#26 研究者たちの最期
聖人とうたわれた茜さんといえど、俺の不甲斐なさに業を煮やしたらしい。
ハンバーガー店を出た後、俺のエスコート権は当然のように剥奪され、公園まで連れてこられた。
またベンチなの? お年寄りのデートかい? 熟年夫婦かい?
「あの?」
「んー?」
ルンルンしちゃって可愛いな、ホントに。ハンバーガー店での無言は、いったいなんだったんだ? 失言は一切していないはずなのだが、乙女心というのは実に難しいものだ。
とりあえず俺に失望したわけじゃないみたいで一安心だけどさ、心から安心できないんだよ。
「なぜ腕を組むんです?」
監視されてんだよ、このデートは。そんな状況で腕を組んでベンチに座るなんて、自殺行為では?
いや、こういうデータが欲しいからこそデートの指示を出してるんだろうけどさ、あの人なぜか不機嫌なんだよ。どういう絵を所望してるんだよ。お望みの絵じゃないのか?
「んー? 組みたいからよぉ」
そんなことはわかってる。組みたくなきゃ組まないさ。羽衣さんの存在に気付いていて、煽ろうっていう悪趣味な思考に至らない限りは。
「俺としては嬉しいんですけど、茜さん的には……」
「進ちゃんが嬉しいなら私も嬉しいんよ」
聖人かよ。殉教者かよ。令和のマザーテレサかよ。
「茜さん、男ってのは単純なんですよ」
「んー? そうなん?」
「すぐに勘違いするんですよ、美人にこういうことされると」
茜さんの場合、性格もいいしな。典型的なサークルクラッシャーだよ。オタサーの姫を没落させて、校舎裏に呼び出されるヤツだよ。
エッチな本だと、対抗心を燃やしたオタサーの姫が過激なサービスをしだして、なぜかクラッシャーの方もそれに対抗して収集つかなくなるみたいな……いや、そういうの読まないから知らんけど、ありそうよね。
「勘違いの意味はわかんないけど、私はべっぴんさんかい?」
わざわざ聞くことか?
「べっぴんさん、べっぴんさん、一人飛ばしてべっぴんさん」って持ちネタの芸人さんが、飛ばせないくらいにべっぴんさんだよ。
「なんで自覚ないんですか? これまでの人生で百回ぐらい言われてるでしょう?」
「お上手やねぇ」
上手いのはアンタだよ。ミスコンで他の参加者に二着争いさせられるご尊顔を、俺なんかの腕にスリスリしちゃってさ。勘違いしないことに定評がある俺でも、こんなことされたら落ちるよ。飛鳥さんだったら『犬のマーキングですか?』とか適当にあしらうのに。
「進ちゃん、女の子も単純なんよ?」
「と、言いますと?」
「お世辞ってわかっててもドキドキしちゃうんよ」
本当に無自覚なのかよ。鈍感系主人公かよ。謙虚さの塊かよ。切っても切っても謙虚かよ。
「俺はお世辞なんか言いませんよ。友達が少ない分、上辺だけの付き合いはしないって決めてるんです」
「進ちゃんは本当にええ子やねぇ」
良い子判定がゆるすぎる。ホテルによくある、指定されたカード以外挿しても反応するタイプの照明かよ。
「ええ子にはご褒美あげんとねぇ」
甘美な言葉と共に座る位置をずらし、俺の頭を優しく掴み、無理矢理寝かせる。
え? これって……。
「茜さん?」
これはその、いわゆる……。
「寝心地はどうですかぁ?」
「……俺の家の枕は粗悪品だったと悟りました」
「進ちゃんは面白いねぇ」
これは全男子憧れの膝枕か? え? これってロハ? 全財産払っても足りないのでは? 消費者金融に行かなきゃダメ?
「あの、俺なんかが……」
「んっ」
申し訳なさから起き上がろうとする俺の頭を押さえつける。
いいの? 俺なんかが幸せになっていいの? 人々が幸せになるしわ寄せを受ける運命の俺が、幸せになっていいの?
