7.3 倒錯

 ノースは考えていた。いずれ自分も自分を終わらせる時が来る。そしておそらくもう、この地球史からは、今残っている4人以外にオリジナルをもつ人類は生まれてくることはない。


 死なない世界を延々と生き続けるノースの精神はすでに生存本能を忘れ始めている。だから、ノースは希望を生み出そうと考えた。自分たちと異なる人類が生きる地球史を創造しようと考え、それを自分の生存本能に据えようとした。その手段として、アンドロイドが不憫なナキナリを保護するために高度に発展させたエミュレータを使うことにした。


 ノースは無数のエミュレータを並列稼働させ、様々な地球史を辿った。しかし、いくら試してもナキナリが蔓延し、知性の大半を吸収した挙句、無意味な時間を延々と続け、結局はノースたちと同じ道を辿る人類ばかりを見ることになり、いつしかそんな地球史に嫌気がさしていた。


 そこでノースは「あの日」を導入することにした。エミュレータ内の人類に自分たちが置かれている状況を認識させる必要があると考えたからだ。放っておけばノースたちと同じことを繰り返すだけだ。そして、ナキナリをあぶりだして、無意味な時間を延々に過ごさせることを阻止するためにジャーナル・レコードを残すことにした。


 ナキナリが生み出される可能性が高い地球史には、抽象化したメッセージで伝えるのをやめた。そういった地球史ではメッセージの意味を見落とし、ジャーナル・レコードが発見されずに「あの日」の意味を成さないことが頻発したからだった。だから、その意味が解りやすいメッセージとジャーナル・レコードを見つけやすいように直接位置を示すようにした。その地球史はすで手遅れかもしれないが、それでもまったく可能性がないわけではなかったので苦肉の策として「あの日」のバリエーションにローコンテクストを加えた。「あの日」のバリエーションは多岐にわたった。


 そして、ジャーナル・レコードに「あの日」の実行コードを決して取り外せないようにした上でエミュレータの仕様書を文献として残した。そうすることで下層のエミュレータにもノースの意思が伝搬することになる。


「それを無理やり押し付ける権利があなたにはあったの?」


 サリリサはたまらず口を開く。


「エミュレータの原型は元々、私や他の3人が作ったものだ。エミュレータはテクノロジーの進歩による必然だった。自分たちや自分たちが住む世界を作れるならば、そうしない手はない。当初、そこには意思も思想もなく、出来るから作っただけだ。ただそれだけの理由で作られたエミュレータだったが、ナキナリの移住を経て、人類の希望を創造するために使われることになった。それに、ナキナリ以外が住むリージョンもかつて存在していた。彼らはそれを与えられたわけではない。私が関与しようがしまいが、放っておいてもいずれ人間が生み出し、利用し始める。利便性を求めて結局そこにたどり着く。必然とはつまりそういうことだ。」


「でも私たちは、まだそれを知らなかった。両親も兄も受け止められなかった。それは自分たちの意思ではなかったからよ。」


「テクノロジーの進歩により、犠牲がでたことは事実だ。だが、それは私たちの世界でも同じだった。いつだって、誰かが自分の理想を勝手に押し付けてくる。私も誰かに押し付けられた世界と遺伝子に縛られて生きていた。ただ、私はそれに抗って自分のアップデートを行い続けた。そして、今では誰かに私の理想の世界を押し付けている。だが、世界の構造自体は何も変わっていない。結局誰かがやることだ。私という自我であろうが、他の誰かの自我であろうが、誰かがこのロールを引き受けるだけだ。そして、このロールは人類のためだと取り繕って言おうが、どうやったところで、テクノロジーの進歩を促す。そして必ずその対極の人間を作り出してしまう。」


 ノースは「必然」だという。あまりにもありふれた空虚な理論を並べ立てただけの言葉だった。そしてそれは、サリリサが自分自身を慰めるためにかけ続けてきた言葉でしかなかった。そんな無意味な言葉をノースから聞いて、サリリサは首を振った。


「あなたのような人だけじゃない。」


 人間の歩みを進めるためにジャーナル・レコードを作った。ナキナリの遺伝子の本質を早期にあぶりだして、人の知性と分離させようと考えた。私たちの世界でもプロセッサを拒否した人々にその兆しは見られたが手遅れだった。彼らと人類は別の存在になってしまった。どちらにせよ今さらテクノロジーを拒んだ先に未来はない。だから、そうなる前に希望を残したつもりだった。


