伍ノ歌 君と居るかけがへのなき日をいつく

21. 流行り病

「ふむ、なるほど。辻褄は合うな」

「おそらく間違いはない、かと」

「……このことは後日私から伝えよう」


 雅と生成きなりの話し声がする。そこに入るのはいささか気が引けたが、呼ばれているので仕方がない。

 依夜は渡殿で立ち話をしている二人に、咳払いをしてから、失礼いたしますと割って入った。


「ああ、依夜か、良く来た」


 清藍せいらんの長であり神官長の雅が顔を上げ、依夜を迎えた。それに頷き、生成の横へと並ぶ。


「婚姻の儀の前で忙しいところ済まないが、二人には楽隊とさじを連れて町へ行ってきて欲しい」

「なにかあったのですか?」

「いや、最近流行り病で高熱を出している者が多いと報告があってな」

「魔のさわりではないか確かめろ、と?」


 生成の問いに雅は頷く。


「その通りだ。それに、障りであろうがなかろうが病人には薬が必要だろう」

「ええ、そうですね」

「依夜は魔を頼む。魔の有無に関わらず場を浄化して来た方がいいだろう」

「はい」


 生成は治療を、依夜は楽隊とともに退魔と祓いの神事を。それが今回の仕事らしい。


「熱……麻黄、桂皮、甘草、杏仁、生姜、葛根……」


 生成がぶつぶつと生薬をつぶやき出す。なにを持って行くか選定しているのだろう。依夜も軽い知識はあるが、それを症状や患者に合わせて調合するなどできることではない。

 生成は神子であり、神官だ。それだけで存在に価値がある。それなのになぜ、さらに匙になろうと思ったのだろうか。

 やはり臣下だという引け目をなんとか埋めようとしたのだろうか。神官には貴族の身分など関係ないのに。

 雅と同じ清藍の位には、町で生まれた平民もいる。神子みこを生むのは貴族がほとんどだが、臣民にもごく稀に生まれることもあり、神殿へと申し出れば必ず徴用してもらえる。

 神子というだけで貴重なのだ。


(神官はもちろんだが、匙は人を助ける)


 人を助けたいと思ったのだろうか。

 いや、今は職務に集中するべきだ。もしも魔がいるのであれば……。


(町だけではないな)


 ここ「桜の宮」にも魔はいる。しかも依夜も雅も退魔に失敗している強力な魔が。


「雅殿、あの魔をまだ退治できておりません。桜の宮を離れても良いのでしょうか?」

「宮には私がいる」


 にこりと笑顔を使った雅に、出過ぎたことを言ったと悟る。


「それに、私たちが護るのは貴族ではなく臣民だ」

「はい……」


 自分の考えの至らなさに恥ずかしさが込み上げた。これだから生成には鬱陶しがられているのだろう。

 ちらと隣の白い影を見上げる。そこにある顔は、険しくはなかった。良くも悪くもごく普通の表情だ。


「とは言っても、あの魔の対処は急務かと」


 依夜の浅はかさに嫌味を言うくらいはするかと思ったが、そうして来ないことに少し肩透かしを食らった気分になる。

 歌会の日から、生成は少しだけ依夜に対する態度を和らげたような気がする。それは、気のせいかと思うほどの微かな変化だが。


「あれはおそらく、この宮の誰かが作り出した生霊だろうな。だが生霊は本人も作り出したことに気づいてない事の方が多いもの。厄介なことだ」


 はぁと息をついた雅が、なにかを見咎め二人の背後に目線を移した。


「あれは……」


 雅の視線につられるように、依夜と生成もふり返る。そこには、こちらへと向かってくる水干姿の童子。

 たまに生成の側で見る顔だ。生成に仕える童子で、確か名を秋史と言ったか。


「生成殿!」


 まだ高い声が生成を呼ぶ。


「秋史。どうした?」

「茜姫が生成殿を呼んでくれと」


 茜姫。生成の母親で、依夜にとっては叔母に当たる姫だ。昔から桜の宮の端に住んでいて、あまり顔を合わせたことはない。

 もちろん、尊い身分ながらそんな場所に住まされている理由は知っている。だからといって、叔母に良い悪いの感情がわくほど接してもいない。


「……わかった。すぐに行く」


 頷いた生成に、ほっとしたような顔で秋史が側に控えた。


「おい」


 これから町へ行くというのに母親のところへ行くのだろうか。生成らしくもない。


「雅殿、依夜殿。母上の具合がお悪いようですので様子を見に行かせていただきたい。一刻もあれば戻れます」

「茜姫が……⁉︎」

「そう心配することではありませんが、少し気になりますので」

「楽隊の準備には時間が少しかかるから、その間だけなら良いよ。二刻後に出発にしよう。依夜、準備を頼む」

「承知致しました」

「申し訳ありません。ではまた後で」


 言うが否や、秋史を従えて生成が早足で歩き去って行く。


「茜姫は、どこか体調がお悪いのか……?」


 そういう話は聞いていない。だが、他ならぬ生成がそう言っているのだからそうなのだろう。

 体調が悪くなったのは最近なのだろうか。


「雅殿はご存じでしたか?」

「ああ、あれはそう、だね……悪いと言えば悪いかな。まあ、命に別状はないから心配はいらないよ」

「そう、ですか……」


 妙に引っかかる言い方だが、雅の歯切れが悪いところを見ると口にしにくいことなのだろう。生成がいないのに聞き出すようなことも出来ない。


「では、わたしも行って参ります」

「ああ。よろしく頼むよ」


 * * *


 そこは殺風景な建物だった。「桜の宮」とは違い、小さな家。「桜の宮」にある馬小屋の方がよほど大きい。

 だが、これが護るべき臣民の普通だということもまた理解している。

 彼らにもっと良い暮らしをしてもらうために、出来ることはしなければならない。それが貴族に生まれたものの務めだ。

 家の中央には質素な布団が敷かれ、体格の良い壮年の男性が横たわっている。がだがたと身を震わせているのは寒いのだろう。だが、それ以上男にかけてやれる衣も布もはここにはなかった。