「茜さん……」
ああ、ダメンズ代表の俺がさらにダメになっちまう。ダメの二乗になっちまう。
「ごめんねぇ、本当は風夏ちゃんのほうがよかったよねぇ」
「いや、茜さんが一番ですけど、そういう話じゃ……」
「嬉しいねぇ。私が一番なんて」
そりゃムチムチ度でいえば風夏さんかもしれんけどさ、やっぱり茜さんだよ。
俺ごときが女性達を比較していいものか悩むけど、茜さんの膝枕は至高だよ。
祖母のような安心感が俺の理性を崩壊させる。まさしくホウカイテイオーだよ。
「進ちゃん、あのね……いつもは孫を見る目だったんだけどね」
「あっ、やっぱり」
そうだよな、男として見られてないよな。知ってたよ。
「でも今は…………」
「今は?」
「今はね……」
なんだ? とうとう曾孫まで昇格したか? 孫と曾孫の序列わからんから、実は降格かもしれんけど。
それにしたって、何をもったいぶっているのだろう。お姫様抱っこをねだったり、腕組んだり、膝枕をしたり、やりたいことをなんでもできる茜さんが、何を躊躇っているのだろうか。
「今は、進ちゃんのことを一人の……」
「やぁ、奇遇だね」
意を決した茜さんの言葉を不届き者が遮る。
「あらぁ、未智ちゃん」
「やぁ」
なぜだ? なぜ出てきた?
「羽衣さん……」
「未智」
「え……」
「未智って呼ぶ約束だよ」
誰と誰がしたんだよ。勝手に人の実印を持ち出さないでくれ。
「約束を守れない男は……」
「ストップストップストップ!」
慌てて起き上がり、羽衣さんの蛮行を阻止する。
「必死すぎ」
そりゃ必死になるさ。股間の前にデコピンをセットされたんだもの。脅しじゃなく本気で放つタイプの女だもの。
「茜さん、今の見た? こんなダサい男やめたほうがいいよ」
ダサくねえよ。いや、俺はダサいけど、今の行動はダサくねえよ。
「未智ちゃん、意地悪しちゃあかんよ」
「そうだぞ」
「男の子にとっては凄く痛いんよ。冗談でもダメ」
「そうだぞ」
便乗して攻勢に出る俺に苛立ったのか、再びデコピンをセットする。
初めて見たが、人の頭にバットを振り下ろせるタイプの目だと確信した。
「冗談です。未智さん、冗談です」
「ん、許す」
なんで上からやねん。どう譲っても対等だろ。
「茜さん、公衆の面前で膝枕はよくない」
それについては同意だ。同意だが、なぜ出てきたのだ? こういうデータが欲しいんじゃないのか? お望み以上のデータ収集ができたんじゃないのか?
「だって……進ちゃんが情熱的だから……」
誰の何を見たんだよ。
「それは知ってる」
だから、誰の何を……。
「私も二人っきりの時、急に顔を埋められた。私のお尻に」
おい!? それは言わない約束だろ!? 架空の約束を履行するくせに、実在の約束は破棄するのか!? 脂ぎった政治家かよ!
「進ちゃん?」
なんで怒ってんの? いや、怒るか。友達に卑猥なことしたら、怒るか。いや、してないんだけどさ。いや、したといえばしたんだけど。
「事故です、事故」
「したんやね?」
「不可抗力です」
被害者なんだよ、信じてくれよ。俺に非はないんだよ。
そんな心の叫びが通じることはなく、茜さんは容赦なく追及してくる。
「どんな事故?」
「えっとですね……羽衣さんに痛いことされて……立てなくて……」
「未智」
苗字呼びが気にくわないらしく、口を挟んでくる。頼むから黙っててくれ。
「未智ちゃんに何をされたん?」
「えっと……」
「何もしてない。進次郎君は、お尻派だから私に欲情した」
縫うぞ。口を縫うぞ。ほどけないように返し縫いするぞ。そしてナチュラルに下の名前で呼んできている件について。
本当にやめてくれよ。茜さんの前でそういう卑俗な話は。
「進ちゃんは小さい方がいいのかぇ?」
え、食いつくの? なんで嗜好を細かく探ろうとしてくんの?
「私はこう見えて大きい方だと思うんやけど……」
聞いてないです。聞いてないけど、興奮してしまうのが男の悲しい性よ。
ダメだ、影山さんのパンチラというかパンモロを思い出してしまったよ。最悪の連想ゲームだよ。
「大きかろうが小さかろうが、茜さんは魅力的ですよ」
無言を貫くのもまずいと思い、咄嗟に捻りだした言葉がこれだよ。そりゃ女性にモテないわ。我ながら気持ち悪いもの。
「そうやってすぐに口説く。イケメンじゃないくせに」
「ぎっ!」
極めて失礼なことを言いながら俺の指を噛む。なんで羽衣さんは、すぐに噛みついてくるんだ?
「進ちゃん……私は……」
「え……」
なぜか赤面した茜さんが、何かを伝えようとしている。
先ほど言いかけた言葉なのか、それとも俺の気持ち悪い発言に対する返答なのか。
その答えは、噛みつき女によって闇に消え去る。
「進次郎君、門限だよ。お家に帰ろう」
「あだだだだ!」
よほど、俺の輝かしい未来を奪いたいのか、髪の毛を無慈悲に掴んで立ち上がらせてくる。やめてくれ、違う意味で輝かしくなっちまう。将来ハゲそうにないってのが唯一の自慢なんだよ。心のよりどころを奪わんでくれ。
そして、一人暮らしに門限なんてねぇ!
