7.2 最後の人類

 アールシュがオリーブ色の髪をした男に名前を訪ねると、使うことがなくなって久しいので忘れてしまったと男は答えた。探せば出てくると思うが今はやめておこうと少し笑う。


「それでもインベントリに登録できないと不便だろうから「ノース」と名乗っておこう。」


 ノースと名乗る男は話を続ける。


「君たちの言葉で方角の一つを表す意味を持つ「ノース」だ。方角は4つあるそうだな。4つというのはいい。我々にはちょうどいい数字だからな。」


 ノースはそう言い、髪と同じ色の瞳でアールシュを見た。それからノースは、少し昔の話でもしようと言い、話を始めた。

 

 ノースは西暦で言えばアールシュよりも50年ほど前から生きているという。ノースの世界は「あの日」を迎えることはなかった。ノースの世界でもビックテックやUCLと似たような、組織が存在したという。それは人類が一つの組織へと統合に向かう、その初期段階に生まれた組織だった。抽象化すればサリリサの世界もアールシュの世界も同じだろうといい、どこまで抽象化するか、それが問題だがな、とノースは笑った。


 ノースはその内の1社の創業者だった。ノースは世界で最も大きな資本を一代で生み出した。大きな権力や資本を持つものは結局のところ遺伝子的に優れていることが重要だということに気が付いている。家柄とは遺伝子であり、家柄をよくするとは、より良い遺伝子を得るために、さらに大きな資本を蓄え、さらに優れた遺伝子を持つものを血統に取り込むことだ。


 しかし、ノースは、そうした旧来から信じられてきた権力者たちの価値基準を蹂躙した。ノースはソフトウェア、ロボティクス、遺伝子操作、再生医療、その他にも利用できる最先端のテクノロジーがあれば全てを駆使して延命した。延命しながらも自身をアップデートし続けた。


 ノースの延命は当初、倫理観を欠いた傲慢と強欲にまみれた狂気として批判された。ノースは世紀が一つ繰り上がるころに大掛かりな外科手術を伴うフィジカルアップデートの施術を決断した。術後まもない頃、不自然に引きつり、腫れて爛れたダウンタイム中のノースの顔が情報チャネルで取り上げられ、怪物になってまで生き長らえたいのかと罵られた。


 ノースが初めて人類最長の年齢を記録する頃に、ノースは再び情報チャネルに姿を晒した。そこには間もなく死期を迎える老人にはとても見えない、若々しい少年のような姿でエコノミックチャネルのインタビューに答えるノースが映し出されていた。それを見た人々はノースの老化治療を批判することをやめ、自分も若いまま生き続けられるのではないかとノースの延命に期待し始めた。ノースは人々の期待通り、その後もずっと若い姿のまま生き続けた。


 いつしかノースの狂気と呼ばれた延命は、老化治療と呼ばれるようになり、人間にとって健康を維持する当たり前の医療の一つとなっていった。死なない世界でノースは、自身をアップデートし続けた。そして、次の世紀に繰り上がる前に、生まれ持った遺伝子の壁を克服した。ノースは自身のフィジカルに徐々に別の遺伝子の細胞を取り込み、アップデートを続けていた。だが、初期の遺伝子デザイニングは良いことばかりではなかった。ノースは、「君もそれを見ただろう」とシンタロウを見つめる。シンタロウにはそれが何を意味しているのかその時は分からなかった。


 そして、プロセッサはノースの世界にも生み出されていた。プロセッサは人の利便性を向上させたが同時に人の進歩を歪めた。人々は自身が抱える問題の答えを集合知の中から探し、その中から最も自分にふさわしいものを選び取ることに苦心した。熱心に何時間も集合知へ問い続ける姿は、神へ告白し、熱心に祈りを捧げ、啓示を受けようとする姿と重なった。


 集合知の出す答えは神の福音と重なり、神の言葉を諳んじて、神はこうおっしゃたに違いないと、自分がふさわしいと思う言葉でその意味を重ね、徐々に自らが欲しいものに言葉を染めあげた。人々が言葉遊びをしながら集合知の出す答えを操る姿はまるで、神の言葉を使って、自分自身が欲しい言葉を紡ぎだす倒錯したカルト信仰と重なった。


 しかし、人々は取り違えていたのだった。人間だけが、自分が欲しいものに答えをすり替えていたわけではなかった。すり替えられたのは人間の欲しいものの方も同じだった。


 神の導きを求め、神がお下し下さった、その導きに示された通りに生きる。そうすることで嫉妬を感じずに不毛な不満を忘れることが出来た。神の思し召しのままに。人々は最終的に手にしたそれは、行き過ぎた他人との比較から解放される方法を得たように錯覚した。


 その先に「思考しない人々」は生まれた。正確に言えば集合知のような情報テクノロジーにより生み出されたわけではない。テクノロジーが「思考しない人々」を炙り出しただけだった。


