4.3 インターコネクタ

 ノア・バーンズはエミュレータのマニュアル通りに対応し、エミュレータ内の住人との初回コンタクトを終えた。彼らの知りたいことを包み隠さず話し、そして要望に応えた。「ネゴシエーション」用のコンタクトマニュアルを使うことになったのはエミュレータ事業責任者であるサリリサからの直接の指示だった。


 ノア・バーンズは次に検証リージョンからのアクセス経路を検討した。エミュレータ間を接続するデータ通信ハブを「インターコネクタ」と呼ぶ。そして、エミュレータと現実間は「エクスチェンジ」と呼ばれる装置を介して行き来が出来る。ノア・バーンズは自ら直接確認したが、仕様書の通り検証リージョンから直接ティア2現実にアクセスするエクスチェンジはなかった。稼働後のエミュレータにエクスチェンジを後から増設することは相応のコストと時間がかかる。サリリサの要求は「早急に」ということだったので、すでにエクスチェンジが構築されている住居リージョンと検証リージョンを結ぶインターコネクタを構築することにした。


 ティア2現実にもUCLが存在する。正確に言えば、ティア2現実が作った移住用エミュレータであるティア3住居リージョン内にUCLが組織された。そして、彼らに合わせてティア2現実に存在していた統治組織をUCLという名前にしたのだった。ティア3住居リージョンの人間たちに理解されやすいように考慮した結果だ。そうした理由は、ティア3住居リージョンに移住する前提だったからだ。


 ノア・バーンズは早速インターコネクタの構築作業に取り掛かった。ティア2現実のUCLが管理する住居リージョンが稼働するエミュレータで検証エミュレータと最も近いハードウェアのリビジョンを選定した。選定された住居リージョンはUCL-1だった。


 UCL-1はティア2最初の住居リージョンで21世紀中に初期移住が始まっていた。次いでENAUと中革連がそれぞれエミュレータの運用開始を発表した。また正式な交流手段を持たない2つの第4勢力の経済組織体もエミュレータを保持しているというメッセージをネット上で発信していた。


 UCL-1には元々予備のインターコネクタ接続ポイントが用意されているが、検証リージョンには外部と接続可能なインターコネクタを設置する接続ポイントが用意されていない。設置するためには観測ビューの一部を取り壊す必要があるが、その行為はエミュレータの整合性を崩しかねない危険な作業だった。そこでノア・バーンズはアールシュたちが見つけたという観測ビューの欠損を使うことにした。欠損部分を調べてみたが幸いにも論理破損のみであり、マテリアル自体の交換は必要がなかった。物理的な交換でなければすぐに対応が可能だった。破損したブロック部分にインターコネクタ用のブロックのローデータごとダンプして入れ替えを行う。


 インターコネクタのタイプはコピー&ステイとした。検証リージョン側の対象オブジェクトをUCL-1側にコピーして正常に完了出来た後も、検証リージョン側のオブジェクトを残しておくことにする。コピー&ドロップの方が一般的だが、サリリサから彼らのデータについてロストはおろか、データ欠損さえも一切許されないと条件を付けられている。ノア・バーンズは8人まで通過できるパフォーマンスを持つインターコネクタを検証リージョンに生成し、UCL-1側のインターコネクタにアタッチした。




 ノア・バーンズからアクセスが可能となったと連絡を受けたアールシュは、メサの研究室にヴィシュヌプロジェクトへのアサイン稼働割合が高いメンバーを集めた。これまでの経緯とティア2と呼ばれるこの世界の外部に行くために一度別のエミュレータを通る必要があることを伝える。8人まで通過できるということだったのでこの枠いっぱいまで連れていきたいとアールシュは希望した。


 DC建設責任者であるジェフ・ニールは早々に辞退を申し出た。


「「あの日」からずっと理解できないことばかりだが、こればっかりはマジで理解できない。戻ってこられる保証もないし、すまないが俺は行けない。」


 ポインタを経由してVRSで接続することもできると伝えたがジェフは断固として拒否した。NYとマイアミのエッジオフィスから接続しているチュー・チャン・フォンとグエン・ティエン・ダットの二人はUCLでてぃ研修を終えたばかりの新卒のエミュレータ研究者だ。当然のように2人とも怖がっていたがVRS経由のポインタであることを条件に2人はしぶしぶ同意した。


 ノア・バーンズの説明ではティア2現実に出るための手筈はこうだった。まず、インターコネクタを通って住居リージョンに移行する。インターコネクトの場所はアールシュたちが見つけたディフェクトだという。その後、しばらく住居リージョンで過ごし、居住リージョンにバイタルを定着させる。バイタルを定着させる理由は、ティア2現実に用意するフィジカルのプロビジョニングに必要だという。住居リージョンへの移行はデータのコピーで済むが、ティア2現実はエミュエータを外から制御できていない。だから、ティア2の現実では本物の培養したフィジカルが必要になる。それを準備するということだそうだ。その、フィジカルが準備出来たら、エクスチェンジと呼ばれる装置を使って、ティア2現実に用意されたそのフィジカルに蓄積データを移す。そうしてティア2の現実に出ることができるという。


 住居リージョンで各自のバイタルが定着するまでの期間、こちらの学校か、研究所に所属して過ごしてほしいとのことだった。学校と、研究所でそれぞれ4名ずつに分かれることにした。学校に通うことにしたのはシンタロウ、サクラ、ソフィアとグエン・ミン・フォンに決まった。ソフィアは子供のお守は嫌だと駄々をこねたがスカイラーに説得され、なんとかそれを承諾した。研究所に所属することになったのはアールシュとエヴァンズ教授、そしてスカイラーとチュー・チャン・フォンとなった。

