#19 行かず後家VS行かず後家
「さあ、最後の仕事だよ」
そう言いながら飛鳥さんが指差したのは、毒々しい色の看板が立っている店。開店前のスナックだ。
おかしいな、碁会所で最後って聞いてたんだけど。
そもそも、俺なんかがスナックで何をすればいいんだよ。
「さすがに飲食店の接客は……」
「ダイジョビ、ダイジョビ」
あれ、この人ってアラフォーだっけ? ダイジョビって……。
「キミの、いや、私達の共同作業は、バウンサーだよ」
「お疲れさまでした」
帰路につくべく、間髪入れずに背を向ける。共同作業という響きも嫌だが、それ以上に仕事内容がおぞましい。
「知らなかったのかい? アラサーからは逃げられない」
大魔王のような台詞を吐きながら、俺のベルトを鷲掴みにして、逃走を阻止する。
「勘弁してくださいよ。バウンサーってアレでしょ? 用心棒でしょ?」
さすがに日本のスナックで酔っぱらいと殴り合いにはならんだろうけど、それでも俺には荷が重すぎる。
そもそもスナック自体、ハードル高いんだよ。行ったことないけど、新参者に厳しいイメージあるんだよ。
「大丈夫だよ、落ち着け」
「あだだだだ!」
俺の抵抗を阻止するためか、ベルトの前後を掴んで上に持ち上げてくる。ズボンが股に食い込んで結構痛い。
もう少しまともな方法はなかったのか? いや、ある、いくらでもある。
「最近、ママと二人っきりの時に口説く客がいるんだよ」
「なるほど、二人っきりにならないように我々に居座ってほしいと」
「そういうこと。ヒョロヒョロでナヨナヨした兄ちゃんらしいから、喧嘩にはならないさ」
喧嘩にならない人ほど危ないと思うんだよな。そういう人の怒りを買うと、喧嘩以上のことをされそうだし。刃傷沙汰とかさ。
「まあまあ、タダ酒飲めると思ってさ」
これ以上の問答は受け付けないと言わんばかりに、俺の手を引いて入店する。
本当に強引だよな。気付いたら結婚させられてそう。
「あら、飛鳥ちゃん。来てくれたのね」
おいおいおい、マジか?
場末のスナックのママなんて、しみったれたオバムってのが相場ではないのか?
「若っ……」
どっからどう見ても二十代後半のお姉さんだぞ。
人を見かけで判断するのはよろしくないが、この人はきっと魔性の女だ。俺のシックスセンスがそう囁いている。
「あらあらあら! これが噂の彼氏さん?」
「え、噂になってるんですか?」
飛鳥さんの方をチラ見すると、Vサインを返してきた。
違うんだ、返してほしいのは謝罪なんだ。誤った情報を流布していることを謝ってほしいんだ。
「さぁさ、座って座って」
(落ち着いた大人の女性っぽい見た目だけど、意外と快活な感じなのか?)
間違いなく特等席であろう、ママさんと一番近い席に招待される。いいのか? 常連客がブチ切れないか?
「あの、店長さんですか?」
「え? そうだけど?」
「スナックのママさんにしては、ずいぶんお若いような……」
「あらあらあら、お上手ねぇ」
え? 飛鳥さんと同じで、実は若くないパターン? いや、飛鳥さんは若いけど。
「オバサンにお世辞なんて言わなくても、今日はロハよ、ロハ」
なんだっけ、ロハって。タダって意味だっけ? 〝只〟という漢字がロハに見えるってのが語源だっけ。神をネ申と書くのと同じようなもんか。
「オバサンって……二十代ですよね?」
「もぉ、彼氏さんったら……いけない人……」
妖艶な表情で顔を赤らめる。
危ないな、俺が年下派じゃなきゃ落ちてるよ。そりゃ変な客に口説かれるわ。
「進次郎君? 彼女の前で浮気たぁ、大した度胸じゃないか」
すっかり彼女ヅラの飛鳥さんがジト目で俺を睨む。
仮に恋人だとして、美人と世間話しただけで浮気判定なのかよ。束縛は嫌だぞ。
「進ちゃん。私はフリーよ」
「ママ、ダメだよ。進次郎君はスケベだから、誘惑しないでくれ」
「あらあら、スケベな若い子は歓迎よ」
「行かず後家が何を言ってるのさ」
「あら、お互い様ではなくて?」
茶番だよな? 女の戦いが繰り広げられてるように見えるんだけど。
どうでもいいけど、この人〝あら〟多いな。すでに十回くらい言ってない?
