#30 傷心の小心者

 特段、自分に甘い性格ではないが、今日ばかりは自分を褒めてやりたいね。

 脱力感に見舞われながらも、シャワーを浴びて着替えた自分を褒めてやりたい。

 うん、偉い。向こう一年は頑張らなくていいよ。


「大学あるんじゃなかったのかい?」

「…………」

「そろそろ起きたほうがいいんじゃないか?」

「……起きてます」

「起き上れって意味だよ」

「……」


 昼前だというのに、当然のようにまだ俺の家にいる飛鳥さんが、俺を起こそうとしてくる。気持ちはありがたいけど、今はそっとしておいてほしいんだよ。

 寝て起きるだけで気持ちが切り替わる程、単純じゃないんだよ俺は。


「……何かあったのかい?」

「……」


 言えない、言いたくない。俺が悪いのわかってるもん。

 配信者じゃあるまいし、自分の失態を他者に話すなんて嫌に決まってる。


「大学、休みの連絡入れといてあげようか?」

「大学に連絡なんていりませんよ」

「あ、そういうもんなんだ」


 優しいな、この人は。床に転がされたにも関わらず、気にかけてくれるんだから。

 でも、その優しさが辛いんだよ。情けなくて情けなくて辛いよ。


「あのさ、進次郎君。たしかに私は頼りないかもしれないけどさ、話すだけで楽になることもあるぞ?」

「……ほっといてください」


 せっかく身を案じてくれてるのに、俺はなんて態度を……。

 ああ、自己嫌悪が凄い。


「…………そっか」

「……」


 間をあけたわりには大したことない三文字。あってもなくても変わらない程度の三文字。実際、飛鳥さんとしても深い意味を持たせたつもりはないのだろう。

 だが、俺にとっては重たい呟きだった。飛鳥さんが乗せるつもりのなかった感情を読み取ってしまった気がした。


「キミに何があったか知らないけど、きっと私も関係してるんだな? うん、そうだよな。ごめんよ、入り浸って……大丈夫、ちゃんと私物は持って帰るよ」


 自分に非があると勘違いしたらしく、今までになく暗いトーンでそう言い放つと、荷物をまとめだした。荷物と言っても下着ぐらいなもんだが。


「……」


 本来であれば、無言で見送っていただろう。だが、今の俺にその選択肢は取れなかった。

 大げさかもしれないが、全てを失う気がしたのだ。


「進次郎君?」


 それは、ほとんど無意識だった。気付いた時にはベッドから出ており、飛鳥さんの腕を掴んでいた。


「違うんです……帰らないでください」


 自分でもわかるぐらい、哀れを誘う声と台詞が出た。これもまた無意識だ。


「謝りますから……嫌わないでください……」

「謝るって何を……キミは何を言ってるんだい?」


 身を案じているのか、それとも困惑しているのか、あるいはその両方か。飛鳥さんらしからぬ表情と声色だ。

 いずれにせよ、自然な反応だろう。俺の様子がおかしいのは、誰の目にも明らかなのだから。


「もう床に転がしたりしませんから……帰らないでください」


 なんてムシの良い話だろう。『ほっといてください』と言ったばかりなのに。


「落ち着け、落ち着くんだ。帰らないし、嫌わないから。な? ベッドに戻ろうか」


 体格差をいとわず、脱力しきった俺を立ち上がらせようとする。

 少しでも負担をかけないように、俺も力を振り絞るべきなのだが、それはできなかった。

 力が入らないというのもあるが、それ以上に見惚れてしまっていたのだ。普段から冷たくあしらわれているにも関わらず、懸命に助けようとする飛鳥さんに。


「け、健康的で何よりだ」


 どれだけ頑張ろうと、どれだけ強がろうと現状は変わらない。

 筋力や身長ばかりはどうしようもないらしく、俺の体は一向に持ち上がらない。


「なんで……そんなに頑張るんです? 無理に決まってるじゃないですか」


 我ながら、よく聞けたもんだ。負担をかけている張本人の分際で。

 何も言わず自力でベッドに戻るのがスジなのだが、それでも聞かずにはいられなかったのだ。俺は大の大人、それも男だ。外傷があるわけでもないのに甘えてくる成人男性なんて、捨て置けばいいのに、なぜ本気で向き合えるのか。


