情けないな、俺。女性とはいえ、中学生相手に緊張しちまってるよ。

 虫取りとか好きそうな活発な女の子ってのも、俺的には厳しい。いや、実際に活発なのかどうかは知らんけど、この顔で文学少女はないだろ。偏見だって言われたらそれまでだけど。


「この服どう思います?」


 服を自分の体に重ねて、俺の意見を求める少女。

 えっと……ワンピースでいいのか? これは。ワンピースにしては丈が短いし、違う気がする。なんていう服だろ。

 基本的な名称でつまずいてる俺に意見を聞くだけ無駄だと思うんだが、面倒だし適当に答えとこう。適当に喋るの得意だし。


「ええっと、大人っぽい服だね」


 俺の見立てでは、茜さんみたいなおっとりした人が着るような服だ。

 正反対のタイプに見えるが、ギャップって意味ではアリなのか?


「ですよねー。このチュニック絶対に買うべきだと思うんですよ」

「そ、そうなんだ」


 チュ……なんて? 聞いたことないけど、ワンピースと何が違うんだろ。丈?

 ベストとチョッキ的な感じ? もしかして、ワンピースって呼び方はおじさんしかしないのか?


「でもボトムとセットで買うと、お小遣い足りないんですよね」


 なんだよ、ボトムって。ボトムスとはまた違うのか? そもそもボトムスをよくわかってないんだけど。

 いや、ファッション用語なんてどうでもいい。

 わかっちまったんだよ。彼女の目的がさ。


「あと千円あれば買えるんですよ」

「そ、そうですか」


 これさ……。


「千円でいいんですよ、お兄さん」


 確実にタカられてるよな?

 いくら俺が弱そうだからって、初対面の大人にタカるか? ドイツもコイツもどんな育ち方したんだよ。紐槻町の教育終わってんだろ。


「店員さんに交渉してみたらいいんじゃないかな。多分ダメだろうけど」


 俺の経験則では、話せば話すほど逃げづらくなる。だからこういう時は早めに立ち去るのが正解だ。そもそも飛鳥さん達を待たせてるっていうか、待たれてるし。


「私に千円恵むと良いことがありますよ」

「……」


 店員さんを呼ぶべきか? いや、接触したら飛鳥さんがうるさいだろうな。

 かといって、赤の他人に千円を恵むのも馬鹿馬鹿しい。特に、大人を舐め腐ったガキ相手だとな。

 無言で通り過ぎることを試みたが、バスケのディフェンスばりの動きで行く手を阻まれる。


「お兄さん、あの二人組とどういう関係なんですか?」


 飛鳥さんと風夏さんのことだろうか。まあ、アレだけ騒いでりゃ目立つよな。


「俺が聞きたいよ」

「えっ?」

「いや、なんでもない」


 最初の頃は奴隷と主人って関係だったけど、影山さん曰く舐められないためのハッタリだったわけだし……結局どういう関係に落ち着いてるんだろ。

 俺は友達だと思ってるんだけど、飛鳥さんはそういう目で見てくれないし……。


「お姉さんとか妹……ってわけじゃないですよね?」

「まあ、友達的な……」


 何が言いたいのかわからんが、とにかく後にしてほしい。

 スマホに新たな通知がきてるんだよ。絶対に催促のメッセージだよ。店員さんとイチャイチャしてたとか、しょうもない疑いかけられるパターンだよ。


「少なからずエッチな目で見てますよね?」

「それはまあ……」

「千円恵んでくれたら、良い思いができますよ?」

「興味深いけど遠慮する。もう行かせてもらうよ」


 どこの学校に通ってるんだろ。クレーム入れてやろうかな。


「頼みを聞いてくれないと、あの小さな人に『しつこくナンパされた』って泣きつきますよ?」


 クレーム入れてやろうかな! 向こうの紙が切れるまでFAXでクレーム入れてやろうかな!


「相手にしてくれないよ」

「そうですか? あの人、お兄さんのこと大好きですよね? 嫉妬深いですよね?」


 よく見てるなぁ! 大正解だよ!


「普段は知らないですけど、女の子絡みだと冷静さを失うタイプですよね?」

「……千円だけだよ」


 もういい、もうどうでもいい。

 千円でトラブル回避できるなら安いもんだよ。自販機でジュース買おうとしたら、風で飛ばされて紛失したって思い込もう。


「さすが! 話がわかりますね!」


 なんでこの町の女の子は、すぐに腕を絡めてくんの?

 俺の価値観が古いだけで、これが普通なのか?


「これが良い思いかい?」

「え? 私と触れ合えてそんなに嬉しいんですか?」


 筋トレとかしたほうがいいのかな。

 ヒョロヒョロだから舐められてるんだろ? 筋骨隆々になれば、この手の輩に絡まれにくくなるんじゃないかな。

 いや、ダメか。結局、弱そうな顔だったら無意味か。


「はい千円。もう本当に行くから」


 情けない絵面だろうな。女子中学生に千円渡すって。

 下手したらパパ活の現場だよ。店員さんに見られてないだろうな。


「待って待って! 良いことするから! しますから!」

「いや、いいよ。その千円はあげるから、もう解放し……」

「それはダメです。恩義に報いないと気が済みません」


 変なところで義理堅いな、もう。

 別に遠慮してるわけじゃないんだ。嫌な予感しかしないし、これ以上あの人達を待たせるわけにいかない。さっきから通知が鬱陶しいんだよ。


「じゃあ更衣室に行きますよ」


 本当に嫌な予感しかしない。

 目的地が同じっていう喜ばしい事実が明るみになったのに、不安しかない。


(いや、待てよ? 飛鳥さん達と同じで、着替えたところ見せてあげるとかいう、しょうもないオチじゃね? まあ、それぐらいなら……)


 そうだよな、抵抗してもいいことなんか一つもないよな。

 面倒になったのもあって、一も二もなく一緒に更衣室へと向かった。

 これがまた、最悪の判断だったよ。ハッキリと記憶が残ってるのはここまでって言えば、なんとなくわかるかな?

 そう、このバカね、開けたのよ。事故を装って、風夏さんが着替えてる途中で開けやがったのよ。

 何が恩義だよ。何が良い思いだよ。

 たしかに良いものを見れたよ。カーテン越しに透視してんのかってぐらい、良いタイミングで開けてくれたからな。

 問題はその後だよ。

 下着姿を目に焼き付ける暇もなく、パニックを起こした風夏さんのヤクザキックを受けた。よりにもよって鳩尾にな。

 俺自身パニック起こしてた上に、下着姿に気をとられてたから、全然身構えてなかったのよ。気付いた時には鳩尾に足がめり込んでいた。

 ただでさえ危険な場所なのに、完全に不意打ちだからさ、まあ吐いたよね。

 激痛もさることながら、うまく呼吸できなかったのが辛かったね。本当に死ぬかと思ったよ。

 それ以上に屈辱だった。吐しゃ物まき散らしながら悶絶してるところを女性四人に見守られてさ、死にたくなったね。

 色々声かけてくれてたみたいだけど、全く聞こえなかった。鼓膜が拾ってはいるんだろうけど、処理する余裕がまるでなかった。

 ああ、無視すればよかった。あんなメスガキ。

 千円払ってトラウマを負うなんて、あんまりだよ。

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