肆ノ歌 後の世は鳥にならばや笛の音と

16. 清流

 巫女舞の練習をしたいから手伝って欲しい。生成きなりにそう頼んできたのは、神楽巫女退位の儀で琵琶と巫女舞を披露した桜だった。

 齢十二。狩衣を着ている姿はまだ細く、着せられているようで愛らしい。今日は仕えるべき依夜は非番だ、付き合ってやるのも良いだろう。そう思って承諾した。


 桜の階級は二つ下。あこめの色は橙だ。総じて若い者たちの多い階級ということもあり、巫女を務める女性神官が最も多いのもここだ。依夜は十七にして天緑てんろくの長だが、それは異例のことと言える。


 そんな階級違いで声をかけづらいだろう生成にも臆せず声をかけてくる度胸は大したものだ。依夜の退位の儀で神楽かぐらを奉納する大役に選ばれただけのことはある。そもそも依夜つきの紫上局が乳母を務めた姫ということもあって、依夜や生成にはそれなりに気安い気持ちを持っているのかもしれない。

 その華奢な背に付いて、神殿内の稽古場へと向かう。


「いつも一人で稽古されているのか?」


 その背に声をかけると、ふり返った桜の顔がほころぶ。歩調を合わせ生成の隣に並んだ桜は、小さく首をふった。


「いいえ。ちゃんと稽古はつけてもらっています。でも、ここ数日はお宿下りしていらっしゃるものですから」

「ほう。ならばあなたも稽古はお休みになられても良いのですよ。あまりこのような機会はないでしょう」


 まだ幼いとはいえ、彼女は退魔の力を持つ神官だ。舞の稽古にしろ琵琶の稽古にしろ、神官としての勤めにしろ忙しいはずだ。

 神官ではない同じ年頃の者たちとの親睦だって深めたいだろう。


「でも、わたしは舞も琵琶も好きなんです」


 純真なその瞳に思わず笑みがこぼれる。


「生成殿も龍笛りゅうてきがお好きなんですよね?」

「そうですね。好きですよ」


 楽を嗜むのは貴族として必須だし、神官なら尚のこと必要だ。だが、それがなくても生成は龍笛を愛しただろう。


「ええ、わかります。生成殿の音色を聴いていると」

「それは光栄ですね。あなたの琵琶も素晴らしい。その歳でなかなか出来ることではない」

「ふふ、嬉しいです」


 褒められて嬉しそうにほおを染めた桜は、やはり年相応の少女だ。


「生成殿の龍笛は、依夜姫もとても褒めておいででした」

「っ、……そうですか」


 思いがけない一言に一瞬動揺した自分に驚く。自分のいないところで依夜が話題に出しているなど露にも思わなかった。

 正直、依夜以外からの自分の評判は悪くないと思っている。けなしたところで依夜の印象が悪くなるだけだ。

 ならば話さないの一択になるだろう。普段の依夜ならば。


「この世で最も美しい、夜空の清流のようだと」

「————っ」


 それはいつか聞いた依夜の言葉。満開の夜桜の下……。

 なぜ今、それを桜に話したのだろう。なんのために。

 表情が強張った。それを見上げて、桜が眉根を寄せる。


「生成殿? いかがされましたか?」

「いえ、なんでも……」

「わたしもそう思います」


 愛らしくほほ笑んだ桜の顔に、無理矢理笑みを作る。


「私には星が、見えないものですから」

「……あ、そう、でしたね」


 桜の顔が曇る。だが、それはすぐにまた笑顔になった。


「星は、依夜姫のしょうの音みたいだと思います。きらきらしているので」

「あぁ、そう……そうですね」


 天から降る光のような依夜の笙の音。その光には、月光も、星の光も含まれていることだろう。


「お二人の音は本当に素晴らしいと思います。……あ! 聴こえますか?」


 嬉しそうに生成を見上げてくる桜。その言葉を聞くよりも早く、生成の耳は聴き間違うはずのない音をとらえていた。

 遠くから聴こえる、輝くような旋律。

 稽古場に近づくにつれ、その音ははっきりしてくる。


「依夜姫がおいでなのか……?」

「はい。舞を見てくださると。それで、生成殿を呼んで来るように言われたのです」

「依夜姫がか?」

「そうです。今日なら付き合ってくれるのではと」


 桜には悟られないように小さく舌打ちをする。行動が読まれていたようでしゃくに触る。

 依夜の目的が読めない。依夜ならばそんなことは絶対にやらない、そう仕向けたはずなのに。

