第3章 月の王子(第6話)
《第6話》
あれからどれくらい時間が過ぎたのだろうか。
空はずっと夜のままで、何日ここにいるのかも分からない。
どこから調達してきたのか王子がパンや水をくれるので今の所、飢える事はなさそうだ。
暗闇の中で淡々とした時間が過ぎていく。
王子は必要最低限の会話しかせず、
寝る時以外は殆ど月の消えた夜を見つめている。
「…あの、王子。
少し話しませんか?
退屈で変になりそうです。」
ある日、私は王子に話しかけた。
彼は私と話したくないのかもしれないけど、
そろそろ限界だ。
こんな生活は退屈で退屈で、寂しくて耐えきれない。
「話すって何をだ?」
王子は興味がなさそうに返答する
「それは…お互いの事とか。」
別に何か話したい事がある訳じゃない。
この狂いそうな停滞と、少しずつ世界を蝕む暗闇を忘れさせてくれれば、どんな話題だって良かった。
「お互いの事を知ってどうなる。
どうせもうすぐアレに飲み込まれて消えるんだ。」
「王子はそうかもしれないけど、
私は消えるのを待つ間も何かしていたいんです。
だから話しましょうよ。」
私は強引に王子の隣に座り込む。
「例えば…好きな音楽とか食べ物とか。
そんなどうでも良い事で構わないんです。」
王子にそう言った後、ふと思う。
私の好きな音楽や食べ物って何だっただろう。
ここに来てから、そんなありきたりな事は考えなくなってしまった。
そうだ、駅の近くにあるケーキ屋さんのアップルパイが好きだった。
それからコンビニに春の期間限定で売ってる桜味のメロンパンに、抹茶のクッキーが入ったカップアイス。
何て平凡で、生活感が漂う嗜好なんだろう。
…ああ、そっか。
私って結局は普通なんだな。
「空を見る…それから私は傘を買う…。」
ボソボソと小さな声で歌う。
私の好きな歌。
ここに来る前に動画サイトでたまたま流れていた音楽。
「跳ねて、跳ねて、それから回って…。」
それから先は知らない。
短い動画でよく流れる曲だから、
ここまでしか聞いた事がないんだ。
「私、この歌が好きなんです。
王子はどんな歌が好き?」
「僕は音楽なんて聞かん。」
スッと扉を閉めるように
王子は会話を終わらせる。
「そうですか…。」
きっと彼は心底私に興味がないんだろう。
流石に悲しくなって、再び黙る。
「でも、海の音は好きだ。
何の意味もないから。」
それはずっとこの場所に響いている音。
知らなかった。
私は海の音なんてもう飽き飽きしていて、
早く別の音が聞きたかった。
でも王子にとっては好ましい音色だったんだ。
私はもう一度さっきの歌を歌う。
下手くそな歌が、海の音と混ざり合った。
けれど、それはチグハグで不協和音のようだった。
「跳ねて、跳ねて…それから回って…。」
同じ所で歌が途切れる。
再び海の音だけが辺りに響き始めた。
「…構わない、続けろ。」
「でもここから先の歌詞もメロディーも知らないんです。」
「それなら、知ってる所だけ繰り返せば良い。」
王子に言われて、私は同じメロディーを歌い続ける。
停滞から抜け出したくて王子に話しかけたのに、退屈なさざ波の中、同じ歌を繰り返す。
けれど不思議と嫌ではなかった、例えそれが慰めでも。
分かっていた、もう時間がないのだと。
闇は目に見える所まで迫ってきている。
それまでに私は彼の心臓にある欠片を手に入れないと。
だからあと少しだけこの退屈の中で
淀んでいよう。
次は好きな食べ物を聞こうかなと考えながら、
飽き飽きした音を奏でていた。
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