尾羽打ち枯らす

三鹿ショート

尾羽打ち枯らす

 学校を卒業してから久方ぶりに再会した人間たちは、同じ言葉を口にする。

「学生時代には、そのような状態と化すとは想像もしていなかった」

 そう思うのは、仕方の無いことである。

 学生時代の私は、非の打ち所が無い人間だった。

 学業成績も運動能力も愛想も良く、友人と呼ぶことができる人間は、数えることが不可能なほどだったのである。

 だからこそ、現在は仕事もせず、伸び放題の髪の毛や髭に加え、肥えてしまった肉体を見れば、他者がそのような言葉を口にすることは、当然といえる。

 立派な人間と化しているのではないかという期待が裏切られてしまったことを悲しんでいるのか、学生時代とは立場が逆転したことを喜んでいるのか、他者がどのような思いでその言葉を吐いたのかは、どうでも良いことである。

 私にしてみれば、このような未来が訪れることは、予想していた。

 私は、明確に評価を得られる場所でなければ、努力することができないのである。

 学生時代は、学業などに力を入れれば、その結果が目に見える。

 だが、学生という身分を失った瞬間、何のために努力をすれば良いのかが、分からなくなるのだ。

 単純に、給料の良い職業に就けば良いという話ではない。

 私が良いと思っていたとしても、それよりも多くの給料を貰っている人間は、幾らでも存在しているのだ。

 狭い世界で頂点に立っていた人間でも、広い世界では平凡と化すのである。

 私は、それを理解していた。

 だからこそ、学生という身分を失った後に努力をすることは、馬鹿馬鹿しいと考えていたのだ。


***


 家族の冷たい視線から逃れるために、私は一日のほとんどを外で過ごしていた。

 場所は、特に決めていない。

 公園の場合もあれば、図書館のときもある。

 そのように過ごしていた中で、私は一人の少女と知り合った。

 彼女は学校で過ごすべき時間であるにも関わらず、公園の長椅子に座って天を仰いでいた。

 一日だけではなく、毎日のように姿を現している彼女には、何らかの理由が存在しているのだろう。

 それを、赤の他人である私が解決することなど、出来るわけがない。

 ゆえに、私が彼女と接触することはなかったのだが、彼女もまた、毎日のように私を見ていたために親近感でも覚えたのか、やがて声をかけてきた。

 見知らぬ男性に声をかけるなど、警戒心が無いのではないか。

 同時に、そのような場面を見られれば、私が第三者から怪しまれ、責められる可能性が高くなってしまう。

 そのように考えた結果、私は彼女と言葉を交わすことはなかったのだが、彼女が諦めずに声をかけ続けてきたために、私はとうとう折れてしまった。

 会話の内容など、たわいないものだった。

 しかし、その語る様子からは、彼女が何かしらの問題を抱えているように思うことはできなかった。

 だが、それは私がそのように考えているだけであり、彼女には彼女の思うところがあるのだろう。

 距離を縮めることはないが、私は話し相手としての立場を維持し続けることにした。


***


 ある日、常のように公園へと向かうと、其処には彼女以外の少女の姿があった。

 しかし、友好的な雰囲気ではない。

 彼女を囲んだ少女たちは、手にしていた飲料水を彼女に打っ掛け、彼女の髪の毛を引っ張り、彼女の頬を平手で打ち、彼女の腹部に爪先をめり込ませるなど、明らかに彼女を虐げていた。

 面倒に巻き込まれてしまうことを考えれば、彼女に手を差し伸べるべきではないのだろう。

 だが、彼女と目が合ってしまった。

 縋るようなその双眸に見つめられ、私はその場で大きく息を吐いた。

 頬を何度も叩き、気合いを入れると、少女たちに向かって叫んだ。

 少女たちは私を見て、驚きと嫌悪が混ざったような表情を浮かべた。

 下着姿の見知らぬ男性が奇声を発しながら走ってくれば、それは当然だろう。

 そして、当然のように、少女たちはその場から逃げていった。

 少女たちの姿が完全に消えたことを確認すると、私は衣服を着用し、彼女に向かって手を差し伸べた。

 彼女はその手を握ることなく、涙を流しながら、私に抱きついた。

 今だけは、通報されてしまうのではないかという考えを捨てることにした。


***


 彼女が虐げられていたのは、先ほどの少女たちの首領が原因だった。

 首領が恋心を抱いていた男子生徒が彼女に愛の告白をしたのだが、それを彼女が断ったことが、面白くなかったということらしい。

 首領は他の生徒たちに命令し、彼女を相手にしないようにと告げた。

 首領が危険な人間だと理解している生徒たちは、従うしかなかった。

 しかし、彼女は首領の事情など知らなかったために、自分が学校で避けられるようになった理由が分からず、困惑するしかなかったようだ。

 やがて、学校での居場所をなくしたために、彼女は公園で過ごすことにしたということだった。

 だが、私の働きで、それも解決することだろう。

 少女たちに通報されたとしても、私には失うものは何も無い。

 解決方法としては、これが一番だったに違いなかった。

 感謝の言葉を口にしながら頭を下げ、やがて公園を去って行く彼女を眺めながら、私は己の意識が変化していることに気が付いた。

 どれほど零落れたとしても、私のような人間が他者を救うことができる。

 それならば、今から再び歩き始めたとしても、遅くは無いのではないか。

 目に見える結果ばかりを気にするばかりでは、心の余裕も無くなるだろう。

 しかし、努力することを止めた人間でも、誰かの役に立つことができる。

 自分の人生は自分で決めるものならば、他者のために生き、感謝されることを目的とする人生でも良いのではないか。

 そのためには、何よりも先にするべきことがある。

 外見を、小綺麗にする必要があるだろう。

 私は伸びた髪の毛を触りながら、近所の理髪店へと向かうことにした。

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