#31 夢現の重犯

 ん……。なんだ……?


「宅配便かな……」


 いつの間にか眠っていた俺は、インターホンの音で起こされた。

 飛鳥さんは床に転がされても起きないだけあって、インターホンに気付いていないようだ。夜勤前でもしっかり睡眠とれるタイプだな、羨ましい。


「お待たせしましたー」


 寝ぼけまなこで玄関の扉を開ける。不用心だが、セキュリティの概念がないボロアパートに住んでる男なんてこんなもんだ。モタモタしてて不在票を入れられる方が怖いよ。


「……アンタ、大学あったんじゃなかったの?」

「え……」


 扉を開けた先にいたのは、宅配の兄ちゃんではなかった。

 今日に限っては、宗教の勧誘よりも来てほしくない人物。そう、影山さんだ。


「ちっちゃいのよ、アンタは」


 え? なに? なにが?

 影山さんの言ってることが理解できないのは、寝起きだからだろうか。喧嘩を売られていることはわかるのだが。


「女々しいのよ。男ぐらいイチコロだけど、アンタなんか特にそうよ」


 ああ、わかった。夢だ、これ。夢だと自覚してるタイプの夢、いわゆる明晰夢ってヤツだな。

 考えてみればおかしいもんな、影山さんが一人で俺の家まで来るわけないし。


「ごめんな、さっきは」

「ちょっ……」


 せっかくの明晰夢だし、仲直りの予行演習として頭を撫でてみた。

 いや、本番ではやらんよ? 夢の中だからだよ?

 自分で言うのもなんだが、俺ってピュアだよな。普通の男って多分、えっちなことするだろ? で、いよいよってところで目が覚めて悔しい思いするんだよな。


「アンタなにして……」

「今朝の一件に関しては、全面的に俺が悪かったよ。許してくれとは言わんが、謝らせてくれ」


 やっぱタメ口は楽だな。俺が思うにコミュ障とか声が小さい人って、使いたくもない敬語を強要されてるってのが大きいんじゃないか? 敬語とでかい声って合わないしな。


「あ、アンタね……私は優しいからいいけど、女の子の髪を勝手に触るなんてありえないわよ」

「あっ、ごめん」


 夢の中とはいえ、怒られるのはやっぱり怖い。

 大人しく手を引っ込めようとした瞬間、影山さんに手を掴まれる。


「ダメとは言ってないでしょ!」


 夢って面白いな、やっぱり。支離滅裂だもん。

 夢ってまだまだ解析されきってないと思うんだけど、研究しがいがあるよ。しないけどな。


「可愛いな、美羽は」

「っ……」


 はは、リアルでも同じ反応しそうだな。

 そうだよな、考えてみりゃ影山さんだけ苗字呼びなんだよな。多分、一生許可下りないんだろうな。


「……言っとくけど、私は男より強いのよ? 朝のアレだって、本気さえ出せればアンタを病院送りにできたんだから」

「優しいんだな、ありがとう」


 なるほど、よくわかったよ。

 一概には言えないだろうけど、夢ってのは深層心理が出るもんだと思ってる。つまり俺の中の影山さんは、今朝のことをだいぶ引きずっているんだ。男へのコンプレックスを抱いてるってのが、俺の中の影山さん像なんだな。