「熱、寒気……麻黄の方がいいか……」


 そう言いながら、生成が手に持った紙に筆で生薬の名を書き連ねていく。

 町へ下り指定された区画まで馬を走らせると、確かに魔の障りが感じられた。そのため、区画ごとに設けられている舞台に簡易的な神事の準備を施しているところだ。舞台に垂れ布をかけたり、楽器の調律をしたりが主なもので、時間はそうかからないはずだ。


「薬を出しましょう。魔を避ける簡易結界を張りましたから、じき良くなりますよ。安心しなさい」


 生成が優しげな表情で男を励ましつつ、側に控えていた神官に紙を渡す。それをさらりと見て頷いた神官は、外へと出て行った。薬を調合するのだろう。


「ありがとうございます……っ神子様……」

「いえ。それではこれで」


 男の肩を軽く叩いて笑顔を作ると、生成は立ち上がった。退出して行く。その背を追って依夜も外へ出る。自分には見せることのない笑顔が、胸をざわつかせた。

 生成は休む暇もなく次の家へと入って行く。


(あの男にも魔の障りがあった……ここら一帯がそうなのか)


 余計な考えをふり払うように頭をふる。

 こんな風にたびたび流行病が特定の地域で蔓延するのは珍しいことではない。「桜の宮」は神官が常駐し、毎日神事を行うからまだましなのだ。町にも常駐の神官はいるが、全員が退魔の力を持つわけでもない。


(舞台を見に行こう)


 匙の仕事も少しは見てみたいが、邪魔になるのは本意ではない。

 それに、見たところで今更どうなるわけでもない。これからのことなど考えるだけ無駄なことだ。

 今やらなければならないのは、神事の力をかりて広範囲の魔の障りを浄化することだ。


 舞台の方へ向かうと、手に小さな鈴の束を持った子どもたちが依夜に手をふった。その手に合わせて、鈴がしゃらしゃらと鳴る。その側では、同じように鈴を持った大人たちが会釈をした。

 彼らに笑みを返しながら、周りを見渡す。外に出て来ている臣民たちは、皆、大きさや数は違えど手に鈴を持っている。それは自前のこともあるだろうし、今日「桜の宮」から持って来て配ったものもある。

 彼らはこれから行われる神事に参加してくれるのだ。なるべく多くの人々に鈴を持って神事に参加してもらう方が、より広範囲の魔の障りを祓うことができる。


 少し歩くと舞台が見えてくる。決して大きいものではないし古びてもいるが、今は色とりどりの垂れ布で装飾されていて華やかだ。三角錐のような形の屋根の先からは、やはり色とりどりの長布が四方八方へと伸びている。その長布は途中で違う色の布を結んで繋ぎ、近隣の家の屋根をこえていく。そのあちこちにも鈴が取り付けられていた。

 何軒かの家をこえて下に垂れた布は、子どもたちをはじめ臣民達が握る。その布を引いて鈴を鳴らすのだ。

 準備はほとんど終わっていると言っていい。この様子なら間もなく始められそうだ。


「依夜殿、ご準備を始められますか?」


 依夜に気づいた神官が声をかけてくる。同じ天緑の階級の神官で、年齢は雅と同じくらいだが、数少ない女性神官の一人だ。


「ああ、そうしよう」


 彼女に歩み寄ると、彼女は絹ひもで繋がれた鈴を取り出した。依夜の当腰の上からそれを取り付ける。袖括りの紐の先にも鈴を数個付けていく。後ろで結えた髪紐にも。依夜が動くたびに鈴の音がするはずだ。


「楽隊も準備は済んだようだな」


 舞台の周りには、葦笛あしぶえ龍笛りゅうてき篳篥ひちりき、尺八、琵琶、しょうなどを持った楽隊が並んでいる。


「始めよう。各所に伝達を」

「はい。匙達はどうされます? まだ診療中のご様子でしたが……」

「治療が優先だ、神事には参加せずとも良い」

「はい。では、生成殿だけお呼びいたします」

「要らぬ」


 生成を呼ぼうとするのは、依夜の側近であり夫となる男だからだろう。だが、生成も匙の一人。治療を続けてもらった方がいい。

 それに、鈴や楽あの音がすれば始まったことなどわかるだろう。


「そう、ですか……。わかりました」


 頷いた神官は、踵を返した。伝達へと走り出す。

 やがて、違う神官が依夜の側に来た。その手には刀を携えている。


「準備整いました」


 差し出された刀を、鞘から抜く。陽の光を反射してきらりとその刀身が輝いた。

 舞台の中央に進み出る。周りの臣民たちが手を振ったり拍手をしたりしてくれている。その度に鈴の音が鳴った。


 依夜の退魔の光は広範囲に降ろすことができる。だが広範囲とはいえ無限ではない。「桜の宮」の寝殿一棟くらいが限界だ。

 その限界を広げるのが楽の音と鈴だ。退魔の光と楽の音を共鳴させ、より広い範囲へ届かせる。そして町中にいる臣民たちが、鈴の音がどこからか聞こえたら自分も鈴を鳴らすのだ。その音を媒体にして、退魔の力はさらに遠くへ届くだろう。

 刀を頭上へとかざす。


「——始めよう」


 * * *

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