#40 ネカマが男になった日

 なんだろうか、この緊張感は。

 悪いことなんて一切していないのに、犯罪者になった気分だ。

 やましい気持ちなんて欠片もないが、自然と耳をそばだててしまう。


「絶対覗かないでよ? 絶対よ?」

「フリですか?」

「蹴り潰すわよ」


 ようやく水着選びが終わったらしく、現在着替え待ちだ。

 更衣室は店の角に三つ設置されており、更衣室自体がパーテーションで覆われている。普通なら安心感が凄いけど、ヤバいおじさんの件を聞いた後だと逆に怖い。

 俺が今座ってる椅子って、普段は張りこみおじさんが座ってるんだろ?

 更衣室に人がいるかどうかは、パーテーションのせいでわからない。要するに、店員や他の客の目が届かないということだ。

 更衣室から出たら、張りこみおじさんがいるわけだろ? こんな密室に近い部屋でヤバいおじさんと二人きりって怖すぎる。そりゃ女性客減るわ。


「進次郎君、私は覗きウェルカムだぞ」


 絶対に言うと思ったよ。


「いいんですね? 開けますよ?」

「ま、待て! 怒るぞ!」


 ウェルカムじゃねえのかよ。

 まあ、知ってたよ。飛鳥さんは押しが強いくせに、押されると日和るんだよ。

 今にして思えば、そのメンタルでよく買ってきたよな。ゴムなんか。

 出会ったばっかだぜ? ちょっと一緒に本屋で働いただけの仲なのに、ゴムなんて買ってさ、面白すぎるだろ。


「進次郎君。アタシ今、下着だから絶対に開けないでよ」

「水着でも、俺からは開けませんって」


 衣擦れだけで緊張してんだから、余計なこと言わないでほしい。

 このカーテン一枚隔てた先に、下着姿の風夏さんがいるんだよな。あと、ついでに飛鳥さん。


「進次郎君、開けるぞ」

「ん? ええ、どうぞ」

「……」

「……飛鳥さん?」


 風夏さんより先に着替え終わったようだが、出てくる気配がない。

 なんだろう、早くしてほしい。何着持ち込んだか知らんけど結構な量だったし、回転率を意識してほしい。張りこみおじさんに遭遇したくないんだよ。


「私はスタイルが良くないんだ」

「……」


 打ち解けてきたとはいえ、言えるはずがない。『知ってます』なんて。

 乙女心なんて全然わからんけど、本人にとっては重大な悩みだってのはわかる。


「バカにしないでくれよ?」

「しません」

「……嫌いにならないでくれよ?」

「なりません。約束しましょう」


 最低だって言われるかもしれないけど、こういうところが可愛いんだよな。

 いつも明るくて姉御肌なのに、意外と繊細。すぐに密着してくるし、アピールが凄いのに、恥じらうところは恥じらう。

 男が乙女心を解さないのと同じで、女も男心をわかってない。飛鳥さんを見てればよくわかる。アンタ、的確に俺の心を揺さぶってるぞ? 気付いてないだろうし、絶対俺からは言わないけど。


「刮目しろ! いや、やっぱり見るな!」


 堂々とカーテンを開けたかと思えば、すぐに恥ずかしくなったらしく内股になって体を隠す飛鳥さん。

 腕が邪魔で柄がよくわからないが、ビキニタイプってのはわかる。


「そのポーズやめてもらえますか?」

「な、なぜだ?」


 見るなという指示に従うつもりはないが、思わず目を逸らしてしまう。

 悔しい……悔しいけど、その仕草は可愛すぎる。

 飛鳥さんと同じかそれ以上にドキドキしている、ということを悟られたくない。


「進次郎君。見るなと言ったが、やっぱり見てくれ……」


 いつもの攻め攻めモードなら、誰も望んでいないセクシーポーズを取っていたに違いない。だが、弱々モードになっている飛鳥さんは、顔を真っ赤にして手を後ろに組んでいる。

 モデルというよりは応援団長のようで、色気の欠片もないポーズだ。なのに、どういうわけか扇情的に見える。自分でもよくわからないが、水着の女性を見ているというより、名匠の彫刻を見ている気分だ。


「美しい……」

「え、え?」

「あっ、いや、可愛いですよ」


 いかんいかん。無意識のうちに何か呟いていたようだ。今なんて言った?


「そ、そうか! そうだろう! もっと見てくれたまえ!」


 恥ずかしさが限界を超えたようで、目をグルグルさせながら肘をあげて、腋を見せつけてきた。あれ、急に普通になった気がする。

 なんていうか、ただの可愛い子にしか見えない。さっきのは幻覚か?