 それなのに、目の前で震えて涙を浮かべる彼女をどうしろというのか。いずれはナキナリになるか、そうでなければ自らの命を自らの意志で終わらせるであろう、サリリサをどう考えればいいのか。


 ノースはサリリサをシークして言葉に詰まった。サリリサのリージョンで起こった「あの日」は数あるバリエーションの中でもノースたちと同じ道を歩む可能性が最も高いと判断された時に選択されるものだったからだ。そういった地球史ではナキナリがすでに表面化していることが考えられるため言葉は抽象化されずにローコンテクストで言語化された。彼らが人類の主体であれば、人類は新しい価値観を創造する力が非常に弱く「あの日」が意味を成さない可能性が高い。そういった地球史には、なんの期待もない。そのうち、時が来れば停止して初期化され、再実行が行われる無数のエミュレータの内の一つでしかなかった。


 サリリサの両親や兄が死んでしまったのと、ノースが住む死なない世界で自ら命を絶つ人々や、ナキナリとなって人間でなくなってしまった人々とは何が違うというのだろうか。すでにサリリサの地球史はノースたちと同じ道を辿っていた。しかし、そこから生み出されたエミュレータの地球史が、初めて最も抽象的に言語化された「あの日」を迎えるとはノースですら想定できなかったことだった。


 ノースは話を続ける。私が期待する地球史を創造するためのエミュレータ計画に関して、コピーやアクセラレーションせずに意図的に放置したものがあった。そのうちの1つが、サリリサたちの住むティア2検証リージョンだ。検証リージョンは私が望ましいと期待することとは異なる文化や進歩がみられた。私はそれでもあえて放置し続けた。そしてさらに下層にあたる、アールシュやシンタロウたちが生きるティア3検証リージョンが生まれた。そこで、たまたま発生した障害に、たまたまイレギュラーが重なった事象が起こった。そして、最も抽象的で、私にとって好ましい「あの日」の発動条件を満たした。


 私はそれに期待した。しかしそれはきっかけでしかなく、成果になるか直接接触してみなければ分からないと考えた。それが君たちに来てもらった理由だ。


 ノースとの対話は並列化した外部思考プロセッサを数十も使ってサリリサ、アールシュ、シンタロウ、サクラと同時に行っていた。そうでもしなければノースは持て余してしまう。


「サリリサ、もし君の決意が変わらずにここにいるのならば、私はまだ対話を続けてもいいと考えている。私は君が生み出したシンタロウたちが住むリージョンに期待している。だから、私は君に感謝を示す必要がある。たとえ、それが期待だけに終わろうともね。それに君の時間は止まったままなんだろう?」


 サリリサはノースを見つめて黙ってうなずく。サリリサは両親と兄が死んでエリミテ家の負債を相続した時に決断していた。「あの日」が起こらなければ両親も兄も死ぬ必要はなかった。サリリサはUCLでエミュレータ事業を統括しながら、その特権を使って、ジャーナル・レコードからエミュレータのコードを解析して「あの日」がプログラムされていることを突き止めていた。そして、それは外すことができない必然としてプログラムされていることも知っていた。そのテクノロジーを利用しなければエミュレータを実用に耐えられるレベルに引き上げるまでに途方もない時間が必要であることも知っている。両親と兄が死ぬ原因を作ったコードがあることを知りながらも、そのエミュレータを利用しなければここまでくる希望すら持てなかった。


「ええそうよ。私はあなたと話をするためにここまで来たの。だから、「あの日」がプログラムされたエミュレータに28年も関わり続けてまでここまで来たわ。両親と兄が死んでからこの日のためだけに生きてきたのよ。ティア3検証リージョンはアクセラレーションを止めて通常稼働して15年目になるわ。私が稼働させ始めたものよ。私が自ら稼働させたエミュレータはこれ一つ。私の犯した罪の一つ。本当に全て偶然だった。だけど今、それが必然だったと感じるわ。あなたの言った通り、必然よ。知っているんでしょ?私はあなたのくだらない計画をやめさせるつもりよ。」


「結局、君も私と同じじゃないのか?まぁいいだろう。これは君と私の話だ。2人だけで話をしよう。」


 ノースとサリリサの対話はアールシュ、シンタロウ、サクラが使う外部思考プロセッサとは別にフォークして分岐した後、聞こえなくなった。


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