第2章 花の王子(第8話)


《第8話》


内臓みたいな色の花弁、蠢く沢山の手。

そこから流れるドロリとした粘液は

胃液のような酸っぱい香りがした。


王子の身体は完全に植物に包まれてしまった。


かすかに聞こえていた王子の声が消えた頃、

怪物は急に大きく花弁の口を開ける。

乱雑に生えた歯と内臓のような中身が露出する。


そして無数の手が私に向かって伸びてきた。

驚いて後ろに下がるが、間に合わずに足を掴まれてしまう。


「わっ!?」


ドンッと鈍い音がして目眩がする。

バランスを崩し転倒してしまったようだ。


痛い。

振動で頭がクラクラする。


そんな事はお構いなしに、

怪物は私を口の中へ引きずりこもうとする。


「や、やめて!!」


私の叫び声が聞こえたのか、

遠くから蝶々頭の使用人が走ってきた。


「どうされたんですか!?」


怪物を見た使用人は、怯えた表情で

懐から拳銃を取り出し発砲した。

弾丸が怪物の身体にめり込む。


「………。」


怪物は黙ったまま傷口を眺め、腕の1本を使って取り除いた。

それから弾丸を宙に放り投げ、パクッと食べてしまった。


「きゃはははっ!!」


怪物は子供のように嬉しそうな笑い声を出す。

そしてそのまま私の足から手を離し、

使用人に向かって走って行く。


「!!

危ない、逃げて!」


使用人は必死で拳銃を撃ち続けるが、

身体に着弾する度に、怪物は弾丸を取り出し咀嚼してしまう。

ついに追いつかれた使用人はさっきの私のように足を掴まれ、そのまま花弁の中へ飲み込まれてしまった。


早く助けないと。

でも、近付けば私も捕まってしまう。


「嫌…助けて…。

私が溶けちゃう…。」


助けを呼ぶ声は次第に弱々しくなり、

ついには何も聞こえなくなる。

カエルを丸呑みした蛇のように、身体の一部が使用人の形にポコっと変形している。

私は逃げる事もせずに、少しずつ小さくなる膨らみを眺めていた。


消化が終わったのか、

怪物は満足そうに小さくゲップをして

口から何かを吐き出した。

白く見えたそれが私の足元に転がってくる。


骨だ。

所々に消化しきれなかった肉片がついていて、吐瀉物のような匂いがする。


気持ち悪い。

鳥の王子も、花の王子もそうだ。


あんな綺麗な姿をしていた王子が

おぞましい怪物になって、醜い物を吐き出す。


こんなものを見たくないから

私はずっと空想の世界で生きてきた。


この骨は人間そのものだ。

私にとっての世界そのものだ。


怖い。

鳥の王子の時と変わらず、心には不安と恐怖が渦巻いて、身体が震えている。

けれどそれ以上に私の心には嫌悪感が募っていた。


早く元の姿に戻さないと。


皮脂の香り、生温い吐息。

公衆トイレと満員電車、目尻についた目やに、雨の日に飛び出る髪の毛。

そして薄っぺらい怠惰と狡猾な冷淡さ。


そんな退屈な醜悪さから

1番遠い所に王子達は存在しているはずだった。


私はゆっくりと立ち上がり、

王子に背を向けて逃げ出した。


刃物を探そう。

そして王子の心臓からステンドグラスの欠片を取り出すんだ。

それをあと4回繰り返せば良い。


そして今と同じように生々しい現実から逃げよう。


見ない為に、思い出さない為に私は走り続ける。

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