陸ノ歌 消えぬ傷君につけばやとこしへに

26. 朝議

 帝の御前に集まった重臣たちを前に、雅は内心の緊張をぐっと押し殺した。別にこんなことは初めてではない。それでも、やはり気が張る。


 依夜と生成きなりの婚姻の儀を翌日に控えた朝。明日の最終確認のために、帝は重臣たちを紫神殿ししんでんに招集した。

 高御座たかみくらに帝が座し、その高御座の下で雅は重臣を見渡す。

 婚姻の儀自体はやることは少ない。つつがなく進めば翌朝には終わり、依夜と生成は正式に夫婦となるだろう。


「開始は日の入りを確認し酉の刻に。儀の目付け役として清藍の神官を二名立てる。また、私はこの儀をつつがなく終えられるよう山吹殿に結界を張り、神の名の元に一晩の封印を執り行う」


 婚姻の儀を行うのは山吹殿。山吹殿はそれだけのために建造された寝殿だ。もちろん、雅自身の婚姻の儀もそこで行われた。

 雅は明日、婚姻の儀が始まったら山吹殿を封印し、一晩神に祈りを捧げる神事を庭で執り行うことになっている。


「それから、帝はここ紫神殿で祈りを捧げられる」

「それは、どういう……?」


 困惑した声が上がる。声の主は、帝の叔父でもある季守きしゅだ。


「たった一人の我が妹ゆえ、神事とは別に我も神に祈りを捧げよう。婚姻の儀の間はひとりで籠るゆえ、取り次ぎは禁ずる。皆の者、良いな」

「恐れながら、雅殿も依夜姫も山吹殿においでとなると、もし魔が出た場合……」

「ここは強力な結界を施し、神官の数も増やしている。退魔の力を持つ神官も多数配置した。問題はないかと」


 季守が心配しているのはあの生霊だろう。その懸念がわかるからこそ、紫神殿の護りも手厚くしている。もし魔が出た場合、この「桜の宮」で一番にお護りしなければならないのは帝だ。


「そう、その魔の話で重臣の方々に知っておいていただきたいことがございます」


 婚姻の儀自体は、簡素なものだ。やることなどそう多くはない。この朝議はむしろ、婚姻の儀よりもこれから伝えることの方に重きが置かれている。


「これから申すことは他言無用にございますれば」


 重臣たちの顔に一様に緊張が走った。他言無用と言われていい話だったことなどないに等しい。その気持ちは雅も同じだ。


「面目ないことに我々が度々取り逃している魔は、生霊。そしてその生霊はどうやら、華村生成はなむらきなりを恨んでいるようなのです」

「なんですと……」

「生成自身が生霊からの殺意を向けられているようだと証言しております。生成は優秀な神官、その感触は気のせいなどでは済まされませぬ」


 雅としては、依夜か、もしくは帝が誰かに恨まれているのだと最初は思っていた。もし帝が恨まれている場合を考えて、それなりの手も打っていた。しかし、その理由がないと感じてもいたのだ。

 それが生成なら合点がいく。あの魔が出たとき、生成もその場に必ずいた。一度目も二度目も、依夜を狙っているように見えていた。だが、依夜を庇っていた生成を真に狙っていたのだとしたら。


「横恋慕かもしれませぬな」


 それが真実でないにしても、材料としては十分だろう。

 生成は自覚がないだけで見目が整っている。もしかしたら手が届くかもしれない高貴な血筋と外見、また基本的には誰にでも優しく親切なところは人気だ。

 依夜との婚姻が決定した途端に、横恋慕していた女の想いが怒りや憎しみへと変わり生霊を生み出したとしてもおかしくはない。


 生成は優秀な神官だ。だからこそ、まだ憑かれてもいないし魔の障りもないのだろう。これが常人ならひとたまりもない。

 それらを伝えると、ざわめきが広がった。納得したように頷く者、そんなことがあるだろうかと首を傾げる者など反応はさまざまだ。


「本当に横恋慕かは置いておくとしても、恨みに思う相手の婚姻の儀。山吹殿にあの魔が現れてもおかしくはないでしょう」


 そうなるように手筈は整えたが、こればかりは当日を迎えてみなければわからない。だが可能性は高いと言える。だからこそ、雅がなんとかしなければならないのだ。どんな手を使ってでも。


「魔は我々神官が引き受けますが、各々心に留め置き用心ください。山吹殿への接近は禁じます」


 解散を告げると、皆が平伏した。帝が先に紫神殿から退出していく。雅も、その後ろから付いて帝の私邸となる清流殿へと場所を移した。

 昼御座ひのおましへと座した帝の前で平伏する。


「準備は滞りなく済んでいるか?」

「はい。生成には良いように伝えてありますので問題はないでしょう」

「そうか。あとは任せるが……ここまでやる必要があるのだろうか」

「そうでなければお救い出来ませぬ」

「そうだな……」


 帝は依夜のことを本当に大切に思っている。だからこそ、雅の提案も受け入れてもらえたのだ。

 それがどんなに非情な結果をもたらすとしても。


「私は間違っていたのだろうか」

「私にはわかりかねます」

「其方はそう言うしかないな。詮無いことを聞いた」


 帝は嘆息し、力ない笑みを浮かべる。


「ままならないものだな。私の目には、きっかけさえあれば打ち解けられるように見えていたよ。あの二人は……お互いを想い合っていたから」


 依夜に幸せになって欲しい。その帝の想いがこの事態を招いた。それを悔いている様子だ。


「雅、すまない」

「いえ、もったいないお言葉です。これは、私の意思ですので。むしろ、ご尽力いただけていること感謝致します」

「どうか、依夜を頼む」

「はい」


 雅としても、力ある神官を失うわけにはいかない。命を天秤にかけてでも救わねばならないのだ。餌とすべきは誰なのか。迷う必要もない。


「なにか望みはあるか?」

「そうですね、では本日一日の休暇を。息子が宿下りしてきておりますゆえ」

「許す」

「ありがとう存じます」


 自分はこれまで妻として、母として務めを果たせていただろうか。命を選別をするこの神官長を、彼らはどう思うだろう。

 どう思われようとも、その道を進むことは変えない。雅にとって個の迎える結末など瑣末さまつなことだ。神官長である自分が考えるべきは、全体としての繁栄なのだから。

 ただ今日だけは、その瑣末な個としての時間を過ごしたい。


(依夜姫も、生成も、私にとっては瑣末な個だ。神よ、人の心をとうの昔に失くした私が神官長だ。あなたはそれを望まれているのか?)


 いや、望んでなどいないのだろう。なにも。


(私は私の信じた道を行く。大神よ、そこでただ全てを赦しながら黙って見ておくがいい)


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