「髪色と対照的に、落ち着いた紺色にしてみたんだが、どうだ?」


 対照的? ああ、結構明るめの茶髪だもんな。

 なるほど、そういう理論もあるんだな。よくわからんけど。


「元気そうな雰囲気とギャップがあっていいですね」

「ちゃんと大人っぽいか? なるべくシンプルなデザインを選んだんだが」

「ええ、可愛いですよ」

「そーだろ、そーだろ。目に焼き付けたまえ。」


 先ほどまで恥ずかしがっていたのが嘘かのように、くるくる回って余すところなく見せつけてくる。おっ、背中結構大胆やんけ。

 なんだろう。可愛いことは可愛いんだが、年の離れた妹感が……。

 やはり恥じらいか? 女の涙は武器とか言うけど、恥じらいも立派な武器だな。仕込み杖的な。


「アタシも着替え終わったよ」

「ま、待て! 風夏」


 何を思ったのか、カーテンを開けようとする風夏さんを制止する。


「もういいぞー」


 ……?

 風夏さんに見られたくないのか? 自分のところのカーテンを閉めだしたけど。


「どしたん? 飛鳥さん」


 風夏さんが困惑気味にカーテンを開けて、水着姿を御開帳する。

 お、おお……お?


「えっと、パレオってヤツですか?」

「おっ、よく知ってんじゃん」


 うっすらと透けている花柄のパレオ。こういうのに詳しくない俺でも、良い商品だってのがわかる。品ぞろえが良いというだけのことはあるな。

 で、ビキニの上から前開きのパーカーを羽織っていると。

 んー……なんか……。


「どしたん? エッチすぎて言葉も出んの?」

「いや……」

「んー? もしかして、露出が少ないから怒ってんの?」


 別に怒ってなんかいないよ。ヘソと谷間と素足が見えてる時点で興奮するし。

 ただ……これ言ってもいいのか? 素人の俺が。

 いや、友達ならハッキリと言うべきだ。相手を傷つけない限りは、言いたいことを言うべきだ。よし、言うぞ。


「怒らんから言ってみ?」


 あかん、それ言われると言いづらくなるって。逆に言えんって。

 言うけどさ、どうせ言わされるし。


「パレオとパーカーって……どっちかでよくないですか?」

「…………」


 あー……言わなきゃ良かった。

 そうだよな、ファッション雑誌読んだことないって丸わかりのコーデしてるヤツにとやかく言われたくないよな。でも、アンタが言えって……。


「み、見たい?」

「ふぇ?」

「外してほしい?」


 なんて答えればいいんだろ。全パターン見たいに決まってるんだけど、飛鳥さんがいる手前言えないというか、なんで俺に聞くん? 俺が見たいかどうかより、見せたいかどうかが大事なんじゃ?


「進次郎君の言う通り、両方はちょっとアレなんよ」


 そうなんだ。なんとなくで指摘したんだけど、ギャル的にも微妙なんだ。


「じゃあ、なぜアレな装備を?」

「だってぇ……海以外でこういう恰好すんの恥ずくない?」


 凄くわかる。言いたいことは凄くわかる。だけどさ……。


「貴女から言い出したのでは?」

「ごめん、いざ見せるってなったら日和った……」


 可愛いかよ。ウブ可愛いかよ。

 影山さんの言った通り、やっぱ元は清楚な感じなんだな。

 俺さ、そういうのに弱いんだよ。清楚系ギャルに弱いんだよ。飛鳥さんもそうなんだけど、水着より立ち振る舞いで性癖を刺激するのやめてくれ。俺みたいなヤツは、簡単に好きになっちゃうからよ。


「無理しなくていいですよ。見せようとしてくれただけで幸せですから」

「うー……もうちょい待ってくれん? 心の準備できたらメッセージ送るから、テキトーにブラついてて」


 え、もう帰ろうよ。あっ、カーテン閉めないで、引きこもらないで。

 客少ないとはいえ、普通に迷惑じゃない? 新手の立てこもり犯だよ。

 仕方ない……飛鳥さんの水着お披露目会だけでも先に……。


「進次郎君、私も恥ずかしくなってきた」


 帰っちまうぞ! 車で先に帰っちまうぞ!

 ビキニ見せたんだから、もう恥ずかしいものなんてないだろ。さすがにアレ以上に面積が小さい水着なんて置いてないだろうし。


「そうですか、そうですか。俺は貴女の、飛鳥さんの水着が見たいっていう一心で、運転を頑張ったんですけどね。でも無理してほしくないですし、二人で見せあっててくださいよ。俺は車に戻ってますから……ああ、無念……ひたすらに無念……でもいいんだ、俺なんかが飛鳥さんの水着を見ようなんておこがま……」

「お待たせ!」


 未智さん直伝のお経に恐れをなして、カーテンを勢いよく開ける飛鳥さん。

 ちょろいわぁ……そういうところ好きだわぁ……。


「タンキニってやつなんだけど……どうだい? ちょっと子供っぽすぎるかな……」

「か……」

「か?」

「可愛すぎるでしょ……」

「んなっ!?」


 なんだっけ、今タンキニって言ったっけ? 名前は初めて知ったけど、これがこんなに似合う二十七歳、他におる?

