第2章 花の王子(第5話)


「お父さんはね。

ひまりが学校に行きたくないなら、無理して行かなくて良いと思ってるから。」


リビングにお父さんの淡々とした声が響く。


「でもずっとひまりを養っていく事は出来ない。

学校に行かないなら行かないで、これからお父さんとお母さんがいなくても1人で生きていけるようにしなさいね。」


横でニコニコと笑うお母さんが口を開いた。


「お母さんはひまりがずっと家にいてくれた方が嬉しいけどな。」


お父さんはそれを聞いて小さくため息をついた。

イライラとした雰囲気が、こちらにも伝わってくる。


「でもいずれは母さんの介護があるだろう。

そうしたらひまりのお金まで出す余裕はないぞ。」

「じゃあ、ひまりが家を出るまでは

お義母さんに我慢して貰うしかないわね。」


トン、トン、とお父さんが足で床を叩く音が聞こえる。


「そんな事、出来る訳ないだろ。

…とにかく口出しはしないから、

自分の事は自分でなんとかしなさい。」


苛立った口調でそう言うと

お父さんはそのまま2階へ上がっていってしまった。


「ひまり、お父さんはあんな事言ってるけど

ずっと家にいて良いからね。

お母さんも、もう二度とあんなクソババアと住みたくないからそっちの方が嬉しい。

学校も嫌なら行かなくて良いのよ。」


優しい口調に似合わない過激な言葉が耳に入る。

この家にいつまで住むかはともかく、

学校に行くかどうかはお父さんとお母さんが

決める事じゃないのに。


「うん。」


そう返事をして、私も2階の自分の部屋へ戻り、

そのままベッドの中で目を閉じた。


ねぇ、王子

私を助けて。

ここから連れ出して。

嫌な事を全部忘れさせて。


私はまた夢の中へと逃げ込んだ。



《第5話》


「もう、良いです!

こんな変な指輪をつけさせて何が分かるって言うんですか!」


最後の蝶々頭が怒りながら部屋から出て行く。

結局あれから誰1人として指輪をつけられた女性はいなかった。


「……そんな。

どうして誰の指にもはまらないの?」


王子は目に見えて落胆していた。

指輪を中指と親指で触りながら、遠い目でそれを見ている。


「きっと、僕の運命の人は

この世界にはいないんだ。

誰からも愛されずに死んでいくんだね。」


絶望の言葉。

けれど何故か、心からそう思っている訳ではない気がした。


「そんな事ないよ。

運命の人は別の国にいるかもしれないじゃない。」

「本当に?

僕を幸せにして、真実の愛を教えてくれる人が本当にいるのかな?」

「!!」


メソメソと涙を流しながら、王子は私に抱きついてきた。


「…うん!

絶対何処かにいるよ、だから泣かないで。

ほら、紅茶でも飲もう。」


自分を慰めるように王子の頭を撫でる。

そしてテーブルのティーポットから

暖かいアールグレイの紅茶を注いだ。


その紅茶を飲み干し、ついでに隣にあったお菓子も食べると王子はすぐに笑顔になり、キラキラとした瞳で私を見つめる。


「そうだよね!

絶対どこかにいるはずだよね!

そうだ、良かったらひまりちゃんもこの指輪をつけてみなよ。」


王子は私の左手を優しく握る。


「もしかしたら君なのかもしれない。

僕の運命の人なのかも。」


ゆっくりと薬指に指輪をあてがう。


そうだ、それで良いんだ。

最初から決まってる、王子の運命の人は私なんだ。

私には貴方だけじゃないけれど。


蕾の刻印は輝きながら薔薇の宝石へと変わっていく。


「嘘…。

蕾が薔薇になってる…!」


そうだ、これで良いんだ。

これで私も王子も幸せになれる。


勿論、嬉しくて嬉しくてたまらない。

なのに鳥の王子の時と比べて

私の心は高揚していなかった。


幸せで運命的な物語をなぞっているのに、

最初の時のような刺激を感じなくなっている。


美しい薔薇の宝石が何故か安っぽいプラスチックのように見えた。


「凄く綺麗…。

ねぇ、王子。

信じられないけど、私が運命の人って事なの?」


それでも弾んだ声で王子に問いかける。


「そうだよ、やっと見つかったんだ。

君だったんだね。」


大袈裟に涙を流す王子がまた私を抱きしめる。


「ひまりちゃん、僕と結婚しよう。」


あの日の記憶と同じだ。


「うん、喜んで…!」


演劇の台詞みたいな言葉が

再び私の耳に響いた。

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