5.2 ネイティブとヴィノ
サクラは自席で3人のヴィノに囲まれていた。
「一緒に来たネイティブとはどういう関係?なんでネイティブと仲良くするんだよ?」
ゲイミー・ブリンズ・セラトとロドル・ブリンズ・セラトは男性、ジーネ・ブリンズ・セラトは女性のヴィノだ。UCL-1ではヴィノの人権が認められているのでハイスクールに入学することも当然可能だった。セラト家は親権を保持する3人のヴィノに、セラト家の家業の一部を継がせるため、この学園で経験を積ませていた。3人のヴィノは初期セットアップで12歳までの蓄積データとライフログを投入した後、この学園のジュニハハイスクールに入学していた。そして、3人はミドルティーン用の筐体への移行を終え、今年からハイスクールに上がったばかりだった。
UCL-1のヴィノは人間をネイティブと呼び必要以上にネイティブに関わることはなかった。もし利害が対立すると厄介だからだ。ネイティブの人権とは異なるヴィノの人権。その差はいずれ大きな軋轢を生む危険を秘めていることをヴィノたちは十分に理解していた。もちろんヴィノたちは、無知を孕む純粋さや正義感、悪意や嫉妬、そしてそれらの整合性が取られていないことで発生する矛盾をネイティブたちが持ち合わせていることを知っている。だからこそネイティブの善意に基づく行為を必要以上に刺激をしないように努めていた。
UCL-1では珍しいタイプのヴィノであるサクラにゲイミーは興味があった。UCL-1のヴィノは人間が考えた理想の美しさを追及しているため、息をのむような美しさを持つが、その反面、人間らしさが感じられない。それに比べティア3検証リージョンのヴィノは人間らしさに重点を置き、人間らしい美しさを表現している。それはどこか完ぺきではない歪みや物足りなさがあり、隙があるよう見えた。そして、そこに親しみや愛嬌、個性的な美しさを感じさせた。
「2人は友人よ。シンタロウはずっと昔からの友人、ソフィアさんは最近仲良くなったの。」
ネイビーのジャケットに白のシャツとボルドーのリボン、ネイビーとボルドーが混じるチェックのプリーツスカートに学園がオリジナルでオーダーしたクラシカルな革のローファーを履いたサクラが答える。グローヴ財団記念学園では男女ともに指定の制服が用意されている。
「それって、どういう契約してんの?」
「なんの契約もしてないわ。」
サクラの答えにゲイミーは驚いた。
「ENAUのリージョンってそれが普通なのか?」
「他のヴィノのことはよくわからないわ。それに契約なんて特にいわれたことないし。」
サクラはそう答えた。ゲイミーが驚くのは当然だった。ネイティブと契約なしで友人関係を持つなんてヴィノからすればとてつもなく危険な行為だったからだ。だが、ゲイミーはそう答える、人間のような可愛らしさを持つサクラに益々興味が湧いた。
ヴィノの親権を持ったことがない一般人はヴィノの詳細スペックを知らない。だから、一般人の間ではヴィノは恋も恋愛もしないものだと考えられていた。だが、それは間違いだった。人間を模したヴィノから他の感情表現に影響を与えることなく、その感情だけを取り除くことはできなかったからだ。
実際は親権を持つ人間がそれらを許可していないか、より厳密に制限している場合は禁則コードを導入していたので一般的にそう見えるだけだった。しないのではなく、することが許可されていないことが多いというだけだった。ヴィノが好き勝手に恋愛や性愛行動をとっていたら親権者が損失を被る可能性が高くなるだけだ。
ゲイミーは、もしかしたらセラト家のヴィノと同じようにサクラも恋愛を禁じられていないのかもしれないと考えた。セラト家ではヴィノに恋愛を禁止することこそ、人権侵害だと考えていた。ゲイミーたちはそういった考え方ができるセラト家の人間が好きだった。サクラの親権者も同じような価値基準を持つ一族だろうかと考えると、サクラに親近感が湧いたのだった。それにジーネや同じクラスの他の女生徒はUCL-1特有のよく見るヴィノたちだったので、蓄積データからシークされずにゲイミーの主観ビューのスタックには誰の印象も残っていない。それに比べると人間のような特徴を持つサクラは、なぜか何度もコンテキストスイッチが走り、蓄積データからサクラの笑顔のデータをシークしてしまい、ゲイミーの主観ビューのスタックにサクラの印象イメージが残り続けている。
サクラのクラスはソフィアのクラスと同じくランクSでスコア900の生徒が集められている。ただ、17名全員がヴィノだ。そして、ヴィノが優れているのは当然だった。ヴィノがわざわざ学園に学びに来ているのは学術的な学びのためではない。ネイティブと同じ生活を体感し、経験としてそれを知るために学園に来ていたのだ。しかし、ネイティブとヴィノを同じクラスにすることは決してできない。いくらヴィノに人権を認め、フェアネスを声高に叫んでもそれがネイティブとヴィノの現実だった。