 ゆめかわ系のパステルカラーってのも凄い。これ着こなせるって、もはや才能ぞ?


「買いましょうよ、それ。お金出しますよ、俺」

「あわわ……」


 自分でもわかる。今の俺は相当気持ち悪い。でもいいんだ。

 この水着を着た飛鳥さんが今日限りのレア演出なんて、そんなの嫌だ。毎シーズン見たい。夏がくるたびに見たい。きっと夏が好きになれる。


「お会計すませてきますんで、脱いでもらえますか?」

「わ、私のほうがお金を……」

「プレゼントさせてくださいよ」

「プレゼント……進次郎君からの……えへへぇ」


 本当に気持ち悪いな、俺は。

 どうしても俺の贈り物にしたいんだ、これだけは。男なら俺の気持ちをわかってくれるはずだ。男ってのは、こういう生き物なんだ。

 うわ、なんか衣擦れの音が凄い。多分、凄い勢いで脱いでるんだろうな。そんなに嬉しいか? 俺からのプレゼントが。


「進次郎君? アタシも自信作が……」

「風夏はダメだ! 私が買ってやるから、おねだりするな!」


 うわぁ、すげぇ独占欲。いや、俺も人のこと言えんか。その辺の男が飛鳥さんに水着プレゼントしたら、一ヶ月ぐらい拗ねる自信あるし。

 なんだかんだ言いつつ好きなんだな、俺のほうも。




 冷静に考えたら恥ずかしいな。

 風夏さんも聞いてる横で、飛鳥さんに迫ったのも相当恥ずかしいけど、それよりもだな……。

 女性用の水着を手に持ってレジまで行く男ってどうなん? 遠いよ、レジ。

 ……これ、下着の上からとはいえ飛鳥さんが着てたんだよな……。

 ………………。


「んじゃこらぁ!」

「っ!?」


 最低な思考回路に切り替わっている俺を、最低な怒声が我に返らせた。

 びびったな、もう。誰だよ、常識外れな大声出してるバカは。


「ですから………………他の……」

「ああっ!?」


 か、絡まれてるー! 店員さんが、おっさんに絡まれてるー!

 知らんけど、絶対にアレが張りこみおじさんだよ。風貌について一切情報持ってないけど、確信が持てるよ。


「客にお前! んじゃぁ!」


 何を言ってるか全然わからんけど、とにかく声がでかい。俺が全力で声出しても、あの声量は出ないと思う。っていうか怖い、十メートルは離れてるけど怖い。


「ほかっ……他のお客様……」


 あの陽気な店員さんが泣きそうになってるじゃないか。そりゃそうだ、男の俺でも面と向かって怒鳴られたら泣きそうになると思う。

 でも、なんでだ? 店員さんの話じゃ、張りこむ以外の危害は加えてこないはずなんだが……。だからこそ店員さんも、逆恨みを恐れて放置してるって……。

 それがなぜ怒鳴られて……あっ……まさか……。

 風夏さん達が更衣室にいるから、勇気を出して止めた?

 怖いって言ってたのに……逆上されたくないって言ってたのに……。

 ……昔の俺だったら言ってただろうな。『早めに対応しないほうが悪い』って。間違いなく言ってたよ。

 恨むよ、皆。本当に恨むぞ。


「まぁまぁ、その辺でどうか許してくださいよ」

「な、中岡君?」


 言っちまったよ。関わっちまったよ。間に挟まっちまったよ。

 『頭がおかしい人は一定数存在するから絶対に関わるな』ってのがモットーなのに関わっちまったよ。

 本気で恨むからな、俺を変えたアンタら五人を。殺されたら化けて出てやる。主にお風呂場に。


「俺の彼女が何か粗相でも?」


 店員さんの肩に手をまわして、出まかせを言ってやった。

 震え声にならないように根性で頑張ってるけど、だいぶ無理がある。少なくとも、店員さんには震えが伝わってるだろうな。ちょっと恥ずかしいけど、苗字さえ知らない女性のために頑張ってるんだから笑わないでくれ。


「………………ちっ」


 あ、あれ? 帰るの?

 近距離で怒声を浴びせられる覚悟、なんだったら一発ぐらいぶん殴られる覚悟もしてたぐらいだ。拍子抜けだけど、ありがたい。嬉しい誤算とはこのことか。


「こわっ……怖かったぁ……」

「俺もです……」


 おじさんが退店した後、泣きながら抱き着いてきた店員の頭を優しく撫でる。

 ダサいって言われるかもしれんけど、本当に余裕がないわ。頭撫でたら嫌がられるとか、そんなこと考える余裕がまるでない。


「進次郎君! 凄い怒鳴り声が……あん?」


 本当に余裕がない。まるでない。

 怒声を聞いた飛鳥さんと風夏さんが駆けつけてくるってことも、こんな場面を飛鳥さんに見られたらまずいってことさえも、失念していたのだから。

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