第2章 花の王子(第9話)


「ねぇ、シンイチくん。

風邪引いちゃうよ。」


シンイチくんは川の中に入って、何かを探していた。

おそらくクラスの男子達が、彼の筆箱とか教科書を投げ入れたのだろう。


「でもあの消しゴムがお気に入りだったんだ。

きっとこの辺にあるから、見つかるまで探す。」


彼なら日付が変わっても、

寒さで高熱が出たとしても、

見つかるまで永遠にこの川を探し続けるだろう。


「もう10月だから寒いよ、やめようよ。

また買って貰えば良いじゃん。」

「良くない、あの消しゴムじゃないと駄目。」


私はため息をつきながら、

冷たい川の中に足を入れる。


「え、ひまりちゃん?」

「私も探すよ。」

「別にそんな事しなくて良いのに。

2人で探してもそんなに変わらないよ。」

「腹が立つから。

勝手に人の筆箱を川に捨てるなんてあり得ない、だから探すよ。」


シンイチくんはキョトンとした顔で私を見つめる。


「何それ、変なの。」

「最低だよ、本当に腹立つ。」

「何でひまりちゃんが泣いてるの?」

「シンイチくんが泣かないからでしょ。」


私がそう言うと、彼は困ったように笑っていた。


「泣かないよ。

だって悲しくないもん。」


別に分かって貰う必要なんて良かった。

私がそうしたいと思っただけだから。


「別に悲しくはないけど。

でも嬉しいよ、ありがとう。」


結局、消しゴムは見つからなかったし

私達は2人揃って酷い風邪を引いてしまった。


休み明け、シンイチくんは

「だからやめた方が良かったのに。」

と嬉しそうに言ってきた。



《第9話》


走って、ひたすら走って、

私は庭園まで辿り着いた。


この場所も不気味に変化していたらどうしようと思ったけれど、あの時の殺風景な庭園のままだ。


テーブルの上には何故かケーキナイフが1本だけ置かれていた。

ふと、その横に紙が添えられている事に気付く。


『ひまりちゃんへ


この間はいきなり消えてごめんね。

でも君なら出来るよ。

このナイフでまた王子の心臓から

ステンドグラスの欠片を取り出すんだ。


モーより』


「……何それ。」


モーはまた助けてくれないんだ。

調子の良い事ばかり言って、結局危険な目に遭うのは私じゃない。

多少慣れてきたとは言え、怖いものは怖い。


こんなに怖くて不安なのに頼れる存在が何処にもいない。

ずっと独りぼっちだ。


こんな小さなナイフであの化物と戦わないといけないなんて。

何でも良いから、この世界で寄る辺が欲しい。

自分以外の何かに縋りたくて堪らない。


何もかもを信じられて、

そこにいるだけで愛されて、

優しさに守られていた赤ん坊に戻りたい。


「君とまったく同じ事を望む者がいたよ。

それが揺籠の女王だ。」


背後で声が聞こえた。

驚いて振り向くと、そこにいたのはモーだった。


「そして彼女がそう望んだから

この世界が生まれた。

僕たちは女王の幻想の中で生きている。」


聞きたい事は沢山あった。

助けに来てくれたの?

この世界は揺籠の女王が作ったものなの?

これからどうすれば良いの?


でも頭が混乱して、何から話せば良いのか分からない。


「ひまりちゃん。

揺籠の女王に会ったんだね。」

「え?どういう事?」

「大きな胎児のような怪物に会ったでしょ?

彼女こそが女王だ。」


あの不気味な赤ん坊がこの世界の女王?

そんなの信じられない。


「きっと君に危機感を抱いて、

自分から姿を見せたんだね。」

「何とかしてその女王を倒せないの?」

「今は駄目だよ、全てのステンドグラスを集めないと。

その前に倒したら王子も王国も、物語も全て消えてしまうよ。この世界は何もかも女王の幻想なんだから。」


……気持ちが悪い。

醜い者が醜い頭の中で作り上げた世界。

グズグズに溶けた死体のような幸福。


「モー、助けに来てくれたんだよね?

私1人で立ち向かうなんて無理だよ。

こんなに小さなケーキナイフ1本しかないのに。」

「ごめんね。

何回も言ってる通り、僕は手伝う事が出来ないんだ。」

「……モーは冷たいね、口ばかりだ。」


私が棘のある言葉を投げかけても、モーはまるで動揺しない。


「そうだね、僕は無力だ。」


開き直って自虐するだけ。


「ここは女王の幻想の世界なんだよね?

モーが無力なら誰が私を助けてくれるの?」

「それは勿論、君自身だよ。」

「そんなの冷た過ぎるよ。」


モーは嬉しそうにニコッと笑った。


「でも前の世界にいた時も

同じだったじゃないか。

君はどこまでも孤独で、

世界はひたすら冷酷だった。」


そしてそのまま、何処かへと走り去ってしまった。

私は追いかける気力もなく、その場に立ち尽くしていた。

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