 稽古場へ足を踏み入れると、笙を奏でている依夜の姿があった。非番だからだろう、紅色のうちぎ姿だ。


「依夜姫……」


 依夜が笙から口を離す。まず生成を見て、桜へと視線を向けた。その顔に笑みが浮かぶ。


「上手く行ったようだな」

「依夜姫、あなたはまだ休んでいるべきだ」


 ついきつい口調になってしまい、隣の桜が驚いた顔をしたのを見て我に返る。


「依夜姫、どこかお悪いのですか?」

「昨晩はね。だが、腕のいいさじが調合してくれた薬が効いたのでもう大丈夫」


 笑顔で頷いた依夜に違和感を覚える。依夜は生成相手にこんなことなどしないし、言わない。


「どういうおつもりか」

「どうとは? 桜が舞うのに、本物の音ならば良い稽古になるだろうと思ったまでのこと」

「龍笛ならあなただって出来るでしょう。なんなら葦笛あしぶえも尺八も、そうも、琵琶もなんでも」

「そうだな。その上で、この世で最も美しい、夜空の清流のような音色なら良いなと思ったまで」


 桜に話したのと同じ温度で、まるで世間話でもするかのような依夜の口調に戸惑う。

 依夜がこんな風に話しかけて来ることなど、あの日以来なかった。誰かがそばにいる時は極力喋らないか、最低限の会話だけ。人の手前生成の龍笛を褒めることはあったが、立場や職務上のものでもっと堅苦しかった。

 まだ幼い桜が相手だからだろうか。それとも。


「さぁ、始めよう。見ていてあげるから舞ってごらん」

「はい、お願いします」


 依夜と生成にそれぞれ一礼し、桜が中央で構えた。こうなっては付き合う他ない。

 生成も龍笛に口を付ける。息を吹き込んだ。桜の束ねた栗色の髪がふわりと舞い、弧を描く。狩衣であるのにまるで柔らかな絹をまとっているかのような軽さ。

 その動きを穏やかな瞳で追っている依夜の姿が、生成の胸をざわつかせた。


 一曲が終わり、依夜が桜に歩み寄り助言をする。袿姿のため派手な動きは出来ないものの、腕の伸ばし方、手首の動き、視線の向きなどの細かな指示をする。それを受けてまた同じ曲を舞い、改善していれば次の曲へと進む。

 そうして四曲分の舞を指導し、依夜は終わりを告げた。


「疲れただろう」

「少しだけ。でも、まだ出来ます。依夜姫に教えていただけるなんてこんな機会そうそうありませんもの」

「そう? そうだね、また機会があれば教えよう」

「本当ですか?」

「約束する」

「ありがとうございます」


 嬉しそうにほほ笑む桜に、依夜も優しく笑い返している。本当に姉妹のような姿だ。


「ひとまず今日は終わりだ。体力を使い果たすことは、神官として避けなければね。あなたは退魔の力を持っているのだから」

「はい」


 退魔の力を持つ神官は少ない。魔が出れば絶対に呼び出しがかかる。その時に動けないのでは神官としては失格だ。


「生成殿も、ありがとうございました」

「いえ、あなたの舞は十分素晴らしい。こちらも楽しかったですよ」

「いえ、生成殿の龍笛のおかげです。とても美しくて気持ちよく舞えたので」


 ほほ笑んだ桜に、昔の依夜が重なった。この笑顔を奪ったのは自分だという自覚はある。

 依夜が悪かったわけではない。だが、運が悪かった。そういう運命だった。自分と出会ってしまった時から。


「桜、ひとつお願いがあるのだけど」

「はい、なんなりと」

「これを萌葱もえぎ殿にいる紫上局しじょうのつぼねのところへ持って行ってくれないか?」


 そう言って依夜が差し出したのは、自分の笙だ。


「わたしはもう少し用事があるのだけれど、これは早く乾かしたいんだ。紫上に温めてくれるように言付けてくれ」


 笙は息を吹き込んだ際に出来る水滴などで調律が狂ってしまう楽器だ。その水滴を蒸発させるために炭火で焙り温めなければならない。


「わたしが……預かっても、良いのですか?」

「ああ。たまにはあなたのお顔を見られれば、紫上も喜ぶ」

「ありがとうございます、依夜姫」


 桜が両手で大事そうに笙を受け取る。


「桜がお預かりします」


 丁寧に礼をして、桜が稽古場から退出していく。これ以上の長居は無用だ。

 踵を返そうとすると、呼び止められた。その事に苛立ち、舌打ちをする。


「お前にはまだ用事がある」

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