その日

 それは、卒園式の日だった。


 いや、その次の日か。

 一日当番だと日付の感覚が狂う。


 とにかく、瑠璃子の初めての卒業の日、僕は文字通り一日中消防署にいた。

 その日は珍しく救急要請も消防依頼も無く、平穏無事に過ぎていった。

 そんな中、友加子からは瑠璃子の卒園式の様子が写真や動画で送られてきた。


 瑠璃子の晴れ姿。

 慣れないドレスの裾を嬉しそうに振っている。


 それを説明する友加子。

 こちらも昔よりは堅めの晴れ着で嬉しそうにそれを説明してくれる。

 何故か自分にカメラを向けて。


 そんな2人の姿が愛おしかった。

 そして、そんな愛おしい2人や、他の市民、その市民にとっても愛おしい人々を護る任務に着いている自分が誇らしかった。


『ジャーン!瑠璃子からのお手紙です!』


 友加子は嬉しさを通り過ぎて半分泣いているような顔で、2通の封筒と一緒にインカメラに映した自分の動画を送って来た。


『あなたの分は後でわたして上げるから、先ずは私のを見るね?』

 画面の中の友加子はそう言うと、瑠璃子の字が書かれた封筒の1つを開け始める。

 そのとき、スマホを置いたのかしばらく天井だけが映る。

『後で写真も送るけど、先ずは私の分だけ読むね?』

 カメラの位置を直した友加子の顔が映る。

 その顔は手紙を凝視したまま振るえる口元以外動けなくなっていた。


『あ、ちょっとゴメン。うまく読めないから、後で写真だけ送るね?』

 友加子は眼鏡を外して溢れた涙を拭うと画面の方に手を向け、そこで動画は途切れる。


 その後しばらくしてから「あなたのは直接みてね」とのメッセージと一緒に先程読み上げられなかった瑠璃子の手紙の写真が送られてきた。


 ママえ

 いつもいっぱいいてくれてありがと。

 おしごとたいへんで でもがんばるのすごいとおもいます。

 かぜのときいっしよにいてくれてありがと。

 ルリコはママといっしよてあんしんだよ。

 これからもいっぱいありがと。


 ルリコ



 これは、泣くだろうなぁ——。

 僕でも危なかった。


 そうか。

 僕の分もあるんだなぁ。


 そう思うと、任務解除までの気力を得られると共に、そのときまでの時間が酷く長くも感じられた。


 そうして仮眠を取り、報告書や引き継ぎなどを完了し、大分高くなった朝日が目に刺さる中、僕は家に帰った。


 途中、未だ春休み前の小学生たちがランドセルを揺らして走っていくのが目に入る。


 来月には瑠璃子もあの仲間入りなんだなぁ——。

 大変だったけど、何だかあっと言う間だった気もするなぁ——。


 そう思いながら、スクールゾーンを避けつつ家に向かう。

 自転車だから道交法上は問題ないのだが、何となく「車両」と言う区分が気になるし、子供を持つと他の子の安全面も気がかりになってくる。


 家の近くの交差点、そこに友加子と瑠璃子は立って僕を待ってくれていた。

 2人とも卒園式の時と同じ格好をしている。

 瑠璃子は両手を上げて僕を待ってくれていた。

 ちょうど赤信号になったので、僕はそこで自転車から降り、2人に手を振るとヘルメットを外して籠に入れる。


 交差している道路の歩行者用信号機が点滅し赤になる。


 もう直ぐ僕も向こう側へ行ける。


 車両用信号機も赤になる。


 後数秒で、家族一緒になれる。

 いつもは夕方近くまで寝てるけど、今日は無理してでもお昼は一緒に食べたいな。


 こちら側の信号機が青になる。


 さあ——。


 それは、一瞬だった。


 僕が歩行者用横断歩道を横断しようと力をいれた瞬間、大型トラック、推定10トン車が僕の視界を横から覆いつくした。

 

 いやにゆっくりだな——。


 瑠璃子を庇おうと抱えて自分の体を車両の前に移す友加子が見えた。


 あ、助けないと——。


 それが、僕の見た2人の最期の姿だった。


 24時間勤務から休憩を入れずに現場移動をした為の過重疲労による運転手の失神。

 当該運転手の操縦するトラックは信号を無視しそのまま信号機をなぎ倒し歩道へ乗り上げ、そこにいた被害者2人を巻込むと、その後方のコンクリート塀へ突入し破壊、前輪を大きく乗り上げた後、奥のアパートのベランダへと突進、停止。

 しばらく白煙を上げた後、出火・炎上。

 当該運転手を含む三名は即死——。


 こんなときでも円滑に警察と救急隊に連絡し、報告を上げられる自分がイヤになった。

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