っていうか結局、何歳なんだよ。高めに見積もっても三十前半だと思うんだが。
「ママはモテるんだから、他の男を探してくれないか?」
「オジチャンにモテてもねぇ……」
「何が不満なんだい? オバチャンなんだから、モテるだけで儲けものだろう」
まだ続くのだろうか、この茶番。酒の肴にしてやるから、早く酒を出してほしい。
とりあえず、催促の意を込めてメニュー表を眺める。
酒の種類自体は多いが、カクテルの類が少ないのはマンパワーの問題だろうか。
つまみも手軽に出せるものが多いな。
「あら、気付かなくてごめんなさい。好きなの頼んでちょうだいね」
「一番高いのいっとけ、進次郎君」
「……ビールで」
せっかくのタダ酒だが、初見で良い酒を頼むのは、さすがに日和る。
何が一番高いのいっとけだよ。まだ開店前だから仕事始まってすらないってのに、頼めるかよ。
「あら、遠慮せずに、ウイスキーとか注文していいのよ」
ウイスキーか、ショットならさほど高くはないだろうし、ありかもな。
そう考えながら、ママさんが指差した先に目をやると、まさかの金額に度肝を抜かれた。
いやいやいや、ショットで三千五百円って、さすがに申し訳なさすぎる。
「ビールでお願いします」
「遠慮してるの?」
「ママさんと飲めたら、なんだっていいですよ」
何を言っているんだ、俺は。
嘘はつきたくないし、不快な思いもさせたくない。そんな欲張った思考から捻りだした言葉だったのだが、我ながら臭いな。
いや、大丈夫。ママさんとは初対面だが、何人もの男を手玉に取ってきた歴戦の猛者だということは想像に難くない。これくらい、華麗に処理してくれるだろう。
「あらっ……あらあらあら」
困惑した様子を見せるママだが、これは引いてるというより、意表を突かれてテンパってるような感じだ。
あれ、本気で刺さってない? ラッキーパンチがクリティカルヒットしてない?
いや、これも数あるテクニックの一つにすぎないはずだ。本当は見られても平気なくせに、胸元を隠して恥じらうテクニックと同じようなもんだろ。
演技だということはわかっている、わかっちゃいるんだが……。頭では、わかっちゃいるんだが……。
魔性の女の手練手管に揺れ動いている俺の肩に、小さな手が置かれる。
「進次郎君? キミはイケない子だなぁ」
伴侶を自称する般若が俺を咎める。なんでお前もママさんのテクニックに騙されてんだよ。
待て、食い込んでる、爪が食い込んでる。
「進ちゃん、女を本気にするのはアレよ。一度本気にした以上は、最後までアレしないと男としてアレよ」
ママさんが、頼んでないはずのウイスキーを俺と飛鳥さんの前にそれぞれ置く。
ママさんは困惑した表情から一変して、すました表情をしているが、誤魔化されんぞ。完全にパニック起こしてんじゃねえか。
まさか、これもテクニックか? 口説き文句が本気で刺さったと思わせるためのテクニックか?