ネイティブがどれだけプロセッサを高度に使いこなせたとしても、とうの昔にネイティブがヴィノに勝る部分はなくなってしまっていた。そして、ヴィノに人権を与えるというネイティブの立ち位置自体がすでにいびつだった。その発想を追求すれば、それはネイティブの方がヴィノよりも上位の存在であると認識しているということに他ならない。その立ち位置は変えずに、いくらヴィノに人権を与えると言っても、それは本来ネイティブが持っていて当たり前の人権と同じであるはずがなかった。
そして、多くのネイティブはヴィノとの比較を目の当たりにした時、それを「別種との比較」だと割り切って受け入れられる価値観を未だに持てずにいた。ネイティブとヴィノを同じクラスに出来ない最も大きな理由はそこにあった。ネイティブは走ることで蒸気機関車に負け、チェスや将棋でAIの思考に負けた。ネイティブはすでにそのことは認めている。それらとネイティブを今ではもう比べたりしなかった。だが、ネイティブが持つ知識を基にした知性や知恵がヴィノと比べて劣っている、負けている、という事実を、ネイティブは未だに認めることはできなかったのだ。
学園内の食堂は、教室がある教育棟と個人の部屋がある寄宿棟の中間にあった。体育館ほどある食堂は、深い色のフェイクウッドをベースとしたクラシカルな作りで、ドーム状の高い天井からアンティークの巨大なシャンデリアがいくつも掛けられていた。食堂のセンターに配置された噴水を始点にエリアが3つに分かれている。それぞれのエリアにはエリアごとに異なる趣向のテーブルセットやソファー席が配置されている。エリアはそれぞれネイティブ用とヴィノ用、そして混合席という区分けだった。
この学園ではヴィノとネイティブはお互いを知るために週に2度、食事を共にする決まりだった。そしてそれの決まりを守ることは、この学園の卒業条件の1つとなっている。それは、この学園の創立者のグローヴ氏の教育方針を反映させたものだった。グローヴ氏はビックテックの1社の創業者でもあり、ヴィノ開発にも力を入れていた。クローヴ財団記念学園ではテクノロジーを受け入れ使いこなためのマインドや、テクノロジーがもたらす変化と共存するための立居振舞いを学ぶことができると賛同する家庭も多かった。
初日のランチは混合席でシンタロウ、サクラ、ソフィア、グエンの4人で一緒に食事をした。
「なんかあのクラス、すっごく息が詰まるんだよな。これを3か月も続けるのかよ。」
そういってソフィアがソファーにもたれた。
「あんたたちはどうだったの?」
シンタロウは別に辛くなかったとそっけなく答え、サクラは初めて接するヴィノたちはとても興味深いと嬉しそうに答えた。グエンはテーブルの上に座り、パンとメインディッシュのソースが掛かった肉を食べながらソフィアの質問を無視して話し出した。
「これは柑橘系のフルーツを使ったソースですね。オレンジかな、なかなかオシャレな味付けですね。僕これ全部食べてもいいと思います?このサイズのわんちゃんってどのくらい食べるんですかね。それとも、もしかしてワンちゃん用のご飯食べないといけないんですかね?味覚は共有できるのでせっかくなら美味しいものとか、珍しいものとかを食べたいですけど。」
「あのさ、ダメに決まってるだろ?てか、そもそもテーブルに乗るなよな。ぜってー怒られるぞ。ただでさえお前はべらべらしゃべって目立ってんだから。あと、夕食はカリカリだからな。」
ソフィアは意地の悪い声でグエンにそう答えた。ソフィアは慣れない環境のせいか疲れているようで機嫌が悪かった。グエンは思っていた答えと違ったのか大げさに声を出して驚き、ソフィアの反応を見る。ソフィアはそれをわざと無視して反応を示さないのでグエンは諦めてため息をついた。
シンタロウたち4人が座るソファー席を通りかかったネファ・リリカが話しかけてきた。
「仲がいいのね。みなさんENAUの方?」
「ええそうよ。あなたも一緒にどう?」
ソフィアが返事をするとネファがサクラを一瞥し、そして笑顔を作って答える。
「ごめんなさいね、私はもう済ませたの。次の機会にしましょう。」
ネファ・リリカはそういって首元のリボンにかかる、ゆるくまかれた金髪を背中に流し教育棟に戻って行った。
「すっごくきれいな子ですね。髪がふわっとした時にいい匂いがしましたよね。それに気品があって優雅で、しかも優しそうだし…」
グエンがそういい、ソフィアと合った目をすぐにそらす。
「なんでこっち見んだよ?わざとやってんな?」
ソフィアが反射的に答える。そして座り直し、頬杖をついて少しトーンを変えた。ソフィアはグエンを見て、かわいらしい声で言った。
「ふーん。てか、君さ。君の評価者が私だってこと分かってやってるのかな?来期もUCLに君の席が残っているといいね?」
グエンはスカイラーが自分のボスだということは理解していたが直属の上司にあたる人物がソフィアだと初めて知り、驚いて声をあげた。
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