ターンダヴァ&ラースヤ

8.1 ンジィアイ

 人類とアンドロイドが住む「真実の現実」は別の人類である「ストゥル」の住む世界でもあった。ストゥルが別の人類と認識され、人類とは別の道を歩むことになったのはプロセッサが登場してから1世紀を少し過ぎた頃だった。プロセッサを接種した人類とそれを拒んだ人類は生物学の観点から別の人類として定義された。それは人類側の見解として論文が発表された時に認められたもので、ストゥルの祖先もそれを承認していた。


 しかし、本当に決定的に別の道を歩むことになったきっかけは、ストゥルの祖先が統治する自治区で起こった紛争だった。人類と経済的、思想的な隔たりが広がっていたストゥルの祖先は最後に残された土地として、西大陸との入り口にある半島の隅の小さな自治区に追われていた。当時、和平を望む人類と頑なにそれを拒絶するストゥルの祖先は平行線をたどるばかりだった。しかし、和平とは人類側の理論であり、ストゥルの祖先からすれば、人類の支配下に置かれ、搾取され続けることを容認しろと脅迫されている状況だった。対話のための武装解除を大義として、強硬手段に出た人類側に追いつめられたストゥルの祖先は、隠し持っていた短距離戦術核を使用した。西大陸側の経済企業体の準加盟地域の一部が被爆し、しばらくの間、人が住めない土地となってしまった。


 一線を越えたストゥルの行動はそれ以降、人類とストゥルの間に埋まることのない溝を作るきっかけとなった。また同じころに、アンドロイドによるナキナリのエミュレータ移住などの人類史の大きな変化があった。そして、人類そのものの数が自然と減少していく中で人類とストゥルは対話の機会を失い、時間が過去を風化させてしまっていた。人類はストゥルに少しずつ興味をうしない、人類がストゥルを支配し搾取しようとしていたことも意図的に忘れ去ろうとした。やがて人類はストゥルが存在したこと自体に確証が持てなくなり、過去の記録上の人類として扱うようになった。


 12歳で成人するストゥルの寿命は80年ほどだった。ストゥルは成人後も両親や親族と小さな集団を作って暮らしている。ストゥルは自治区を失って以来、定住地を作らなかった。そして祖先の言い伝えの通り、人類のように国を作らず、また、そのきっかけとなりえる大きな集団さえも作らなかった。ストゥルには人類とアンドロイドが自分たちにとって災いをもたらす邪悪な存在だとする伝承があり、それらに近づかないように生きている。


 ストゥルのンジィアイは成人を迎えた12歳の少女だった。ンジェアイとその家族は惑星が恒星に最も近づく時期に神聖なこの土地を訪れ、成人の儀式を行う。そこはストゥルが人類と決別して自らの道を歩み始めた最初の土地であり、ストゥルの祖先が人類だった最後の土地だと言われている。そこは短距離戦術核を使用した紛争が行われた自治区の土地だった。


 ストゥルはプロセッサを拒否したことで結果的にナキナリとならずにオリジナルの自我を保ったまま存在していた。プロセッサを持たず、自我を保った人類はノースたち最後の4人の他にストゥルしかいなかった。


 数百年前、人の住む場所から離れた場所、ストゥルが暮らす土地で自害した人類の死体が見つかることは珍しくなかった。人目を避けることができる場所は、自決する最後の地として選ばれることが多かった。


 ストゥルは人類の死骸を見つけては解剖を行った。そしてプロセッサや老化治療や遺伝子操作の痕跡からそのテクノロジーを学んだ。ストゥルは全てを受け入れたわけでなく、彼らの思想にそぐわないものは取り入れることをしなかった。例えば老化治療などは未だに彼らは受け入れていなかった。


 しかし、プロセッサについては取り入れることを決断した。そして、ストゥル独自の儀式を用いた場合のみプロセッサの接種を許容するという厳格な条件付けを行った。プロセッサの利便性を理解したストゥルはナキナリの存在を知りながらも、使わずにいられなかったのだった。