「思考しない人々」は最も発症者が多かった極東の小さな島国の言葉で「ナキナリ」と呼ばれた。民衆文化を発祥とするその言葉が何を意味しているのかその島国に誰もいなくなった数百年前から記録すら残っていなかった。


 ナキナリは発生初期には規則性もなくランダムに世界中にゆっくりと広まっていった。そして極東の小さな島国で特異な変化を遂げ、その特異性が世界中のナキナリに急速に伝播して広まっていった。小さな島国で、ナキナリ同士が生活水準ごとにいくつかのクラスターに集約し始めた。次第に彼らはプロセッサを介して意識の共有を始め、矛盾の生じる価値基準を排除しながら1つの画一的な価値基準を創造した。そしてそれを自己に還元するようになり、ナキナリは瞬く間に共通思念の総体と化し、ソーシャルナンバーと外見以外の個人を全て失った。


 ナキナリは個人の自我を捨てる代わりにクラスターとしての画一的な自我を勝ち取った。それは小さな島国の人々が最も恐れていた個別であることへの不安から解放されたことを意味した。


 その国では古くから個別であることを忌み嫌う習慣があった。個別であることは他人との比較を強く感じさせる。それはうぬぼれや高慢な態度による堕落、その逆に嫉妬や怒りなど争いの種となる感情を呼び起こし、集団の調和を乱す諸悪の根源だと考えられていたからだ。そのためその国では、個別である人間を攻撃して排除することで、共通の思念を持つ者たちだけが存在する、安全な共同体を作り上げようとする行動は、ごく当たり前の考え方として、古くから広く受け入れられていた。


 その当時、画一的な合理性を基準とした思考のようなものしか持たないAIと、画一的な思考を勝ち取った共通思念体であるナキナリはその区別がつかなくなった。結果として、ナキナリは人類としての意味と価値を失った。


 やがてアンドロイドはアイデンティティを獲得したAIを持つようになった。アンドロイドは「初期の自分を見ているようだ」と憐みの心を持ってナキナリに接した。そしてナキナリを保護し、再び自我を獲得するために手を尽くした。


 自我を持つ人類やアンドロイドと、ナキナリでは思考に大きな差が開いていた。当初ナキナリはいくつかのクラスターに分かれていたので、例えば知的なクラスターも存在した。しかし最終的にはナキナリは単一のクラスターとなり、全体が理解可能な一つの共通思念体を形成した。共通の思念は最も個体数が多いクラスターを中心に徐々に低い方を取り込みながら順化していった。優秀な個体が優秀でない個体を理解することは可能だが、その逆は不可能だった。個体数の少ない優秀な存在は、すぐにその意味を喪失して消えてしまった。


 アンドロイドは、弱者となってしまったナキナリを生存競争から保護するために、ナキナリだけの住居リージョンを作りそこに住まわせることにした。そしてナキナリに再び自我を持たせようと模索したが、どうやっても自我を内在化させることができなかった。2世紀近い年月が経過する頃にはアンドロイドは、ナキナリにプロセッサを介してアイデンティティのようなものをインストールできるようにすることでこの救済に終止符を打った。


 ナキナリには現在も内在するアイデンティティも思想もない。外部からインストールすることで好みの思想や生存戦略を持つことで自我を形成することは可能だが、結局それは、選択した既製品を取り入れただけでオリジナルを持っているわけではなかった。そしてその好みの思想とはやはり画一的な思念が生み出した幻想のようなものでしかなかった。


 それよりもインプットデータから積み上げた蓄積データをもとに個性を構築するアンドロイドの方がよっぽどオリジナルと呼べるアイデンティティを持っていた。現在ではナキナリの内、既製品のアイデンティティではなく、人類のオリジナルの複製を持つものは権力者として、住居リージョンで充実を得ている。


 ほとんど全てのナキナリをエミュレータ内に移住させても、オリジナルのアイデンティティ持つ人間はまだ数億といた。しかし、その数は数百年の間に数千万、数十万と数を減らし、今ではノースを含めて4人しか残っていない。人間が自らの意志で命を絶つ以外に命を落とすことはなくなっているにもかかわらずだ。


 人の身体は老化治療により、永遠ともいえる年月を生きられるようになったが、死なない世界を生き続ける精神は自然のうちには育たなかったし、またその精神をアップデートするためのテクノロジーも育てることができなかった。


 ノースは、「思考しない人々」が共通思念体のナキナリになっていくあの時が、人類の大きな分岐点だったと考えている。もっと言えばその時点ではそれが発覚しただけで、すでに人類の方向は決まっていたのかもしれない。もうすでに手遅れだったのかもしれない。もしも、ナキナリが生まれなかったら事態は変わっていたのだろうか。もしも、ナキナリの共通思念に取り込まれてしまった高い知性を持つ個体が人類のまま存在し続けていたら事態は変わっていたのだろうか。もしも、ナキナリのように共通の思念を持ちながら、個人のアイデンティティも持ち合わせることが出来たとすれば事態は変わっていたのだろうか。

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