「私は年上だぞ? 弱ってるガキに弱み見せてちゃ、早く生まれた意味がないだろ」


 ドラマや漫画ならまだしも、リアルで見たのは初めてかもしれない。年上だという理由で意地を見せた人間は。

 逆のパターンは飽きる程見てきた。年功序列がどうだの目上がどうだの先輩がどうだの、年上というだけで威張ってる人間は腐る程いる。なのに、この人はなぜ……。


「さすがに腰をいわせる前にギブさせてもらうけどな、はは」


 最低な考えかもしれないが、許されるならば、もう少し見ていたい。俺なんかのために頑張る飛鳥さんを。

 だが、ここで立ち上がらないヤツは、男とか大人以前に人間じゃねえ。


「おい? 無理するなよ?」


 自力でベッドに戻った俺を見て、おろおろする飛鳥さん。

 なぜ言わないのだろうか。『自力で立てんのかよ! 努力を返せ!』と。


「すみません……甘えてしまって」

「何言ってんのさ、弱ってる時くらいは頼りにしてくれよ」


 笑顔で息を整えながら、俺の頭を優しく撫でる。

 気持ち悪い表現かもしれないが、心を撫でられているような感覚だ。


「キミは覚えてないかもしれないけどな、姉御肌とか頼りがいがあるとか、キミに言われたの凄く嬉しかったんだよ」


 ……言ったかな。言ったんだろうな。

 見た目とのギャップもあってか、当初は頼りがいがあるように思えたんだよな。婚期に焦る様を見てからは、右肩下がりになってたけど。


「過ごす時間が長くなればなるほど、評価が下がっていってるのを感じてたんだ。だから、事情はどうあれ頼ってもらえるの……凄く嬉しいんだ」


 俺って男は本当に酷い男だ。感じさせるなよ、そんな感覚。

 評価が下がること自体は向こうの責任でも、それを相手に感づかせるなよ。

 今まで自分がされて嫌だったことを、そっくりそのまま他人にやってたんだな。最低だよ、俺は。


「さてと……私も二度寝すっかな」


 わざとらしくアクビをしたかと思えば、クッションを枕にして床に寝転がる。

 俺を安心させるため硬い床に寝転がるその姿は、なんと健気なことか。

 こんな素晴らしい人間を床に転がして、ベッドで寝転がる俺の姿は、なんと醜いことか。


「あの、飛鳥さん……」

「なんだい? 一緒に寝てほしいのか? なんてな、はは」

「……お願いします」

「……え?」




 飛鳥さんが小柄というのもあってか、成人二人でシングルベッドに入っているにも関わらず、そこまで窮屈さは感じない。

 その代わりと言ってはなんだが、なんとも言えない気まずさを感じる。

 お互い眠気がないのもあってか、無言で天井をじっと見つめている。何をしてんだろうな、平日の真昼間に。


「飛鳥さん」


 気まずさに負けて、同じく天井を見つめているであろう飛鳥さんに声をかける。


「なっ、なんだい? トイレかい?」


 先程までの頼れる飛鳥さんは、一体どこに行ったのだろうか。

 理由まではわからないが、妙に慌てている。


「もう少しこっちに来ないと、ベッドから落ちますよ?」


 俺は壁側だからいいが、飛鳥さんは寝返り一つで転落の恐れがある。今は起きてるからいいけど、寝落ちした場合危険だ。


「い、いいのかい? これ以上近くに寄っても?」

「誰がいつ、ダメって言ったんですか?」

「心配しなくても、落ちないぞ? 眠れそうにないし」

「……寂しいんですよ、こんな狭いベッドの上で必死に距離を開けられると」


 普段密着してくる飛鳥さんに距離を開けられるというのは、中々心に来る。

 女々しくも傷心している今の俺なら、ダメージもひとしおだ。


「都合の良いことを言ってるのはわかってます。でも今は少しでも近くにいてほしいんです」

「わ、わかった。狭かったらいつでも言ってくれたまえ」


 彼女にはゼロかイチしかないのだろうか。肩が触れ合う距離まで近づいてきた。

 お互いに半袖なので、露出した腕同士が密着する。冷房を強めにかけているのもあってか、心地よい温かみを感じる。


