第4章 雪の王子(第6話)


《第6話》


目の前に王子がいる。

氷柱のような長いまつ毛、

透き通った冷たい瞳は氷のようだ。


王子はじっと私を見つめていた。

その細くて白い腕が、

縋り付くように私へと伸びる。


「ひまりさん、僕をここから出して。」


出して、というが王子は別に拘束されている訳ではない。

確かに果てしなく長い道のりだが

自力で降りる事は出来た筈だ。


「王子はどうして今まで逃げなかったの?」

「僕は1人じゃこの階から出られないんだ。

誰かが助けに来ないと階段を降りられない。」


王子は「見てて」と言って、

階段へと歩き始める。

下に降りようとした瞬間、

いきなり足が溶けた氷のように

ドロドロと液体に変わる。


王子はバランスを崩して倒れ込んだ。


「ね?本当でしょ?

誰かと手を繋いで降りないと

僕は溶けてしまうんだ。」


慌てて駆け寄ると、少しずつ王子の足が元に戻り出した。

今度は王子の手を握り、一緒に階段を降りてみる。

すると何の問題もなく1つ下の階層まで行く事が出来た。


王子の手は驚くほど冷たく、氷というより死人のようだ。

最初から冷たい、というよりも

元々あった熱が消えてしまったようなゾッとする冷たさだ。


「王子はどれくらいここに閉じ込められていたの?」


階段を降りながら私は王子に尋ねる。


「1年3ヶ月と12日。

僕にとっては殆ど永遠だね。」

「結構長い時間いたんだ。

1人で寂しくなかった?」

「寂しい?どういう事?

それにずっと1人だった訳じゃないよ。

夜の間だけは女王が側にいたからね。」


女王?

あの時、王子の隣にいた女性の事だろうか。


「そういえば女王は今ひまりさんが着ているのと同じドレスを着ていた。

彼女が僕をここへ連れてきたんだ。」

「女王はどうして王子をさらったの?」

「幸せになりたかったんだって。」


幸せになりたかった。

それは私と同じ望み、同じ傲慢な高望み。


「女王はずっと隣で“私を幸せにしてね”って言ってくるんだ。何を聞いてもそれしか言わない。馬鹿なのかな?」

「……。」


自分の事を言われてるようで居心地が悪い。

下らないプライドと脆い心を守る為に

自分とは違うと思いたいけれど、

誤魔化す程の気力はない。


「全部ぼんやりしてるんだ、やってる事も言ってる事も。

ゆりかごの中にいれば、誰かが相応しい幸福を与えてくれると信じてる。」

「……そっか。」


私は王子の手を強く握る。


早く地上に戻りたい。

そしてこの少年の心臓から

ステンドグラスの欠片を抉り取る。

それから…それから…私は…。

私は…本当はどうなりたいの?


幸せになりたい?

やり直したい?

それともこの苦しみごと消えてしまいたい?


私に相応しい幸福って一体何なんだろうか。

嫌な事はしたくない。

誰にも振り回されず、大切な人が側にいて

生活も保障されて、安全で、余裕があって…。


そんな高望みの“普通の幸福”。

手に入らない不幸を嘆く事さえ、

邪魔だと叩き潰される虫や、不味い部分は捨てられ安売りされる家畜からしたら傲慢なのだろうか。


私も女王もこの天井がない欲望の中で

運命と世界を呪っていた。


下に降りていく。

さっき上った分だけ、下っていく。


「僕も質問したい。

ひまりさんは…どうしてここに来たの?」

「王子を助けたくて。」

「それは建前だ。

助けて得られる何かの為に君はここに来た。」

「私…は…。」


王子の言葉に私は何も言えなくなる。

言える訳ない。

だってそれは王子が馬鹿だと言った女王と同じ理由なのだから。


「僕と結婚して幸福になる為でしょ?」

「えっ…。」

「そして…本当は僕さえも必要ない。」


王子のひんやりとした手が私の体温を奪う。


「ひまりさん…君は、一体誰なの?」


私は…誰?

何でそんな事聞くの?

私はひまりなのに。


「私は……ひまりだよ。」


私の返事を聞いた王子は一瞬だけ固まって、

それから一言「そっか」とだけ返した。


分かっていた、

王子がどこか怯えていた事も。


それでも気づかないふりをしていた。

私が少しずつ私ではなくなっている事に。

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