第1章 鳥の王子(第10話)


「ひまりちゃんは、僕の事キモいって言わないんだね。」

「…えっ?」


休み時間、裏庭の隅で彼は言った。


「他の皆は言ってくるからさ。

人にそんな酷い事言える方がずっとキモいって思うよねー。そもそも具体性がないし。」


落ちていた枝を折りながらケタケタと笑う。

そしてそのまま頭をボリボリとかいて、

水浴びをした犬みたいに頭を大きく左右に振ると、白いフケが舞い散って私の方に飛んできた。


「………あ…あのさ。

……それ、やめて欲しいかも。」

「何の事?」


興奮した時に彼がよくやる癖。

正直私はあんまり好きじゃない。


でも伝えたら傷付くかな。


出来るだけやんわりと言わないと。

君が嫌いなんじゃなくて、ただやめて欲しいだけなんだって。


「別に嫌とかじゃなくて、気を悪くしたら本当にごめんね。

私が気にしすぎなんだと思うから。

フケが飛んできて服に着いちゃうから、ちょっとだけやめて欲しいなって。」


彼はすっと真顔になって黙る。


…どうしよう、怒らせたかな。


「マジで?そうなんだ。

教えてくれてありがとねー。」


いつもと同じヘラヘラとした笑顔で返事をし、彼はまた別の話を始める。


それからもその癖は治らなかったけど、

あの日、彼がどうでも良さそうに笑った瞬間、

心の重りが1つ減ったような気がした。



《第10話》


王子に抱き締められた私は動く事が出来なかった。


ああ、そうなんだ。

このまま溶けてドロドロになっちゃうんだ。


溶けるように薄れゆく意識の中で、

私は声を聞いた。


『大丈夫だよ、ひまりさん。』


王子のあの言葉。

溶ける意識が涙になって瞳から溢れる。


もう、このままで良いのかもしれない。

頑張れるだけ頑張った。


ここで鳥の王子を元に戻せても

あと4回も同じ事繰り返さないといけないなんて私には無理だ。


本音を言うなら……面倒臭い。


王子の言葉に包まれて、全部ドロドロに溶けた方がきっと幸せなんだ。

このまま優しさの中で眠ろう。


「王子…ごめんね。

ありがとう。」


そう呟いた瞬間、

信じられないような激痛が身体に走る。


「……ッ!?!?」


消えそうな意識が鮮明になる。

目玉が飛び出し、内臓が口から出てきそうな激しい痛み。


嘘だ。

鳥達を見て、眠るように液体になれるんだと思ってたのに。

溶ける時ってこんなに痛いの?


勝手に歯と脳みそがガタガタ揺れる。

最早考える事すら困難な程の痛みに

私の身体は反射的に王子を突き飛ばした。


「はぁ…はぁ…。」


息を整え、身体の反応が収まるのを待つ。

少しずつ痛みが引くのと比例して

冷や汗が大量に流れてきた。


突き飛ばされた王子は床に倒れたままピクリとも動かない。


こんなに痛いなんて知らなかった。

それならまだ頑張って欠片を集めた方がマシだ。


「何で…何で私がこんな目に遭わないといけないの…。」


私は痛みの余韻と怒りと不安で、たまらず泣いてしまった。


「幸せになりたいだけなのに、何でこんな事しないといけないの…!」


パキ、と枝が折れるような音がする。

音の方向では王子が杖にしがみつきながら

立ちあがろうとしていた。


また目の穴から内臓と血が流れ出る。

でもそれは今までとは比べ物にならない量で

壊れた蛇口のように止まらず、床を覆い尽くし始める。


「かぁ、かぁ。」


王子は目の穴を手で塞ぐが

当然それで何とかなる筈もなく

指の隙間から飛び出してくる。


「王子、何が言いたいの…?」


「かぁ、かぁ。」


王子はガタガタと震えながら必死で目を塞ぎ、

床の内臓をかき集め口に入れようとする。


「かぁ、かぁ。」


「鳴いてても分からないよ。

人の言葉で喋ってよ。」


内臓と血の液体は部屋に溜まり

もう私の足首の所まで来ていた。


「かぁ、かぁ。」


「王子、教えてよ。

……王子!!」



『どうすれば僕は幸せになれるの?』



あの時のままの王座の部屋。

王子の声色、王子の姿で

私の腕に縋り付く。


瞳には焦燥と哀れさの色が浮かび、

美しいその顔は悲痛に歪んでいた。


どうして?

どうしてそんな事するの?

縋り付きたいのは私なのに。


「…そんなの私が知りたいよ。」


まるで獣のような冷酷さが私を支配する。


私は手に取った短剣を思いっきり

王子の心臓に突き立てた。


その瞬間、傷口に沿って景色にヒビが入り

元のおぞましい部屋と怪物が目の前に現れる。


「かぁ、かぁ。

かぁ、かぁ。」


王子は内臓や血ではなく、

涙のような液体を目から流してそのまま倒れる。

動かなくなった身体が少しずつ白い羽に変わっていき、そのまま風に飛ばされて何処かへ行ってしまった。


「………。」


放心状態の私が王子がいた場所へ近づくと

そこにはステンドグラスの欠片が落ちていた。

手を切って怪我をしないよう、慎重に拾う。


ソレは手のひら程度の大きさで、

美しい白鳥が泣いている絵が描かれていた。


角度を変えるとキラキラと宝石のように光り、

私の顔に色とりどりの影を落とす。


綺麗だ。

耳に冷たい空気がかかる。


いきなり全てが過ぎ去った虚しさと混乱を抱いたまま、私はしばらく欠片を見つめていた。

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