漆ノ歌 鶯の鳴く声あはれ君いぬる

31. 成り変わり

 婚姻の儀の間、帝が祈りを捧げているはずの紫神殿。

 家具や仕切りが全て取り除かれた紫神殿の中央に座した雅は、御簾みすの向こう側に見える闇を見つめていた。

 婚姻の儀が始まってすぐ、雅はこちらへ移動して来た。そして今、目付け役として山吹殿にいた神官二人から婚姻の儀の形式が終了したとの報告を受けたところだ。

 生成が上手くやったのなら、もうそろそろ時は来るだろう。


 懐から三つ折りにされた白い紙を取り出す。それを開くと、中にはびっしりと呪が描き込まれている。そしてその中央に華村はなむら生成きなりの名と、少量の白い毛髪。生成が舞台の下敷きになって意識を失っていた際に見舞い、自ら切り取って来たものだ。


 最初あの強大な魔は、帝を狙っているのかと思っていた。雅は常に「桜の宮」のあちこちに手の者を配し、貴族たちの動向は常に探っていた。だが、恨みを買っていそうな人物ら見当たらなかった。となれば、全ての不満の行き先は帝になる。


 もし帝を恨む者があるとすれば、依夜との婚姻を是とせず、母に執着のある生成だ。だが婚姻が決まった時に一度揺さぶっている。あの時には謀反の意は見えなかった。

 誰が生み出した魔なのかわからない。ならば万全を期するしかない。


 雅は昼は出来る限り帝の側に控え、夜は帝に成り変わり帝の寝所に詰めた。帝は神殿の奥で清藍せいらんの神官に護らせて。


「まさか生成を狙っていたとはな」


 薄く笑みを浮かべ、生成の毛髪を半分ほど手に取り、それを口へと含んだ。

 食べ物とは程遠い感触が舌を刺激する。そのまま、毛髪を飲み込んだ。

 雅はたった今から、生成に成り変わるのだ。帝に成り代わっていたように。


 山吹殿には、強固な封印を施して来ている。それは華村生成という人物の存在を中へと閉じ込める結界だ。あそこにいる限り、魔は生成の気配を感じ取ることは出来ないだろう。

 残った毛髪はまた紙に包んで懐へ戻す。


(さあ、ここへ来い)


 魔を迎えるために、紫神殿を使うことを帝は渋々ながらも承諾した。ただ人が少なく、広く、魔を迎えるのに適した場所はここしかなかった。

 すでに人払いは済ませ、紫神殿の外にいる者も清藍の神官たちだけだ。


(生成には恨まれるだろうな)


 魔が現れたら山吹殿から出し、そこで魔に対処すると生成には言ってある。だからこそ、生成も依夜を刺激するという任を引き受けてくれたのだろう。だが、その後生成が成そうとしていることは、雅には許容する事が出来なかった。

 生成も依夜も、事が終わるまで山吹殿から出されることはない。それが最善だと雅が判断した。

 大切なのは、個の勝利ではなく全体の繁栄なのだから。


 頭の中に微かな違和感がひらめく。次の瞬間にひどい異音が全身を駆け抜けた。錆びた金属を擦り合わせたような耳障りな音。

 その音が真っ直ぐにこちらへ向かって来ているのが感じられた。


「華村生成は、お前の憎い相手はここだ」


 抜刀し立ち上がる。胸を押さえた。そこには生成の毛髪入りの呪が入っている。

 室内に灯された火が揺れた。


「許せよ」


 それは誰へ向けた言葉だったのか。自覚する前に、外で悲鳴のような声が上がった。同時に突風が吹き御簾が巻き上がる。

 そこにいたのは黒い闇。雅が何度も取り逃した生霊だ。

 紫神殿へ入ろうとして、結界に阻まれている。


「お前にその結界が破れるか? それしきに阻まれていては私の命は奪えぬぞ‼︎」


 張り上げた声に魔が反応した。怒りと憎しみの念が雅へと押し寄せる。


(——さすがの力だな)


 魔が結界を押し始めた。その圧力が伝わってくる。あまりにも大きく育った憎しみ。

 火の灯された室内から御簾の外は見えないが、清藍の神官たちが結界を発動させる呪を唱える声が聞こえる。魔の周りを覆って他所に逃さず、確実にこちら側へ突破させるためだ。


