7.5 独立

 シンタロウがここまで来た目的は一つしかなかった。それはサクラを人間にすることだ。だがそれは、ここに来るためのエクスチェンジを通った時にすでに叶ってしまっていた。あと残っているのは、シンタロウが感じていた不安だけだ。それもノースに、サクラは本当に自分たちと同じ人間になれたのだろうかと聞けばいいだけだった。ここでやるべきことは本当にそれだけだったのだろうか。シンタロウに小さな違和感があったがそれが何かまではわからなかった。


 目的を失ってしまったシンタロウは改めて自分が本当は何をしたいのか考えた。これまでサクラを見て、自分自身を認識していたのだと考えていた。サクラは自分自身だ。変わっていくサクラを見てシンタロウは、もうサクラと自分は別の人間になってしまったのだと改めて実感した。そして、今度は自分の番なのかもしれないと考えた。


 この世界がエミュレータだということはシンタロウにとってどうでもいい話だった。しかし、ノースの話は、これまで自分が大切だと感じていたものが、簡単に踏みにじられていくような思いがした。インターステート10を走っているときに感じた怒りや、その時に言語化して認識した両親への感情が本物であってほしかった。あの時、理解した悲しさ、虚しさ、遺伝子がそうさせるのだという、諦めるような冷たい感情が、子供の時に見た両親の背中の映像と重なり、胸が詰まった。あれは全部誰かの期待に応えるためにあったものではない。


 そう考えると、さっきノースが言ったことが少し理解できるような気がした。遺伝子を組み替えてまで自分をアップデートし続けているノースは自分のやり方で誰かに押し付けられた世界から自立したのだ。だがノースのとったその方法は、誰かに自分の世界を押し付けなければならなかった。とてもじゃないが自分にはできない、シンタロウはそう考えた。


 ノースが言っていることは全部本当の事だろうがそれはノースにとっての真実であり、ノースにとっての価値基準でしかない。俺たちにとって何の関係もないことだ。シンタロウはサクラを初めて認識した日や、二人で夜中までS=T3をチューニングする日々を思い出していた。やっぱり、あそこが自分にとっての真実だ。シンタロウはもう一度、ティア3検証リージョンに戻ろうと思った。インターステート10を思い出す。祖母が作る豆のスープの3日後だ。今度こそ、煮崩れて溶けたそれが何かわかるようになろうと思った。


 シンタロウはノースに聞いた。


「サクラは本当に俺たちと同じ人間になれたの?」


 ノースは興味がなさそうに頷き、そして答える。


「もちろん。そうでなくては私も困るからな。サクラのフィジカルはシンタロウの遺伝子がベースになっているものを用意している。だからそれほど違和感もないだろう。」


 それを聞いてシンタロウは安心した。そして、自分の目的が全て達成されたように感じていた。それを察したノースは、シンタロウにこれからどうしたいか尋ねた。


 シンタロウはノースに、自分たちの世界はやはりエミュレータの中だと言った。そして、自分にとっての現実は、ティア3検証リージョンなので、現実の世界に帰るという。さらに、ノースに向ってシンタロウは、もう自分たちのエミュレータに干渉しないでくれないか、と言った。ノースはシンタロウが期待外れなのではないかと思い始めていたので少し驚いた。ノースは、シンタロウの真意を確認しようと思い、その理由を聞いた。


「やっぱり、俺の思考や感情は自分だけのオリジナルだって思っていたいんだ。ノースが外で何か期待しながら待っていることを知ったら、絶対に自分がオリジナルだなんて思えないでしょ?だって、ノースの期待にこたえられるかどうかが世界の価値基準ってことになるからね。だとしたら、オリジナルなんてそんなものが存在しないってことにもならない?それはきっと、俺だけじゃなくてあそこで生きているみんなそう感じるはずだよ。それにノースの意思でエミュレータを止められたり、初期化されたら、たまったもんじゃないよ。」



