05. グローヴ財団記念学園

5.1 ランクA

 部屋から出るとそこは高層タワーのオフィスビルの一フロアで、UCLのエミュレーション研究所だと教えられた。場所はオースティンではなく、シアトルだという。ハイスクルールの学生として過ごすシンタロウたち4人はフィラデルフィアまでは、地下に建設された「チューブ」と呼ばれる、亜真空状態のトンネル内を磁気浮上させたシャトルが走る交通手段を使って移動した。


 フィラデルフィアでは市街から40マイルほど北東へ離れた郊外にある寄宿舎付きの私学に転入することになっていた。その私学はグローヴ財団記念学園というハイスクールだった。ビックテックの一社を創業したグローヴ氏が代表を務める財団が運営するその学園は、資産家クラスの子息・子女が多く通う学園だという。このリージョンにもシンタロウたちの世界と同じようにビックテックが存在する。シンタロウたちはUCL-1とは別の住居リージョンから来たことになっているので、多少の認識違いは指摘されないが、基本的な歴史や文化、そして一般常識は送っておいた資料をインポートしておくようにとノア・バーンズから説明を受けていた。そして彼がここまでシンタロウたちに付き添って、入学に必要となる書類の最終手続きを済ませてくれた。


「後は2、3か月おとなしく社会見学をしていてくれ。このリージョンのエミュレータの全ての演算装置が君たちを認識してバイタルが定着したらエクスチェンジを通ってティア2現実に出る。定着が確認出来たら迎えに来るよ。」


 そう言って、ノア・バーンズは本社へ戻っていった。その後はティア2現実でエミュレーション事業の責任者であるサリリサと面会する手筈になっている。シンタロウはサリリサにティア間を移行する際にサクラを人間にする手段はないか確認するつもりだった。シンタロウとサクラがティア3検証リージョンのヴィシュヌの中に移住するよりも、もっと早い方法がないか模索していた。


 シンタロウたちは学園に到着して早々に試験を受けさせられた。プロセッサを利用した試験とオフライン時の能力を検査する試験だった。このリージョンでは先天的な障害がない限り、必ずプロセッサを接種する。そのため、プロセッサをどの程度使いこなせるか画一的な試験を通して成績をつけられることが一般的だった。


 この試験は個人の能力について、プロセッサ有無双方の観点で試験が行われる。そしてその正誤の差を最も重視する。プロセッサを使うことにより「スコアが大きく上がる」、「標準的に上がる」、「変わらない」、「標準以下に下がる」の4つを基準として、SからCまでの4段階でランク付けされ、さらに1000点中の評価スコアが付く。前提として、優性と定義された遺伝子が1つ以上ある場合、ランクB以下にはならない。優性に該当がなければランクC以上になることはない。


 ランクBでスコア500以下は基本的にビジネスなどの社会活動に参加できない。社会活動に参加できない人々はライフログを売ることで支給されるベースポイントで生きるか、UCLのような企業体の傘下で個別サービスを運営する、小さな企業が募集する仕事を請け負って生活費を稼ぐかどちらかになる。小さな企業が募集する仕事はランクB、スコア500以下でも採用されることがあるが、競争率が高く、適正検査が通る可能性は極めて低い。しかし、適正検査が通れば社会活動に参加ができるのでライフログを売るよりもずっと生きやすい。


 ライフログを売り、ベースポイントを得て生計を立てるということは人間の尊厳を失って生きることを意味する。均一な食品の中から好みのフレイバーを選択し、同じデザインの服からサイズと色だけを頼りに好みを選択する。時間帯やタイミング、これまでの選択によって商品購入に必要となるベースポイント数が変わるのは個人の嗜好とコストがどう消費に結びつくのか試されているからだ。そしてセンシングデバイスだらけの住居で24時間365日観察され行動パターンデータを収集され続ける。それはまるで保護区で観察対象にされている野生動物のようだ。いつの間にか餌付けされて生活圏をコントロールされている。そういった動物は自分たちでも気付かないうちに野生を失っている。無邪気な善意で野生を殺し、飼いならす。人間の尊厳も同じだった。


 シンタロウたちの世界でもライフログを売って生活している人々は存在する。こちらではそれがよりはっきりとした数値を基準に分別されている。数値化された能力によって理論的に説明可能なように言語化して、人を分別する。それは「合理性」に基づいた行為といえる。そして、それは全く同じことを誤りなく繰り返すことができる再現可能な行為だ。今さら否定することは難しい。いずれシンタロウたちの世界も同じことが起こるだろう。


 やはりサクラは住居リージョンに移行してもヴィノのままだった。シンタロウはエミュレータ間を移動したタイミングでサクラが人間に変換されないだろうかと少し期待していた。ノア・バーンズが言うにはティア3検証リージョンのヴィノとティア3住居リージョンの人間では性能差がありすぎて、そのまま移行してもサクラは人間として機能しないということだった。エミュレータとヴィノについてはサリリサの専門であり、ティア2で最も詳しいので実現方法を聞いてみるといい、そうノア・バーンズが言っていた。だからシンタロウは早くサリリサに会いに行きたかった。


 試験を受け終えたシンタロウは、学園のアテンダーから学園に関する簡単な説明を受け、割り振られたクラスとその自席に案内されていた。


「ENAUのリージョンから来たのってあなたでしょ?」


 シンタロウに話しかけてきたのは、同じクラスのオリーブ色の髪を顎先の長さでそろえたショートボブの女生徒と、同じ髪の色をした短髪の男性だった。二人とも珍しい髪の色をしている。このリージョンでは普通なのだろうか。