 結界を一点集中で破ろうとする魔の圧に、こんな時なのに薄い笑いが浮かんだ。

 狙った通りだ。魔はそのまま結界を破るだろう。そのために力を使えば、少しなりとも力を削げるはずだ。

 全身が粟立つ。


「来い‼︎ だがお前に命をくれてやるわけにはいかぬ」


 出来ることは、ぎりぎりまで魔の力を削いでからこの身に引き受ける事だ。退魔の力を持ち、魔に耐性がある自分なら命が助かるかもしれない。

 みしみしと結界に亀裂が入っていく。

 刀を構えた。

 まるで陶器が砕けるような音が鳴り響き、結界が弾け飛んだ。魔が殺気を巻き散らしながら紫神殿へと飛び込んでくる。


「よし」


 足を前に出す。両手で握った刀を魔に向けて下からふり抜いた。

 退魔の力をまとい発光しながら刀が魔に食い込む。身体を反転させ距離を取る間に、魔から音にならない絶叫が上がった。

 その絶叫が止まぬうちにもう一太刀を浴びせ、一旦引く。


「神の光をもちて我封ず。悪しきたましい外界へ仇なすこと叶はず」


 呪を唱える。雅へ向き直った魔へもう一撃。


「結•封•界•滅•印•光‼︎」


 紫神殿の内側に施していた結界用の六枚の札が輝き、紫神殿内部に新たな結界が形作られる。

 わざと一点集中で破らせるために外側に張っていた結界とは違い、今度のものは柔軟性がある。一点集中では破ることは困難だろう。


「お前と相打ちになるか、私が勝つか。勝負だ」


 刀を構える。

 魔から殺気が飛ぶ。憎しみの念が雅の身体に突き刺さり、呼吸が早まる。これがただ人であったらこの程度では済まないところだ。


「どうしたその程度か」


 やはりこの選択は正しかった。雅の身体は魔への耐性がある。魔を攻撃すればするほど、生霊である魔と繋がる本人を苦しめる事になるが致し方ない。


「ならばこちらから行くぞ。数多輝く光の力、我、召喚す」


 刀身が輝く。まとわりつく魔の殺気をふり払い駆ける。


「我が刃に宿りて闇を祓えよ——」


 魔が雅へと向き直り、その黒々とした手を伸ばす。


「威光撃滅‼︎」


 薙ぎ払った刀から放たれた光が魔を直撃した。めちゃくちゃな異音を放ちながら魔が悶える。

 脚を止めずに距離を取り、もう一度体勢を立て直し刀をふる。

 退魔の力を何度も受け、魔が呻いている。その黒い闇の中に人の姿がぼんやりと浮かんだ。

 女だ。憎しみに囚われもがき苦しんでいる女。生成を害そうというそれだけの思いが具現化した姿。

 それなのに、その表情は酷く悲しげだ。


「そんなものは捨ててしまうがいい」


 想いを遂げれば魔は消えるはずだ。本人に返さずに鎮めるには引き受けなければならない。

 光をまとった刀を一閃する。その刀身を避けることもせずに魔が身にまとう闇で受け止める。


「————くっ」


 押し合い、奥歯を噛み締める。なかなか魔の力を削げない。魔として育った憎しみの強さもあるが、なによりこの生霊を生み出した本人の強さが反映されている。


(皮肉なものだな。魔を祓う力も最も強いなら、生み出す力も桁違いか)


 闇の中で雅に——いや、生成に手を伸ばす女の姿。その表情は慟哭しているようにも見える。

 刀がまとう退魔の光で魔が焼けていく。それでも魔は引かない。


(よし、このまま……)


 再度切りつけようと刀を引いた、その瞬間だった。


「————ッ‼︎」


 一気に魔の影が膨らみ、次の瞬間に刀身ごと雅に取り憑いた。


「——ッあああッ‼︎」


 全身を鋭い痛みが駆け抜けた。その後に、こらえようのない熱が内側から雅を焼いていく。


(くそっ、まだ力を削ぎきれていない……っ)


 その瞬間に悟った。魔の侵食に打ち勝つ希望はなくなったのだと。


「まだだ……」


 まだ道は残されている。このまま魔の想いを遂げさせ、魔を浄化すればいい。そうすれば相打ちだ。どちらも消える。だがそれしか方法はない。

 のどから熱い何かがせり上がってきて口から流れる。それは真紅の……。


(内をやられたか)


 脳裏に浮かんだ顔に詫びる。


「——神よ、その光を……我に、与へよ……」


 両膝をつきながらも、胸に手を当てる。手が淡く発光し、取り憑いた魔を焼く。

 床に真紅の雫がぼたぼたと落ちた。それでも神の光を降ろし続ける。魔が焼かれて酷く耳障りな呻き声を上げた。

 目がかすむ。魔の悲しみと憎しみが雅を苛む。


(良い、わたしの命で済むなら想いを遂げるがいい)


 この魔が消えれば、生成への憎しみが消えればまた違う未来が見えてくるだろう。

 薄く笑いを浮かべたその時、ふいに身体が軽くなった。


「なっ————」


 魔が声ならぬ声を上げて雅から離れた。その闇は紫神殿の外に出ようとし、雅の張った結界にぶつかった。呻き声を上げながら外へ出ようともがいている。


「まさか」


 あの魔には、雅は今生成に見えていたはずだ。それなのに離れた。外へ出ようとしている。その理由など一つしかない。

 生成が、どうやってかはわからないが外へ出たのだ。

 魔は本物の生成の気配に気が付いたに違いない。


「生成、お前……やめ……」


 身体が動かない。それどころか目の前が暗くなり、その場に倒れ伏してしまう。

 魔の方へ近づこうともがくが、身体に力が入らない。胸が焼けるように痛い。


「雅殿‼︎」


 生成の声だ。その方向に頭を動かす。霞んだ目に、外へ出ようともがく魔の姿が映る。その向こう、壊れた御簾の隙間に白い影が見えた。


「ようやく会えましたね。あれは人違いだ。あなたの憎い華村生成は私です」


 まるで言い聞かせるように優しく語りかける声。


「私が魔を引き受けます。清藍のお方々は魔が私に憑いたら雅殿を」


 清藍の神官たちのざわめく声。


「き、なり……」


 声が出ない。魔が生成に気づいてしまったからには道は二つしかない。

 生成が魔に憑かれて命を失うか、魔を調伏して本人に返すかだ。

 あの魔の強さを見るに、退魔の力を持たない生成が耐えられるとは思えない。だが調伏すれば、返された本人の命も危ういだろう。だがもうどちらかしかないのだ。


(私は、しくじったのか……私の力が及ばなかったばかりに……)


 視界が暗くなる。魔の発する異音が膨らんだ。

 足音、そして生成の聞いたことのない痛ましい悲鳴と倒れた音。

 大勢の足音がする。雅の身体をゆすり、助け起こす手。そのどれもにも、もう反応することは出来なかった。

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