「私は飛鳥さんみたいにチョロくないのよ。まだ若いし、本気出せば彼氏ぐらい作れるし……」

「そりゃまあまあ作れるでしょうね。可愛いですし」

「アンタ……」


 あー、これ本人と会うの気まずいパターンだわ。夢の中とはいえ、ここまでからかってしまっては、本人の顔をまともに見れないよ。


「なーに玄関でイチャついてんだ、せめて中に入りな」


 どうやら夢の中の飛鳥さんも起床したらしい。……なんか変な表現だな。

 あら、なんか知らんけど影山さん青ざめてるよ。


「え……なんで飛鳥さんが……」

「あがりなよ、美羽。本気出しても彼氏作れない年増女と進次郎君の愛の巣に」


 飛鳥さんは夢の中でも変わらんなぁ。今の台詞、実際に言いそうだもん。


「進次郎君、キミのクソ度胸には感服するよ」


 我が物顔で冷蔵庫を物色しながら、意味の分からないことをほざく飛鳥さん。


「流れ的に両想いのカップル成立だと思ったんだけどね。その矢先にコレだよ。人が寝てる間に浮気たぁ、大した度胸だ」


 どう受け取ったんだろうか。

 好意を無下にしてきたことを謝っただけで、俺が好意を返すなんて一言も言ってないし、別に浮気と呼ばれるようなことをした覚えがない。

 というか……これ本当に夢なんだろうか。

 ただ寝ぼけてただけで、普通に現実なんじゃないだろうか。


(俺、影山さんにとんでもないことしたような……いてっ!)


 夢かどうかを確認するため、足ツボを刺激したら激痛が走った。

 夢の中であっても痛みを感じることはあるっちゃある。だけど、これは明らかに現実の痛みだよ。


「あの……影山さん?」

「え……ああ、なに?」


 なんだ、今の反応の悪さは。飛鳥さんに悪口を聞かれたことを、引きずっているのだろうか。


「さっき女々しいとか、ちっちゃいとか言ってましたけど……」

「なんだ? 私の悪口か?」


 小さいという言葉がひっかかったらしく、飛鳥さんが口を挟んでくる。邪魔だからどっかいけ。


「アンタ、朝のこと引きずってんでしょ?」

「……ええ」


 飛鳥さんに弱み見せるくらいには引きずってたよ。なんなら今も引きずってるさ。

 だから混乱してるんだよ、なんで俺の家まで来たのか理解できない。


「だからって連絡無視しなくてもいいじゃん」

「連絡? あ……」


 スマホをチェックすると、たしかに影山さんからの不在着信と未読メッセージの通知が溜まっていた。

 クソ……大学行く予定だったからサイレントモードにしてたんだが、アダになったようだな。


「すみません……寝てました」

「私の手を握りながらな」


 頼むから口を挟まないでほしい。頼まれなくても口を挟まないでほしい。アラサーなんだから、指示待ち人間になっちゃいかんよ。


「……妙に女慣れしてると思ったら、そういうことだったのね」

「誤解です」

「何が誤解なんだ、腕枕までしてくれたじゃないか」

「いや、それは貴女が勝手に……」


 そうだよ、目が覚めたら腕枕してて焦ったよ。おかげで、まだちょっと痺れてるんだが?


「そもそも、なんで飛鳥さんがいるんですか? それに添い寝って……」


 当然の疑問だろう。添い寝は俺が頼んだけど、よくよく考えたら俺の家にいること自体がおかしいんだよ。仕事どうしてるんだよ、アンタ。


「昨日から泊まってるんだよ。美羽達がジョギングしてる時も、この家で寝てた」

「出会ってから一ヶ月かそこらですよ? 恋路に口を挟みたくないですけど、早すぎます」


 ああ、俺もそう思う。揃いも揃って距離の詰め方がエグいんだよ、インファイターかよ。こちとら陰ファイターだぞ。


「恋も通勤電車も一秒の争いなんだよ」

(上手くないぞ、その例え)

「この前もさ、スナックのママを口説いてたんだよ」

(口説いてないと何度言えば……)


 未智さんもそうだけど、俺を女たらし扱いするノリやめてほしい。百万歩譲って、たらしこんでるとしたら、それはアンタらが『男たらされ』なんだよ。恋に恋するような年齢じゃないだろ。