「未智ちゃん、そんなことしたらあかんよ」
「はご……未智さん! 髪の毛は本気で怒りますよ!」
さすがの俺も大きい声が出る。女性に怒鳴るなんて最低だという古臭い意見もあるだろうが、そいつらも今この時に限っては味方してくれるだろう。ハゲというのは、それほど恐ろしいのだ。
「怒鳴った? 私に怒鳴った?」
あ、まずい。死んだわ俺、進だけに。
本格的にモルモットにされてしまう。実験が次のステージに上がってしまう。人間観察から薬物投与まで進んでしまう。
俺の感度が三千……。
「なんで怒鳴るの?」
「未智さん……?」
え? もしかして泣きそう? 涙腺が無い状態で生まれてきたと、俺の中で噂になっている羽衣さんが?
「なんで……なんで怒鳴るの?」
なんで目に涙を溜めてんの? なんで被害者ヅラなの? 明確に怒鳴られる理由あるじゃん。っていうか怒鳴ってないし。
「進次郎君が悪いのに……ただの恋愛実験なのに、本気でたぶらかそうとする進次郎君が悪いのに……」
鬼の目にも涙と言うべきか、涙が頬を伝うのを見て、さしもの俺もうろたえる。
かなりマズい発言をしている気がするけど、畜生の生まれ変わりと名高いあの羽衣さんが泣き出したことに気を取られて、言葉が耳に入ってこない。
「未智さん、大きい声出してすみませんでした。怒ってないですよ」
適当に洗濯しすぎて色落ちしたハンカチで羽衣さんの涙を拭ってやる。
ワンパターンなラッパーじゃないけど、親に感謝だね。ハンカチとティッシュを持ち歩く習慣を身につけさせてくれたんだから。
「でも本気で怒るって言った……私は悪いことしてないのに……」
嘘だろ? 男の髪だからって、引っ張ってもいいのか? SNSでよくいる、男にビンタして返り討ちに遭った女を擁護する人かよ。
「いや、髪の毛はさすがに……でも、怒鳴ってすみません。泣かないでください」
自分が悪くなくても、女性相手には謝る。小学校で学んだことで、一番大事なことよね。
正直、腑に落ちないが我慢しておこう。今は泣き止ませるのが先決だ。
「四又かけてるくせに、茜さんにまで手を出して……酷い……」
「誤解ですって」
「私はデータ取れたらそれでいいのに……完全に口説いてた……」
身に覚えがなさすぎる。言いがかりにも程があるだろ。
しかし、それを指摘すれば泣き止む確率が下がってしまう。男は黙って謝罪だ。
「未智さん、落ち着いてください。ほら、深呼吸して」
涙を拭いながらゆっくりと背中をさする。身長差もあって、子供をあやしている気分だよ。そんな経験ないんだけどさ。
根気よく相手をすることニ十分。ようやく羽衣さんが落ち着きを取り戻し始める。
「進次郎君は言われたことだけをすればいい。必要以上のことはやめて」
「……はい」
「帰ったら反省会だからね」
え? また家に来るの? 飛鳥さんと羽衣さんが頻繁に来るせいで、女性をとっかえひっかえしてるヤバいヤツだと思われそうなんだけど。この前の件もあるし。
「じゃあ帰るよ」
「……はい」
反抗する気も起きず、差し出された手を黙って握り返す。
ああ、もうどうにでもなれ。そんな投げやりな気持ちで、羽衣さんと共に帰路につこうとした矢先。
「待ちんしゃい」
反対の手を茜さんに掴まれる。
やべっ、忘れてた。
「進ちゃんと未智ちゃんのお話を聞きたいねぇ」
「お話……とは?」
「やあねぇ、進ちゃん……データとか実験についてに決まってるでしょう?」
今までの人生で何度怒られたか覚えていないが、今にして思えば彼らはさほど怖くない。
表情だけで怒りの度合いが丸わかりなのだから。
この人はどうだ?
全ての人を和ませる穏やかな笑顔で、激怒していらっしゃる。いや、実際に激怒しているかどうかは、目に見える情報だけではわからない。わからないが、確実に激怒している。全財産を賭けてもいいぐらいだ。
この後、羽衣さんと共に茜さんの家まで連行されたのだが、生きた心地がしなかった。さしもの羽衣さんも青ざめていたことから、命の危機に瀕しているといっても過言ではないだろう。
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