第1章 鳥の王子(第9話)

《第9話》


王子に抱きしめられた1匹の鳥は涙を流していた。

透き通る涙が顔を伝って床に落ちる。

そしてそのまま王子の身体に翼を回した。


ポトリ、と音がして

涙で濡れたその瞳が床に落ちた。

鳥の身体は夏の日のアイスのように

ドロドロと溶けていく。


全てが溶け終わり、鳥だったグロテスクな粘液が床に広がっていった。


「う、ゔぇっ……。」


私は今にも吐きそうな感覚を必死で抑える。


王子はゆっくりとしゃがみ込み、

羽や目玉、そして内臓が混ざった液体を眺める。

そしてそれを手で掬い、口の中へ入れた。


食べているのかと思ったけれど、

それは胃には入っていないようで

口に入れる度、目に空いた穴から流れ出す。


「かぁ、かぁ」


目から溢れた液を掬い、口に入れるけれど

何度もそれは目から流れ出ていく。

残りの鳥達はその様子を無言で見ていた。


私はその光景の異様さが怖かった。

けれど同時にその姿が何故だか悲しく思えた。


王子はひとしきり試した後

今度は他の鳥を抱きしめ、また溶かした。

口に入れ、目から流れ、無理だと分かると別の鳥へ。

全ての鳥が床に広がるまで、昆虫の本能のように、王子はそれを繰り返していた。


彼はキョロキョロと辺りを見回した後、

再び杖をつきながら何処へ歩いて行く。


完全に音が聞こえなくなってから、

私は梯子へ近づく。

足元の液体には目をやらないようにして、

ランタンの光で梯子を照らす。


「……あれ?」


壁に黒く細長い私の影が映る。

その形はさっきの王子に少しだけ似ていた。


ランタンを元の場所に戻し、私は再び地上へと戻る。

そこはさっきと変わらず

生ゴミと死骸に塗れていたが、

鳥達がここに来た時にどかしたのか

扉の前が綺麗になっていた。


これなら王座の部屋に行ける…!!


私は慎重に扉を開け、部屋を出る。


「……!!」


隠し通路よりも更に強い腐敗臭がし、

私は反射的に鼻を摘んだ。

床は溶けた鳥や鼠の液体で浸水しており、プカプカと生ゴミが浮いている。

天井にはビニール紐で死骸が吊るされており、

小雨のように体液が降ってきていた。


……気持ち悪い。

もう、嫌だ。

早く帰りたい。


「……でも帰るって、何処に帰るの?」


自分に返事をするように私は呟く。

現実に戻っても、

本当の意味で帰る場所なんてない。


私の居場所はここにしかないんだ。

だから取り戻すしかない。


膝まであるヘドロのような液体に

足を突っ込み、先に進む。


「う…ゔぇっ…。」


途中でたまらずに嘔吐してしまったけれど、

それでも必死で王座の部屋を目指す。


「…ここだ。」


色んな液体でベトベトになった身体のまま

勢いで扉を開ける。


王座の部屋にはバラバラにされた大カラスの身体が散乱しているだけで、あの液体や死骸はなかった。


ふと、カラスの黒い頭の横に何か光る物が見えた。


それはあの短剣だった。

私は慌てて駆け寄る。


「見つけた…!!」


私は短剣を拾い、ぎゅっと強く握りしめる。


これで王子の心臓に埋まったステンドグラスの欠片を取り出せるはずだ。


「かぁかぁ」


あとは王子に見つからないように


「かぁかぁ」


こっそり…後ろから…


「かぁかぁ」


背後から鳴き声が聞こえる。

扉の向こうから、とか

そんな距離ではなかった。

もっともっと近くから聞こえていた。


振り向きたくない。


きっと嘘だ。

幻聴だ。


でも首筋に液体がかかるような感触と、

耳元で聞こえる荒い息が、

事実から私の目を背けさせてくれない。


熱を帯びたソレを感じながら、

ゆっくりと後ろを向く。


「かぁかぁ」


鉄で出来たカラスの顔が私の視界を支配する。

血と、鉄と、ゴミのようなすえた臭い。


「あっ…。」


冷たく固い王子の身体が私を包む。

けれど、その抱擁はあの時と変わらず

暖かく思えた。

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