断編章 われは君ばかり思へり村雨の

20. 茜

「これはどういうことじゃ」


 届けられた歌会で詠まれた歌の写しが茜の元に届くのにそう時間はかからなかった。


「姉上、なにを興奮しておられるのです」


 その写しを持って来たのは弟の季守きしゅだ。

 今まで忘れられたように暮らしていた茜のもとに、生成きなりの婚姻を祝う品や文が届き出した。不審に思い季守に事情を知らないかと遣いをやったところ、本人が出向いて来たというわけだった。


「生成は臣下ですから、貴族の方々も姉上にお祝いを差し上げるか迷っていたのでしょう」


 茜は貴族の地位を剥奪されたわけではないものの、その醜聞は皆が広く知っている。積極的に関わりになりたがる者は皆無と言って良かった。

 それが、歌会の後から手のひらを返されたのだ。生成は臣下とはいえ尊い生まれの貴族には違いない。茜の醜聞よりも、生成に取り入りたいという思惑が勝ったのだろう。


「もちろんお二人は詠む歌を示し合わせて来られたはずですが、それにしても依夜姫が歌を詠んだ時は肝が冷えた」


 手元の写しに視線を落とす。依夜の歌に再度目を走らせる。

 これだけならば、まるで生成を拒絶するかのような歌だ。だが、生成の詠んだ歌を合わせると意味が変わる。どちらも仲睦まじい比翼の鳥を思わせる歌だ。


「いやまさかこんな返歌を用意しているとは恐れ入った」


 おかしい。生成は依夜に嫌われていると言っていた。たびたび息のかかったものに様子をうかがわせていたが、その者たちも口を揃えてそれを肯定した。

 あれは嘘だったとでも言うのだろうか。まさか皆で自分を騙していたのでは。

 そこまで考え、茜はかぶりをふる。


(妾はなにか見落としておる……)


 もう一度依夜の詠んだ歌に目を通す。


(依夜姫は、生成を憎んでいると言っていた)


 それが事実と考えるとこの歌は辻褄が合う。


(生成は————)


 依夜のことが嫌いだと、憎いと言ったことがあっただろうか。生成から聞くのはいつも、依夜には嫌われているという話ではなかったか。


「依夜姫が生成を嫌っているというのも、私の思い過ごしだったのかもしれませんなあ」


 写しを持った手が震えた。

 違う。おそらくそれは本当のことだ。しかし真実は、語られなかった方にある。


「しかしこの歌を見ると、どちらかと言えば生成の方が依夜姫を慕っておるようだ」

「……そうじゃな」


 すっと頭の奥が冷えていく。


「歌会の後も依夜姫が体調を崩されると、真っ先に介抱し、抱きかかえて退出してな」

「なんじゃと……」

「依夜姫も感激したのか涙を流されておいでだった。やはり睦まじいものだと皆尊く思ったのですよ。いや、政略結婚が普通ですからな、最初からあれほど睦まじいことは少ないですし」


 母を騙しながら、自分は欲しいものを手に入れたのか。あの、気味の悪い白い魔性は。


(許せぬ)


 生成の心を惹きつけるものなど全て壊れてしまえばいいのに。


「妾を捨て置き帝妹を娶るか……」


 全身の血が逆流しているかのように熱い。


「お言葉ですが姉上」


 季守が姿勢を正し、茜を見つめてくる。


「姉上は生成を溺愛し過ぎているのでは。気持ちはわかりますが……」

「お前にはわからぬ。妾がどんな思いで、臣下に降ろされた生成を見守っておるのかなど。生成は本来尊い御子のはずじゃった」

「それはそうですが」


 季守が深いため息をつく。


「私が帝に選ばれる器であったなら生成の皇族への復帰を神に訊くことも叶うでしょうが」

「は……ならば謀反でも起こしてみせよ」

「ご冗談を。そんな面倒はごめんですよ、私は帝の器ではありません。良くて摂政が精一杯でしょう。それに帝に儚くなっていただいては困ります。依夜姫にとっては唯一の兄妹、どんなに悲しまれることか」

「ああ、そうだろうとも」

(……生成は好いたものが壊れるのを見たらどんな顔をするじゃろうな)


 その顔が見られれば許してやらないこともない。そんな事を考えつつ笑みを浮かべる。


「わかった、もうよい。下がれ」

「姉上……まあ、そういう事ですので」


 そう言いながら、季守がしぶしぶ立ち上がり去っていく。


「われは君ばかり思へり村雨の降りしきる世を生きながらへて」


 知らず口角が上がる。本物の愛情というものがどんなものなのか、生成にはしかとわからせねばならないだろう。


(お前は妾だけのものじゃ……妾だけの……)

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