二人のお父さん
色々な事が片付いてやっと落ち着いたとき、季節は秋になっていました。カナが痒そうにしていた頬の瘡蓋も今ではすっかり綺麗になりました。離婚も無事に成立し、秋晴れの清々しい空は私の気持ちを代弁してくれているようでした。
発端は娘のカナの描いた絵でした。
子どもの描く家族の絵は、家庭環境や子どもが家族それぞれに対してどう思っているのかが反映されると言います。
大きく黒色でぐちゃぐちゃに描かれた父親。
父親と同じ大きさで丁寧に描かれる白い犬。
異様に小さく描かれた母親たる私。
どこにも描かれなかったカナ自身。
自ら描いている絵の人物をまともに答えられないことも、大きかったのでしょう。幼稚園教諭は何か異常事態が起きていると判断しました。
娘がうちで飼っているサモエドをお父さんと呼んでいることには気付いていました。よくあるでしょう? 舌足らずな子どもがトウモロコシをトウモコロシと言ったり、サ行をタ行に発音することは。犬の「ソウちゃん」を「トウタン」と言い間違えているだけだと思っていたんです。まさか本当にお父さんだと認識しているとは思っていませんでしたが。
どうやらカナにとって、お父さんというものは血の繋がりのある男親という意味ではなく、大きくて優しいモノを全てお父さんと呼ぶのだと思っていたようですね。だから私が本当の父親を『お父さん』と呼んでも、カナのお父さん観に当てはまらないため『お父さんと呼ばれている人』と認識していたようです。
初めて娘に「チビ」と呼ばれたときには、ああこの子もあの人の血が流れているから仕方ないのね、と胸が詰まり娘の前であることにも憚らず泣いてしまいました。しかし、よくよく考えてみれば仕方なかったことなのだと後で考えを改めました。
私は自身のことを「私」と呼称していましたし、あの人は私のことをいつも「チビ」としか呼びません。ならば娘は私のことを「チビ」と呼称するのも当然なのです。他の呼び方をし知らないのですから。以前はお母さんと呼んでいたはずなのですが、いつしか「お母さん」という呼称を彼女は忘れてしまったようなのです。それほどまでに、父親の影響というものは大きかったのでしょう。
以前から離婚しようとしていましたが、夫はまともに取り合ってはくれませんでした。相談に行ったこともありますが、他人は外面のいい夫のことを信じてしまうから、誰も私の話を聞いてくれませんでした。夫には収入も学歴もあり、わたしには何もない。相談したことがバレると更に酷いことになったので、諦めかけていました。娘が成人するまでは夫の機嫌を取り、娘を守り、粛々と過ごそうと。
幼稚園教諭からしかるべき機関に連絡が行き、聞き取りやこれまでの経緯やカナの傷などを見て話は進んでいき、こうして離婚は成立しました。
あの家にはほとんどの物を置いてきました。赤いエプロンも置いてきてしまいました。なんだか、嫌な思い出があのエプロンに染み付いていた気がしたから。
ソウは元々夫が飼いたいと言って飼い始めた犬でした。ですから、揉めに揉めたけれどなんとか犬のソウも私が引き取ることになりました。だから今、私の側にはソウとソウのリードを引く娘がいます。
「ぉとうたんはやさしくてすき。あったかくて、おおきくて、だいすき」
舌足らずな娘はソウに言うと、ソウは嬉しそうに尻尾を振ります。……確かにそうね。本当のお父さんより犬のソウの方が、お父さんらしいわね。
「お父さん」
冗談めかして試しに真っ白な背に呼び掛けると、耳をピクリと動かして彼はこちらをゆっくりと振り向きました。
首に着けている青いバンダナが揺れました。
大きくて優しくて暖かくて、寡黙だけれどいざとなれば頼りになる。
私の父親もろくでもない人だったから、これ程までにお父さんらしいお父さんを、私は他に知りませんでした。
カナのお父さんはソウでいいんじゃないかな?
「ねぇソウ、私と結婚してカナのお父さんになってくれない?」
わふ、とソウは頼もしい声で吠えるのでした。
お父さんは二人いる 2121 @kanata2121
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