「大学生がスナックのママを……?」


 そりゃそんな顔にもなるよな。青年でその行動は特殊な育ち方してるもん。


「そういや美羽を連れてったことはないんだっけか。そこのママ、めちゃくちゃ美人でさ、私が横にいるのにいやらしい目で見ちゃってさ」

「見てません」


 アンタらが醜い争いしてたから、俺は酒に集中してたよ。最終的に目の焦点が合わなくなって、ママさんが見えなくなってたよ。


「……その勢いで私も落とそうとしたっての?」


 勢いに乗ってる自覚なんてないし、落とそうとした自覚もない。

 この一ヶ月、言いがかりつけられっぱなしだな。女友達が多い人って、常にこんな感じなのか? 苦労してんだな、陽キャの人達って。


「可愛いって言えば落ちるって……チョロい女だって……そう思ってるから、心にもない誉め言葉をかけたっての? 最低なんだけど」


 文章にすればただの面倒な女に見えるかもしれない。だが、表情と声のトーンを合わせると、かなり危険な状況だとわかる。

 敵意と落胆、悲哀、その他諸々。ありとあらゆる負の感情が組み合わさって、おぞましい集合体となっている。

 長所なのか短所なのかわからないが、そういったものに人一倍敏感な俺にはこたえるよ。また飛鳥さんに泣きつくハメになるよ。


「あの……えっと……」

「待ってくれ、美羽」


 どうにか誤解を解こうと必死に言葉を探す俺を見かねたのか、すかさず飛鳥さんが口を挟む。

 アンタが待ってくれ。これまでの傾向からいって、アンタが口を挟むと……。


「進次郎君は畜生なまでにジゴロだけど、お世辞は言わないよ」


 えっと……。なんだ? フォロー……なのか?


「ただ本音をぶつけただけなんだ。本心に従って動いただけなんだ。なんで玄関でそんな奇行に走ったかは知らないけど、裏なんかないはずだ」


 フォロー……してくれてるんだよな?

 影山さんとの関係悪くなって落ち込んでるって知ってるもんな。仲を取り持ってくれてるんだよな?


「……飛鳥さんの言葉でも、こればっかは信じられません……」


 逆に言えば、基本的には信じるんだな。

 なんやかんやで慕われてるんだな、この人。そういや、商店街でも異常なまでに愛されてたな。


「他の男よりは信用できますけど……それでも、女を弄んでるように見えるんです」


 上げて落とすとはこのことか。

 名誉と不名誉を同時に授かった場合、どういうリアクションをとればいいんだ。


「進次郎君に悪意はないんだ。無自覚に女性をその気にさせてしまうだけで」


 それはそれでタチが悪くないか?

 フォローするフリして攻撃してる……ってわけじゃないよな? 飛鳥さんはそんなことしないよな? 疑心暗鬼になってきたぞ。


「無自覚に女の子を撫でるなんてヤバイですって」

「それはたしかにそうだ」

「一回距離を置きなおしたほうがいいですよ、飛鳥さん」

「それはできん。私は常に背水だ」

「埋め立てましょうよ、そんな堀」


 ダメだ、ツッコミを入れたいけど口を挟む余地がない。

 自分のことで討論している様を隣で傍聴するという生き地獄は、無慈悲にも小一時間続いた。

 だが文句は言えない。よくよく考えりゃ、俺が全部悪いんだから。

 一人でジョギングするのは危ないから、ついていくまではいいよ。だったら飛鳥さんも連れて行けって話だよな。三人の方が襲われにくいんだから。

 男をなめてると危ないから、力の差を教えるってのもいいよ。いいけどさ、いきなり腕を掴むなんておかしいよな。家庭裁判所案件だわ。

 玄関先で撫でたり口説いたりもおかしいよな。擁護の余地なんてねえよ。責める余地だけは無限にあるよ。

 そうだよ、何を言われても仕方ないよ。口を挟めないのも仕方ない。

 気付いたら、パイプカットとか一夫多妻とか契約書とか、議論があらぬ方向に進んでいるが仕方ないよな。魔女裁判に答弁書なんてないんだ。あるのは遺言書のみだ。

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