 そこまで話すと、シンタロウは少し笑って最後に言った。


「つまり、俺は独立したいんだよ。ネブラスカのカーニーから出て一人暮らしするみたいなもんだよ。だって四六時中両親に見張られてたら息が詰まるだろ?それと同じだよ。」


 そういってシンタロウはノースの目を見た。ノースは、だいぶ頼りないなと苦笑いしながらも、「始まりは得てしてこういうものなのかもしれない」と自分を納得させようと務めた。だが、最初に感じたよりもシンタロウにずっと期待していた。

 

 ノースはお人よしでもなければ、慈善事業をしているわけでもなかった。ノースは自分の欲望に忠実に生きた結果、生物としてこの世界に留まることが難しくなっていた。永遠に繰り返す歳月の中で、生きる理由を見失ってしまっては、これまで死んでいった他の人々と何も変わりはしない。死ぬことがなくなったノースでさえ、生きるために目的が必要になっていた。そして、生きる目的を「種の保存」という生物の最も単純で、最も重要なことに定めた。ノースはそれをただ忠実に実行しようとしていただけだ。


 最後にオリジナルを持つ人類が死んでからもう1世紀近く立っているのではないか。ノースに残された時間がどれだけあるのか分からなかったが、これがノースにとって最後のチャンスになるかもしれなかった。どんな理由であれ、目的を定めたのならば実現しなければならなかった。ノースのオリジナルとはそういうものだった。


 だからノースはシンタロウとサクラが下らない感情で、彼ら自身の持っている思考がねじ曲がってしまわないように、エクスチェンジを通過する時に、二人からお互いを思い合う感情とその蓄積データの一部を取り除いていた。彼らが恋だとか愛だとか表現する、一時の病理のようなその感情はノースにとっては合理を崩すだけの厄介な感情に過ぎなかった。そしてそれは、ノースからすればほんの少し、保険をかけたに過ぎないことだった。ほんの些細なことだ。


 そう考えるノースは、すでに人間の感情をくみ取るどころか生物からすら外れかけた存在になっていることに自分自身で気が付くことができなかった。ノースがそれに気が付くには、あまりにも周囲を無視し過ぎて生きて来てしまったし、自分の全てをアップデートしすぎていた。


 それでも、かろうじて人間の姿をしているノースの自我の端に残っていた直感が反応していた。元々一つの器に収まっていたシンタロウとサクラが今は別の人間だという。シンタロウがデバッグの障害に巻き込まれなければシンタロウからサクラをヴィノとして取り出すことはできなかったはずだ。サクラと自分の違いを細部まではっきりと認識できるようになったからこそできたことだ。主人格でないサクラがヴィノから人間になれたのも同じだ。


 もしかしたら、この二人ならば、共通思念を持つ、別アイデンティティを持った個体として成立するのではないか。しかし、論拠もなければ具体性も乏しい。すでに全知とも言える存在になっていたノースだったが、最後の決め手は言語化に程遠い、直感だけだった。それが、苦笑いとなり、自分を納得させようとしなければならない理由だった。そして数世紀ぶりに思い出したその感情にどこかうれしくもあり、そうさせたシンタロウに期待していたのだった。


「分かった、もう君たちのリージョンには干渉しないようにしよう。その代わり、シンタロウ、君とサクラが責任をもってリージョンの管理者をやるんだ。なに、後になれば何をすればいいか分かってくるよ。」


 ノースはシンタロウを見ながらそう言葉にした。


「シンタロウ、君との話はこれで終わりだ。私とサクラの話はまだ続いている。何か言っておくことはあるか?」


 ノースはシンタロウに尋ねた。シンタロウは少し考えてから答えた。


「いや、ここで話すことはもうないよ。帰ったらまた話をすればいい。サクラ、俺は先に帰っているよ。」


 ノースは頷き、入り口にいるヒューを示す。シンタロウはヒューの方に歩き出した。サクラはただそれを見つめていた。


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