 ENAU(European and North Africa Union)はヨーロッパと北アフリカの経済連合でUCL (United Capitalism and Liberal)と中革連 (中央共産改革連合)と同様の組織体だ。それぞれがエミュレータを保持し独自に運用している。ENAUはUCLと親交が深く、組織体間のエミュレータでインターコネクタが敷設されていた。


 シンタロウたちはENAUの住居リージョンから来たことになっている。それはノア・バーンズが配慮してくれていたことだった。シンタロウたちとUCL-1の人間のカルチャーギャップが発生してもそれほど不自然にならないようにシンタロウたちの出身をUCLとは別のENAUという組織体が管理するエミュレータの住居リージョンから来たことにしてくれていたのだった。


「私はカミラ・ピニャ・マルティン、こっちはクレト・ニエト・メディナ、あなた名前は?」


 紹介されたクレトがあいさつ代わりに手を上げた。シンタロウの名前を聞いてカミラは続ける。


「珍しい名前の響きね。ENAUではよくあるの?リージョンを越えてきた人、初めて生で見たわ。ね、クレトあなたもそうでしょ?」


 もちろんとクレトが答える。


「それにしてもその犬はなに?ペットも学園に連れて来てんの?」


 クレトがグエン・ミン・フォンのスキンである体重3キロの小さな黒い犬を指さす。


「僕は犬じゃないです。グエンと言います。シンタロウさん共々宜しくお願いしますね。」


 そういうグエンを見てクレトは目を丸くした。


「わざわざポインタを犬のスキンにしてんのかよ。」


 そういって、クレトがのけぞって笑って、カミラの肩を揺らし同意を求めた。カミラは反応に困っていた。


 ノア・バーンズからポインタは高価なサービスだと聞いている。リモート実体であり、基本的にボディーガードや身の回りの世話をする執事などに使う。こんな小さな犬ではポインタサービスが想定している役割は担うことができない。ただし、リモート実体の人間型のボディはバリエーションが少なく、ヴィノよりもずっとクオリティが低いため、連れ歩くとリモート実体であることが一目でわかり非常に目立つ。そのため、最近の流行としてペットのような小さな動物にポインタを割り当て子息・子女のお供をさせる資産家クラスがいると聞いた。カミラたちに風変わりなENAUの資産家の御曹司だとでも思われただろうか。


 いや、本当の資産家はランクAに振り分けられるはずがないだろう。そうシンタロウは思い直した。シンタロウはランクAのスコアが2番目のクラスに振り分けられた。自分には何の才能もないと思っていたのに優性遺伝子があると知って正直意外だった。


 ソフィアは自席で情報チャネルにアクセスしていた。ノア・バーンズのいう通り、こっちは35年先の世界らしい。35年でテクノロジーが段違いだ。特にエミュレータ間の行き来など私には理解できないテクノロジーで溢れていた。「ジャーナル・レコード」から文献のサルベージが進めば元の世界も35年でこれほどまでに進歩できるということだろうか。しかし、誰かの助言なしであのデータの解析を進めることは私にはもうこれ以上は難しかった。ここの人たちも誰かに聞いたり、教えてもらったりしたんじゃないのだろうか。ソフィアはそんなことを考えていた。


「ソフィアさん?少し話せますか?」


 一人の女生徒がソフィアに声をかけた。ネファ・リリカはソフィアと同じクラスの女生徒だ。声の大きさやそのトーン、視線、他人から見られていることを意識した仕草などを見てソフィアはすぐにネファ・リリカが自分と同類だと気が付き警戒した。


 ランクSでスコア900のソフィアは事実上満点だ。残りの100点は難易度を調整するダミーだ。問いそのもののコンテキストが巧妙だが破綻しているものや、どう答えても正解とも間違えともとれるものが混じっていた。ソフィアが入ることになったクラスは同学年で最上位のクラスだ。そのクラスは資本家の子息、子女たちだけを集めた特別なクラスだった。そしてそういった子供たちがランクSであることは必然だった。大きな資本を持つものは結局のところ遺伝子的に優れていることが重要だということを十分に認識している。


「あなたはバージニアのコールマン家の方?」


 静かに響く声でネファ・リリカはソフィアに質問をした。ゆるくウェーブする金髪は丁寧に手入れをされて光を反射して輝いていた。線の細い体、細い顎、少し下がった細い眉がネファ・リリカにか弱い少女のイメージを与えていた。


「ええそうよ。このリージョンではないけどね。」


 そう答えるソフィアに向ってネファ・リリカは小さくうなずいた。ソフィアはティア3検証リージョンと呼ばれる自分たちの世界とこのリージョンがオリジナルのエミュレーションデータからの分岐だということをノア・バーンズから聞いて知っていた。それも分岐したのは比較的新しいということだ。コールマン家がどちらのリージョンにも存在しているということは分岐したのが17世紀以降ということが推測できる。


「もしかして、ヘンリー様のことはご存じ?」


 ソフィアは首を振った。


「そう。ごめんなさい、それなら気になされないでいいわ。これも何かの縁ですね。仲良くしましょう。」


 そう言ってネファ・リリカは笑顔を作りソフィアの手の甲に少し触れ、自席に戻って行った。ソフィアはヘンリーという名前に引っ掛かりを覚えた。それにネファ・リリカのことをどこかで見たことがあるような気がしていた。ソフィアはしばらくネファ・リリカの後姿を見つめていた。

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