いや、違うわ。演技とかじゃなく、本気で刺さってるわ。だって、ウイスキーが表面張力発生するくらい注がれてるもん。なんならちょっと零れてるし。
「ママ、今日は厚着してくれないか? 進次郎君に肌を見せないでくれ」
いや、見ないって。いやらしい目で見たりしないって。見たとしても、飛鳥さんがどうこう言う権利ないって。
ママさんもママさんだよ。客に口説かれるなんて、日常茶飯事すぎて辟易としてるだろ? 俺の適当な一言で、生娘のような反応をしないでくれ。
「進ちゃん。今年で四十五なんだけど、本当にいいの?」
「いや、口説いたつもりは……四十五!?」
嘘をつけ、嘘を。一瞬信じちまったぞ。
飛鳥さんが二十七歳ってのも無理あるけど、それ以上に無理があるわ。
「さすがに騙されませんよ。こんなに肌が綺麗な四十五歳がいるわけないでしょう」
「進次郎君、いい加減にしろよ」
「あだっ!?」
堪忍袋の緒がプッツンしたらしく、人差し指を噛まれる。狙ったのか知らないが、関節を噛まれたので結構痛かった。
「噛まないでくださいよ、もう」
「未智はよくて私はダメなのかよ」
半ギレでウイスキーを飲み干す。ショットとはいえ、そのペースは危険では?
「ママ、おかわり」
まだウイスキー飲むのかよ。遠慮しろ、遠慮。
「ねえ進ちゃん、もう一回言ってくれる?」
肌を褒められたのがよほど嬉しかったのか、アルコールを所望する飛鳥さんを無視してアンコールを所望するママさん。
飛鳥さんが怖いけど、もう一度言ってあげることにする。
「瑞々しい肌ですね。四十五歳だと言い張るには、肌も顔も綺麗すぎます」
「あらあらあら」
うわ、めっちゃ嬉しそう。
まさかとは思うけど、ガチで四十五歳なの?
「おい、褒める相手を間違えてるぞ」
不貞腐れながら、俺のウイスキーを一気飲みする。なんだこいつ、一分かそこらで七千円分飲んだぞ。
「進ちゃん、どんどん飲んじゃっていいのよ」
大きめのグラスにウイスキーを注いで俺の前に置く。
おそらく三百ミリリットルは入ってると思われるが、勘弁してほしい。
ショットで三千五百円する高級な酒を、こんな大量に飲むのは気が引ける。
「あの、あんまり金持ってないですよ? 俺」
「ロハって言ってるじゃない。お小遣いあげたいくらいよ」
逆キャバクラかよ。これが噂のママ活か?
このチョロさでスナックのママって、仕事間違えてるだろ。
変な客に口説かれて困ってるのも頷けるよ。押しに弱すぎる。
「お小遣いはいらないですけど、ウイスキーいただきますね」
早く飲まないと飛鳥さんに飲まれかねないので、渋々ウイスキーに口をつける。
さっきのショットが三十ミリリットルで、これが三百ミリリットルだとすれば、三万五千円? 心苦しすぎる。
「え、飲みやす……」
普段飲んでるウイスキーがダメなのか、これがよっぽど良いのかわからないが、非常に飲みやすい。金持ちって、いっつもこんな良い物を飲んでるのか? 脱税バレて捕まればいいのに。
「チョコもあるわよ」
一口サイズのチョコをカウンター越しに食べさせようとしてくる。いくらなんでもサービス良すぎでは?
四十五歳と知ってなお、ドキドキしてしまう。カウンターから無理に手を伸ばしてるから、脇と胸元がよく見えるってのもありがたい。ああ、飛鳥さんが言う通り俺はスケベかもしれない。初めて気づいたよ。
「あいたっ」
浮気は許さんとばかりに、飛鳥さんが身を乗り出してチョコにかぶりつく。ママさんの指もろとも。
「あらあら、こんなので嫉妬するなんてお子ちゃまね」
「オバチャンから見れば、そうかもね」
「進ちゃんが二十代って言ってくれてるんだから、進ちゃんの前では二十代のお姉さんなのよ」
「女泣かせのお世辞を真に受けるあたりがオバチャンなんだよ」
この二人って顔見知りだよな? 仲良いんだよな?
そして、女の喧嘩に俺を絡めるな。誰が女泣かせだ、お前が勝手に泣いたんだよ、たかが将棋で。
もういい、もうどうでもいい。付き合いきれん。
バウンサーがどうとか言ってたけど、もう知らん。さっさと酔いつぶれて寝逃げしよう。
現実逃避のためにウイスキーを一気飲みする。
ウイスキーなんか一気飲みしたら、どうなるかわかってたはずなのに……。
このウイスキーが悪いんだ……飲みやすすぎるから……
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