「飛鳥さんといると……安心します」

「そ、そうか、そうだろう。年上だからな、ははは」


 突然褒められていい気になったのか、俺の手を握る飛鳥さん。

 普段であれば絶対にしないことだが、俺は優しく握り返した。


「し、進次郎君?」


 自分からやりだしたくせに、あわてふためく飛鳥さん。愛おしいというのは、こういう時に使う言葉に違いない。言語学の極地に達したよ。


「飛鳥さん……変なことを聞くかもしれませんが、今まで人から嫌われたことはありますか?」

「え……どうだろ、気付いてないだけであるかも」


 気付いてないなら、それはゼロとカウントしてもいいだろう。いや、知らんけど。


「……俺は……自分でもよくわからないんですけど、嫌われるのが怖いんですよ」

「それはまあ……誰だってそうじゃないか?」

「そうですね……でも、人一倍過敏な気がするんですよ。見下される分にはいいんですけど、落胆されたり見限られたりするのが怖いんです」


 別に暗い過去があるわけではない。

 俺がこうなるに到った決定的な一撃というのも、特に思い浮かばない。きっと積み重ねなのだろう。

 共感性が強いのか、被害妄想の気があるのか、それとも何か別の要因があるのか。自己分析が足りていないので細かい説明はできないが、他者が俺に向ける負の感情が溜まりに溜まった結果だろう。


「だから……必要以上に仲良くなるのも怖いんですよ」

「……うん」

「飛鳥さんに冷たくしてるのも、一定の距離を開けとかないと……嫌われた時のダメージが大きいかなって……」

「……うん」


 俺の身勝手な言い分に口を挟むことなく、短い相槌を打ち続ける飛鳥さん。強いて言うなら、握る力が少しばかり強まっている気がする。


「自分でも最低だと思います……飛鳥さんが傷つくって……少なくとも可能性があるって気付いてたくせに、保身に走ったんですから」

「……」

「酷いことをしてるって自覚するのが怖くて……正当化していました……この人は婚期に焦っているだけだから、まともに相手する必要もないって……」

「いいんだよ、間違っちゃいないから」


 怒ってもいい場面だろうに、俺に気を遣って笑い飛ばす。

 子供の頃に、こういう本物の大人がもっと周りにいれば、俺の人生も少しはいい方向に変わっていたのだろうか。いや、そんなこと考えている時点で俺はダメなんだろうな。


「そもそも進次郎君、別にそこまで酷いことしてないぞ? 目覚める度に硬い床の上ってのは、ちょっと心にきたけどね。あと、腰にもきた」

「ベッドから降ろすってのは正当な行為だと思いますけど、好意を無下にしてきたじゃないですか、俺は」

「いいんだよ。追いかける方が燃えるからさ、恋ってのは」


 か、かっけぇ……。生粋の江戸っ子だよ、この人は。

 嘘発見器にかけずとも、口八丁じゃないって確信がもてる。


「何があってもキミを嫌ったりしないからさ、キミも私を嫌わないでくれよ?」

「なんやかんや言いつつも毎回家に上げてる時点で、嫌うことなんてないですよ」

「……そっか」


 先程俺を不安にさせたのと同じ三文字だが、今度は違う。

 詩的とは縁遠い俺には、他者を納得させるような上手い表現など思い浮かばない。 当事者の俺にしかわからないだろうが、枯れ果てた心に栄養剤を打たれた気分、というのが妙にしっくりくる。


「さ、前みたいに乱暴に頭を撫でてくれよ。ほっぺたも触っていいぞ」

「すぐ調子に乗るんですから……ははは」


 生娘のように、ベッドの端で緊張していた飛鳥さんはどこに行ったのだろうか。

 帰ってきてほしい気もするし、今の飛鳥さんでいてほしい気もする。案外ワガママなんだな、俺って。

 ん? 前みたいに……? そんなことしたっけな。

 まあいいや、大事なのはこれからなんだから。

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