第1章 鳥の王子(第8話)

《第8話》


「かぁかぁ」


静寂の中、カラスのような鳴き声が響き渡る。


ソレは黒いローブを纏い、鉄で作られたカラスの顔を覗かせていた。そういえば伝染病が流行った時、こんなお医者さんがいたと本で読んだ事がある。

その背中からは黒い羽をつぎはぎにして作った不恰好な羽が生えていた。


「……王子なの?

何でそんな姿になったの?

これも大カラスの呪い?」


私は震える唇で、王子に問いかける。


ソレはカクカクと不自然な動きを繰り返し、

こちらへ近づいてきた。

怪我をしているのだろうか?

不自然に足を引きずり杖をついている。


……逃げなくちゃ。

何が起こっているのかは分からないけれど、

とにかく逃げなくちゃ。


入ってきた扉は生ゴミと死骸で埋もれてしまっているし、別の扉も見当たらない。


考えている暇はない。

もう一度隠し通路へ逃げよう。


私は必死で走り、通路への扉を開けた。

再びあのむせかえるような腐敗臭がして、じとっとした空気が身体を包む。


「かぁかぁ」


少しずつ近づいてくる声を背中に

隠し通路へと飛び込んだ。


「!!」


いつの間にか梯子の横に小さなランタンがかけられており、その薄ら明かりで内部が見えた。


先ほどまで1本道だった通路はぐにゃぐにゃと歪んだ迷路のようになっていた。

壁は内臓のように脈打ち、

床の死骸は酸で溶かされたように

一部が溶けている。


私は叫んだ。


「………モー!

ねぇ、助けてよ!」


あの時、モーはピンチになったら助けに行くって言っていた。


「モー、早く来て!

お願い…助けてよ!」


助けて…!

今がその時だよ。


「大丈夫?」


耳元で声が聞こえた。

私が肩を見るといつの間にかモーが乗っていた。


「良かった!来てくれたんだ…!!

王子が怪物になっちゃって…!」

「ひまりちゃん、一旦どこかに隠れよう。

ほら!こっちなら安全だよ。」


モーは小道を指差す。

私はランタンを手に取ってその方向へ走った。


モーの言う通りその先には小部屋のような場所があり、そこへ逃げ込む。


「ねぇ、どうなってるの…!?

何で王子がこんな事に…。」


今までの不安や恐怖が一気に押し寄せ、

それが涙となって瞳から溢れてくる。


「ひまりちゃん、泣かないで。

一体何があったの?」


私の頭を優しく撫でるモーに、今までの出来事を話す。


「そんな事があったんだ。

きっと揺籠の女王の仕業だね。」


モーの口から聞き慣れない単語が出てくる。


「……揺籠の女王?」

「この世界を支配している女王だよ。

彼女のせいで鳥の王子は…

ううん、他の4人の王子も

別の姿に変えられてしまった。」


何それ?

そんなの私、知らない。

揺籠の女王なんて私の物語にはいなかった。


「どうしたら元に戻せるの?」

「女王は王子達の心臓にステンドグラスの欠片を埋め込んでいる。

それがある限り王子達は彼女の操り人形のままだ。

だから取り出して、皆を真実の姿に戻してあげるんだ。」


それを聞いて、

私は混乱や納得より先にこう思った。


『つまらない』


ここは私が主役の世界だと思っていたのに。

支配者が、女王がいるなんて。


「5つのステンドグラスを集めたら

きっと女王は姿を表す。

ひまりちゃん、その時に君が彼女を倒すんだ。

そうすればこの世界は元に戻る。」

「!!

そんな事が出来るの?」

「君なら出来るよ。

君ならこの世界を正しい姿に戻せる。」


揺籠の女王、心臓のステンドグラス…。


それさえ無くしてしまえば

この世界は本当の姿に、

私が思い描いた理想の世界になる。


「……分かった、やってみるよ。

でも心臓から取り出すって

どうすれば良いの?」

「さっき大カラスを短剣で倒したって言ってたよね?

アレを使って心臓を刺すんだ。」

「短剣…。

逃げる時に王座の部屋に置いてきちゃったよ。」

「なら何とかして取りに戻らないと。」


その時、遠くから妙な足音と

カツンカツンという杖の音が聞こえた。


「!!

王子が来たんだ…!」

「ひまりちゃん、

この国で君を助けられるのはここまでだ。

短剣を取り戻して、王子の心臓の欠片を取り出すんだ。」

「そんな…!!

一緒にいてくれないの?」


モーはゆっくりと首を振る。


「ごめんね、でもきっと君なら出来るよ。

僕はずっと信じてるから。」

「待って…!!

1人じゃ怖いよ。

お願い、一緒にいてよ…!!」


必死に縋るけれど、モーは煙のように姿を消してしまった。


「どうして…?

ねぇ、戻ってきてよ…。

1人であんな怪物に立ち向かわないといけないの?」


やっと理想の世界に行けたと思ったのに。

ここに来ても、また怖くて、また孤独で、

1人であらゆる恐怖と闘わないといけないの?

頭の中にさえ、絶対的な安息も幸福も存在しないなら何処に行けば良いの?


「誰か助けて…。」


私は息を殺して啜り泣く。


それでもこの真っ暗で狂った世界は

手を差し伸べてくれなかった。


「私が…やるしかないの?」


この世界が正しい世界になれば、

今ひと時だけ立ち向かえば、

この感情を引き受けてくれる何かが手に入る。


私は震える足で立ち上がる。


「王子…。

私、頑張るから。」


何とかあの部屋に戻って短剣を手に入れよう。

そして幸福な夢を取り戻すんだ。


壁から顔を出して覗くと、遠くに王子の姿が見えた。


見つからないようにまた梯子の所まで戻ろう。

私は足音を立てないように気をつけて

ゆっくりと進む。


ぐにゃぐにゃとした床を歩いていくと

いつの間にか数匹の鳥達が集まっていた。


「どうなっているんだ?」

「オレ達は大カラスに騙されていたんだろう?」

「でも王子の姿が見当たらない。」


鳥達は何故か機械のような抑揚のない声で話していた。


「王子に何とかして貰おう。」

「王子に何とかして貰おう。」

「王子に何とかして貰おう。」


同じ事を繰り返し喋る。


「王子に何とかして貰おう。」

「王子に何とかして貰おう。」

「王子に何とかして貰おう。」


カツン、カツン、カツン。

通路の中にあの音が響く。


「かぁかぁ」

「王子に何とかして貰おう」

「かぁかぁ」

「王子に何とかして貰おう。」


鳴き声と共に、鳥達の前に王子が現れる。

彼らは王子の方を向いて

その姿を舐め回すように見る。

そしてこう言った。


「王子に何とかして貰おう。」


王子は目に空いた穴からポトポトと液体を流す。

液体は血のようで、内臓のようなものが混ざっていた。


「かぁかぁ」


王子は悲しそうにないた。


その声を聞いた私は

いつの間にか一滴の涙を流していた。


「かぁかぁ」


王子はあの不自然な動きで鳥達へ近づき、

そのまま1匹の鳥を優しく抱きしめた。

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