 その儀式とは、祖先代々受け継がれているプロセッサを、その年に成人を迎えた子孫が引き継ぐという、民族的な儀式を模したものだった。シリコンタンパク質を形成するワクチンを製造する技術を手に入れていたストゥルは、先祖代々受け継がれているナノプロセッサを先祖の脳みそから取り出し、シリコンタンパク質の苗床ごと食すことで自身にプロセッサを取り込むのだった。その際に、先祖が首元に入れたシリアル番号を引き継ぎ、自分も同じ番号を首に刻んだ。


 成人を迎えたンジィアイは曾祖母から受け継いだプロセッサが機能するようになったばかりだった。ストゥルのプロセッサは何世代にも渡り繰り返し利用されることで、プロセッサごとに独自のコードを持っていた。また、ストゥルは独自に進化した声帯でいくつかの高周波帯と低周波帯を使い分け、プロセッサと連動させることでパルス型のコードを生成することが出来る。扱えるコードは集団ごとに異なった。そのため、別の集団と婚姻するごとにストゥルの持つプロセッサとパルス型コードの組み合わせのバリエーションが増し、人類のプロセッサとはまるで別物のような機能を持つようになっていった。


 ンジィアイのプロセッサは他者のリソースを使って自身の意識を他者の中に生成することが出来る。それは、元々はそのプロセッサを持つものが他者を知るためのコミュニケーション手段だった。寄生した意識をもう一度自身に戻すことで、他者を理解することが出来た。


 ンジィアイは、最初は動物にコードを仕掛けて動物の意識を認識して遊んでいた。だが、興味深かったのはプロセッサを持つアンドロイドだった。ンジィアイは初めて見るアンドロイドに興味を惹かれ、近づいてはいけないという言い伝えを無視した。偶然、物資を輸送するためにルート走行していたアンドロイドを見つけて、プロセッサに干渉した。アンドロイドのプロセッサのスタック領域でンジィアイのパルス型のコードが実行されるとアンドロイドのリソースに寄生する形でンジィアイの意識のコピーが生成された。


 ンジィアイがアンドロイドの蓄積データをシークしていくと、いくつかの興味深い感情のソースとなる圧縮データとそのデータ保管形式を見つけた。見つけたデータと生成した意識のデータをアンドロイドが利用している衛星に送り、ンジィアイがデータをフックして受信すると、パルス型のコードが生成したンジィアイのコピーの体験を本体のンジィアイが追体験することが出来た。ンジィアイはアンドロイドからコピーした蓄積データ取り込み、これまでにストゥルが持ったことがない感情を呼び起こして遊んでいた。


 そして、ンジィアイの成人の儀式からしばらく滞在していた神聖なこの土地に大きなガラスの箱を見つけた。ンジィアイが探索していると扉から出てくるアンドロイドと人間を見つけた。初めて見る人間に警戒すると同時に人間が衛星とリンクする前にパルス型のコードを侵入させた。蓄積データをシークし、人間の名前がアールシュだと知った。


 人間はアンドロイドとは比較にならないほど興味深い蓄積データを持っていた。ンジィアイは夢中になって時間を忘れて深層部分の蓄積データをシークした。そして、突然インプットデータに反応して、ンジィアイが見たこともないような大きな感情が見られた。自分が間違っていない、エミュレータの普及、使命、イレギュラー、シンタロウとサクラがいなければ。ンジィアイが知らない感情に包まれて、それを体感しているうちに、アールシュは場所を移動していた。


 そして、横になる男性と女性がインプットデータから見えた。アールシュのインプットデータからそれがシンタロウとサクラだということが分かった。アールシュのプロセッサを経由してシンタロウとサクラのプロセッサに干渉する。どちらにも全く同じようにお互いを思い合うとても心地の良い暖かい感情があった。これ以上、コードを分散して増やすと容量が保てなくなるので、シンタロウとサクラ、二人のプロセッサからコードと、さっき見つけたばかりの、その暖かい感情を持つ蓄積データを引き上げてアールシュ上のンジィアイのコードに統合した。


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