第3章 月の王子(第8話)


懐かしい声がする。

その懐かしさと同じくらい、

心がザワザワするような不安と恐怖を感じる。


周りには沢山の人がいるのに、

誰も声の主に近付こうとしない。

皆、関わりたくないというように

彼を避けながら早足で歩く。


私は遠くからそれを見つめていた。

そして彼に向かって歩き出す。


「ねぇ…。」


どれだけ話しかけても、

よく分からない事をずっと喚いているだけだ。


「ごめんなさい…ごめんね…。」


そう呟いて、私は走り去る。

とても大切なものを

永遠に失ってしまった気がしたから。


《第8話》


重い瞼を動かして目を開く。

最初に視界に入ってきたのは夜空だった。

そこには星も月もなく夜だけが広がる。


自分の右手を見ると、満月が描かれたステンドグラスの欠片を握りしめていた。


私はあの砂浜にいた。

近くまで迫っていた暗闇が消えた代わりに

王子もモーもいない。

唯一さっきと違うのは海から数cm浮いて

小さなモントが浮遊していた。


「ねぇ、誰かいないの?」


誰も返答しない。


とにかく街へ戻ろう。

そうすれば関所から王国を出られる。


そう思ってしばらく歩いたが、

何故かさっきの砂浜に戻ってきてしまった。


道を間違えたのかともう一度街を目指すが、

何回やっても行き着く先は砂浜だ。


もしかして閉じ込められたの?


今まではステンドグラスを手に入れたら

王国も王子も全てが消えてしまった。

なのにどうして…。


浮かんでいるモントに触ってみたが

何も起こらない。


私は歩き疲れ、王子がよく月を見ていた場所に

座り込む。

思い返すとこの王国に来てから

ずっとここにいたな。

色々な事が前の2つの王国とは違った。


「王子…。」


返事なんて返ってこないと分かって

私は王子を呼ぶ。

けれど小さく何かを話す声が聞こえた気がした。


もしかしてこの近くにいるの?

私は辺りを見渡す。

けれどそれらしい人影は見当たらない。


「王子どこかにいるの?」

「……。」


聞き取りにくいが声がする。


やっぱり誰かいる。

一体どこから聞こえるんだろう。


「…え?」


私は海の方を見た。

そこにはモントが浮かんでいる。


「王子…なの?」


モントが小さくビクッと動き、

ボソボソとした声が聞こえる。


これが…王子?

私は恐る恐るモントに近寄った。


「王子なんだよね?」

「……る。」


あと少しで何と言っているのか分かりそうだ。

私はモントに耳をくっつけた。


「殺してやる。」


反射的に後ろに下がる。

今、“殺してやる”って言ったの?


しばらく困惑していると、

モントが急に痙攣したように震え出す。


「殺してやるからな。

みんな…みんな…。」


背筋が冷たくなる。

身体中にウジが這い寄るような不快感。

言葉の激しさに動揺している訳じゃない。

何かとても嫌な事を思い出してしまいそうだった。


私はモントから距離を取る。

けれどまるで頭の中に直接響いているみたいで、声が止まる事はなかった。


「やめて…。」


耳を塞いでしゃがみ込む。


私は、ひまり…それだけは間違いない…。

私は中学に通う女の子…

起きたらいきなりこの世界に連れてこられて…。


……本当にそうだっけ?


嫌だ…。

気付きたくない。

思い出したくない。


「殺してやる。」


耳元で声がする。

いつの間にかモントは、

王子は、私の背後にいた。


けれど同じ言葉を繰り返すだけで

何かしてくる訳じゃない。


「思い出したくないよ…。」


沢山の事から目を背ける為に耳を塞ぎ続ける。

あの頃からずっと同じだ。


でも、それもそろそろ限界。

もう向き合わないと。


「シンイチくん…。」


とても懐かしい名前を口にする。

現実と幻想が、現在と過去が、

混ざり合って今この瞬間を作り上げた。

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