8.5 シンタロウ・J・カワムラ

 サクラからはあれから連絡が一度も来なかった。もう5年が経過している。サクラはこのエミュレータの外側の管理者になった。ノースは約束通り、もう俺たちのことに関わるのをやめたのだ。


 シンタロウはネブラスカの高校をやめて、正式にUCLに所属した。そして、今はメサの研究室にいる。アールシュの代わりにシンタロウが作り続けているエミュレータは未だに人類を移住させるレベルに達していなかった。ジャーナル・レコードはあれからデータを読み出すことが出来なくなってしまった。シンタロウはサリリサがノースに「あの日」のコードを外させることを合意させたのだと考えた。おそらく全てのエミュレータにもう「あの日」は訪れないだろう。


 シンタロウは外部との連絡係でもあった。ただし、ノア・バーンズがUCL-1とのインターコネクタを外してしまったので上位や同じ階層のどこのリージョンともつながっていない。だから、実際はサクラからの連絡を待ち続けているだけのことだった。コーヒーポーションをセットしながら、デスクの正面の壁を見る。無機質な研究室に似つかわしくない、オリエンタルな作風のヴィシュヌ神のポスターが無造作に貼ってあるのを見た。


 アールシュはあれからメシミニアの教祖であるハンター・ヒックスに自分がデータを流出させた本人であることを名乗り出た。そして、ハンターは自分の知らない上位のティアや「真実の現実」の情報を持つUCLの有名人であるアールシュを崇拝するようになった。ハンターの代わりにメシミニアの教祖となったアールシュは、引き続きエミュレータの有用性やその可能性を説き、人々を安心させるために布教活動を行っている。ライアン・ハミルはスカイラーを連れてメシミニアの集会に通っているようだった。その甲斐あってスカイラーは少しずつ精神が安定するようになっているという。


 一度、アールシュがメサの研究室を訪ねてきたことがある。そして本当のヴィシュヌはシンタロウとサクラだったのだという。アールシュに言わせれば俺とサクラが、ヴィシュヌが意味する「守護者と維持者」なんだそうだ。俺がエミュレータの中の管理者で、サクラは外側の管理者になり、ノースから独立したこと、そして俺たちのリージョンが今は「真実の現実」でティア1のハードウェア上で実行されていることを告げるとアールシュは何かを考えるように深くうなずき、神に祈るように手を合わせていた。

 そして、「暁の器」とは俺とサクラのことで、「羽」とはティア3検証リージョンのことを指していたのだなという。「真実の大地に根を張るでしょう」か、今ならその意味が全てわかると言い、結局、君たちがいてこそのエミュレータ「ヴィシュヌ」だったのだ。アールシュは自分には自分の役目があるといい、メシミニアの本拠地であるオレゴンに満足そうに帰って行った。


 そして、今日。シンタロウは、ソフィアの実家、バージニアにあるコールマン家に来ていた。ンジィアイの17歳の誕生パーティに呼ばれたからだ。ンジィアイがプールのそばのテラスで踊っている。両家の親族が集まり、華やかに着飾った群衆の前で、ひときわ美しく着飾ったンジィアイが踊る。ストゥルの成人の儀で踊った踊りを披露しているのだった。女性らしい、しなやかな体の曲線を際立出せる踊り。それはストゥルの言葉で再生を意味する踊りだった。シヴァは破壊とともに再生の意味を持つという。そしてラースヤは再生を意味する女性の舞踊だ。


 振舞われていたシャンパンを飲んでいると、踊り終えたンジィアイが拍手の中をかき分けて、シンタロウを見つけて話しかけてくる。


「シンタロウ。来てくれてありがとう。」


「誕生日おめでとう、ンジィアイ。ソフィアに頼まれていたコードを用意して来たよ。ヴィノのサクラが使っていたカスタマイズのOSとPA。もうンジィアイなら使いこなせるはずだよ。改良してあるから古さはないはずだし、きっと気に入ると思うよ。誕生日プレゼント何がいいかソフィアに相談したらコードだって言うから驚いたけどね。17歳の女の子だよ?そんなので良かったのかな。」


「ありがとう、シンタロウ。最近ヴィノOSとPAのチューニングするところがもうなくなって詰まんなかったんだ。で、ソフィアに話したら、昔、シンタロウがすごいOS持ってるの見たって言うから私も見てみたかったの。」


 ンジィアイはシンタロウに話したかったことがあった。

「あ、それでね。私、シンタロウのことで思い出したことがあるの。昔、アールシュを介してシンタロウとサクラが寝ていたところをみたの。シンタロウとサクラは「真実の現実」に行ったんでしょ?」


「そうだよ。確かに5年前に行ったよ。」


「その時に少しだけ二人の蓄積データをみせてもらったの。そこで見つけたのは、二人とも同じものだったのよ。」


「それって、どういうこと?」


「とても心地がよいもの。だからその時の私には珍しくて大切に持っていたの。シンタロウとサクラの気持ちよ。シンタロウはもう持っていないみたいね。どうしたのかしら、あんなに素敵なものをもう持ってないなんて。「真実の現実」でお互いの気持ちを伝え合うはずだったんでしょ?」


「いいわ。私が持っているのを見せてあげるね。ねぇ見て、シンタロウ。温かくて心地いいでしょ。あなたとサクラがもっていたんだよ?」

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