 

 ディフェクトへ続く地下トンネルはあの日以来封鎖されていた。開通時に担当したジェフの直属の部下が毎日訪問し、異変がないか確認している。ディフェクトを覆ったフェンスを開けるとそこには依然と比べ半分ほどに小さくなった白い空間があった。今では人が1人立ったまま通れる程度の高さと幅になっていた。


「なんか近くに来ると怖いんだよなこれ。ほんとに入るのかよ。」


 ソフィアが声を上げる中、シンタロウが先頭を切って中に進む。背中が見えなくなるとサクラが続いた。サクラはノア・バーンズに言われた通り、グエン・ミン・フォンとチュー・チャン・フォンそれぞれの口内の粘膜をこすり取った綿棒入りの試験管を持っていた。


 あきらめたようにソフィアが中に入る。ソフィアが中に入る条件として、ロープを体に巻いて外に待機したジェフに持たせていた。アナログだけどこれが一番安心できそうということだった。グエンとチューにはニコラ社の衛星11179号を使った通信方法も教えているので向こう側との連絡が取れるはずだ。アールシュ、スカイラー、エヴァンズ教授の順番で中に入る。ジェフ・ニールは全員が入るのを見届けた後、軽くロープを引っ張ってみた。なんの手ごたえも重さも感じない。恐る恐るロープを引いてみるとその先にはソフィアの身体を結んだロープの輪だけが残り、他には何もなかった。ジェフは目を丸くして口をゆがめ、部下を見た。部下も両手を広げ、首をゆっくりと振った。


 ディフェクトに入ると自分さえも見えなくなった。確かにそこに自分の感覚はあるのだが、視認することができない。


「サクラいる?」


「シンタロウ?ここにいるわよ。」


 すぐ近くからサクラの声が聞こえるが姿が見えない。ゆっくりと後方に手を伸ばすと人の腕に触れた。


 「シンタロウ?誰かの手が私に触れてる。」

 

 シンタロウの手がサクラの腕に触れたのだった。


 自分自身も見えず、ただ感覚と声だけが存在する中を真っすぐに進んだ。地面を踏みしめ、歩みを進めていると認識しているが、それ以外に何も見えないし感じることもできない。これで本当に進んでいるのかどうか定かではなかった。次第に歩いているという感覚がなくなり、膝から下を動かしている感覚すらなくなってきていた。その感覚が全身に広まるようでシンタロウはなぜか笑いだしてしまいそうなになっていた。


 気が付くと小さな白い部屋のベッドで寝ていた。ベッドとサイドテーブルがあるだけの小さな部屋。起きて部屋を出ると40㎡ほどのソファーとテーブルが並んだ生活感のない部屋に出た。そこの一つのソファーに短パンとサンダルに白いシャツを着た中年男が座っており、声を掛けられた。

 

「やあ、アールシュ。ノア・バーンズだ。」


 アールシュは手をあげて挨拶する。なるほど彼が迎えに来てくれたのか。


「久しぶりにエミュレータに入ったよ。なかなか出入りする機会がないんだよな。管理者の僕でもまだ3回目だ。とりあえず全員気がついたらUCL-1側に移行しようか。」


 この部屋は検証リージョンと住居リージョンの境目で、インターコネクトの中心ということだった。既に私たちはティア3検証リージョンのフィジカルとは離れた蓄積データだけの存在になっている。


 「その前に、まずはポインタで移行する2人のスキンを選ぼう。ポインタであることは向こう側でも伝えていいよ。今の流行りは人間よりも動物の方が違和感がないかな。」


 ノアはそういうと茶トラのマンチカンと、小さな黒いプードルをモニターに出し、ピンセットで試験管から取り出した綿棒をハンドデバイスでスキャンし始めた。非接触のデバイススキャンだけで遺伝子パターンの解析ができるというのだろうか。どのレベルの解析なのか分からなかったが、数秒で解析が完了した。そして、グエン・ミン・フォンは小さな黒いプードル、チュー・チャン・フォンは茶トラのマンチカンのスキンがあてがわれた。


「君たちはそのままでいいでしょ?あ、でも君は学生にしてはちょっとな。」


 そういってソフィアを見た。


「は?どういう意味だよ?」


 貶されたと認識したソフィアがノア・バーンズを睨む。


「まあ、いい感じにしとくから心配すんなって。」


 そういってノア・バーンズは大げさに笑った。そして、全員にソファーのある部屋から出て、寝ていた部屋に戻るように伝える。8つある小部屋で各自横になるように指示した。ベッドにあおむけになると一瞬気を失うような錯覚に陥り、すぐに意識が戻った。


「気が付いたかい?」


 ノア・バーンズが声をかける。全員が部屋から出てきたのを見回して


「大丈夫そうだね。じゃあ行こう」


 そう言ってノア・バーンズがドアを開ける。


 ソフィアは自分に少し違和感があった。少し体が軽い気がする。そう思いながら何気なく部屋にあった鏡を見ると、そこにはシンタロウやサクラと同年代の頃の少女に戻っている自分がいた。


「おい、これほんとかよ。私も子供になってんじゃん。」


 そう言ってソフィアは鏡の前で髪をかき上げたり、後姿を確認したり、自分をまじまじと眺めたりした。


「ふーん。私ってこんな感じだっけ。なんか懐かしい気がしていた。まぁ悪い気はしないかな。」


 早く出ましょうというスカイラーの声に気が付き、ソフィアは最後に部屋を出た。


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