第9話「レムレース湖」

 体感では三十分以上歩いたところでひと休みして、ふたたび歩いていると大きくきれいな湖が見えてくる。


 さすがに琵琶湖ほどじゃないと思うけど、かなりの広さだ。


「ドラゴンがどこにいるのか、さっぱりわからないな」


 きれいな水面と緑が見えるだけで、虫一匹見当たらない。

 気づかずに接触する展開だけはごめんだけど、この分なら大丈夫そうかな?


 湖沿いに歩いていくと、全身が黒で統一された服装の背の高い男性が、気難しい顔をして遠くを見ている。


 身長はおそらく180を超えているだろうし、顔立ちはどことなく和風な印象を受けた。


「何だ、オマエ?」


 こっちに気づいた男性は怪訝そうな目を向ける。

 ドラゴンがいる湖に近づく人間が、自分以外にもいたのが驚きなんだろう。


「美しい湖があると聞きまして」


 何となく言い方には気をつける。


 ドラゴン目当てだと誤解されたくないし、万が一彼と言い争いになってドラゴンを刺激したら危険だ。


「物好きなやつだな。ここのうわさを知らんのか?」


 ドラゴンのことを知らないのはおかしい、と言わんばかりである。


「知ってますが、むやみに暴れるドラゴンではないとのことなので、刺激しないように気をつければ何とかなるかなと」


 正直に打ち明けると、まじまじと見つめられた。


「意気地なしに見えてなかなか豪胆なのだな。というか貴様、もしかして異世界人なのか?」


「……どうしてそう思うのですか?」


 告白する前に言い当てられるとは思わず、つい聞き返してしまう。


「この付近では珍しい顔立ち。若干異なる言葉の発音。それにうわさを恐れぬ度胸。この世界にうとい異世界人と考えれば腑に落ちる」


「恐れ入りました。あなたのおっしゃる通りです」


 男性の推理に納得してしまい、思わず拍手をした。


「そういうあなたはなぜここに?」


「私が恐れる理由は何もないからだ」


 質問に対して男性は堂々と答える。

 ドラゴンの習性を知っているか、何らかの対策を持っているのだろうか。


「失礼しました」


 頭を下げてその場を離れようとすると、呼び止められる。


「おい。このあとはどうするつもりだ?」


「このまま湖を散策して、どこかほかの街にでも行こうかと思っています」

 

 どうして質問されるのか謎だったが、べつに隠すこともない。


「本当に見物に来ただけなのか、貴様……」


 男性は驚いたのか呆れたのか、判断が難しい表情になった。


「異世界人と言うなら、魚をとったり料理したりする方法を知っているか?」


 立ち去ろうとしたタイミングで話しかけられたので、仕方なく答える。


「知っていますが、それがどうしましたか?」


 青年の意図がさっぱりわからない。


「何となく異世界の料理を食べてみたくなった。やってくれるなら礼はしよう」


 と言われても困惑してしまう。


「調理器具がないのだから、簡単な焼き魚すらできないと思いますが」


 もっと言えば釣り竿さえない。

 もしかしたら素手でつかまえることはできるかもしれないけど。


「それは私が用意しよう。貴様は腕をふるえばいい」


「はあ」


 奇妙な依頼だと思うけど、何となく断りづらい雰囲気だ。

 ウェンティさんに親切にされた分をここで返しておこうと思い、引き受けてみる。


「湖の中に入るのは抵抗があるのですが」


 寄生虫のたぐいがいないとはかぎらない。

 

「ああ、そこは私が何とかしてやろう」


 と青年が言ったのでどうするのかと思っていると、目にもとまらぬ速さで何かを投げたと思ったら、網で魚をすくいあげていた。


「さあ、ここからどうするのだ?」


 とじっとこっちを見ている。


 素手で魚を触らないように手袋をして、下処理をして、それからじっくりと火を通す。

 

 青年は俺が要求するものを何でも取り出してくれたので、おそらく『高度収納バッグ』と似たアイテムを持っているのだろう。

 

 自分で料理しようとしない理由だけはわからないが、詮索しても教えてくれない雰囲気だ。


「できましたよ」


 焼いたものと蒸し料理と二種類を皿に並べる。


 調味料と俺の知識・技術の問題で地球の料理を再現できたとは言えないんだけど、どうやら細かいことはあまり気にしないらしい。


「美味い。これが地球の料理か……」


 と青年は焼いた魚を食べながら目を見開く。

 

「こっちにも美味しい料理はありますが」


 彼の言動だけだとこの世界の料理のレベルが不安になるが、すごくいいものだと俺はすでに知っている。


 野菜だけはイマイチ美味しくなかったけど……。


「こっちも美味いな」


 青年は聞いてないのか、蒸し料理も味わっている。

 ナイフとフォークを使う様子がぎこちない。


 どういう素性なのか聞いても大丈夫だろうか?


「貴様は食べないのか?」


 不意に聞かれてしまう。


「いや、食べても大丈夫なんでしょうか?」


 いまさらだと思ったけど、不安はしっかり出しておきたかった。


 下処理も加熱もしたからめったなことはないはずだけど、あれだけじゃ無害化できない毒がないとはかぎらない。


「人体に害がないものだけだ。安心するがいい」


 この青年の言葉には奇妙なほど説得力を感じたので、試しに食べてみる。


「美味しい」


 けど、店で食べた料理のほうが美味しい気がするけどなぁ。


「そうだろう。この礼はしなければな。貴様の望みは何だ? 私が実現できる範囲でかなえてやろう」


 と青年に言われて困る。

 そもそも彼は何者で、どんな力を持っているのか、さっぱりわからない。


 言動からすると人の街と言うか、料理に詳しくなさそうだ。

 となると俺の欲しい情報を持ってるかもしれない。


「じゃあ人がすくなくて、のんびり暮らせる場所について、心当たりありませんか?」


 というか彼の住んでる場所が、俺の理想の住環境の可能性だってある、とちょっとだけ期待する。


「それならここでもいいだろ。ここには人が寄りつかないし、人の街から隔離された場所というわけでもない」


 青年の即答に困惑せざるを得なかった。


「ここはドラゴンが住んでいるらしいので、あまり向いてないのでは。ドラゴンがどう思うかわかりません」


「何だ、気づいてないのか」


 青年は奇妙なことを言うと立ち上がって、みるみるうちに姿を変えて一匹の巨大な龍になる。


「私こそがそのドラゴンだ。私が許可をするのだから、誰も文句は言うまい」

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