4. コンタクト

4.1 アプローチ

 シンタロウがネット上にキュレーションボットを流して4日が経過した頃、ある古代遺跡の壁画画像がヒットした。その壁画は紀元前3200年頃に王族のための作られた巨大な墓の中に描かれたものだった。墓碑として描かれた壁画には象形文字が刻まれている。すでに19世紀に解読されているその象形文字を現在の文字に変換をかけ、生成された文字列をハッシュ化したものがAPIキーのハッシュ値と合致したのだった。そして、同じ地域にある同種の壁画18枚分全ての画像を集め、UCLのオフラインエージェントAIのプロンプトにAPIキーとともに流し込み、これが何を意味するものか解析するように指示をすると小さな実行プログラムに見えるコードが生成された。


 スタンドアロンで実行可能なそのコードにAPIキーを送ると一対のデータを返した。数字と記号で表されたそのデータを見て経緯度データだということにすぐに気が付いた。シンタロウが地図データと経緯度データをマッピングするとユカタン半島にあるチチェン・イッツァを示した。アールシュはエヴァンズ教授と手をたたいて笑ってあきれた。その後2人はシンタロウにオカルト癖がないか心配になり、少し疑いを持ち始めた。シンタロウはそれを気にも留めずにカンクン行きの航空券をサクラの分と2枚予約した。


 私も行くというソフィアは笑っていなかった。ソフィアはアールシュやエヴァンズ教授よりもシンタロウとサクラに対してずっと強い疑いを持っていた。この2人がプロジェクトのメンバーとして使い物になるかどうか自分の目で判断したかった。だから、ソフィアはシンタロウがキュレーションボットを作るところからずっと張り付いて見ていた。ところが、オフラインエージェントAIが生成したコードは難読化が施されていて何度アナライズをかけても、逆コンパイルをかけて直接ソースコードを視認しても、理解不能だった。スタンドアロンで動く動作原理もIFを受け取るAPI部分さえも特定できない。ソフィアが専門としている分野でこんなものに出くわすのは初めてのことだった。


「あんたこれ理解できてんの?」


 ソフィアがそうシンタロウに聞くと「大体は…」と答え、よく解らない部分はサクラに聞いて理解したという。それは嘘ではなかった。オフラインエージェントAIのサンドボックス空間で実行されたコードにAPIキーを入力する際、指示キーとデータのセパレータが特殊だったのをソフィアは見ていたからだ。指示キーを必要とすることもセパレータが必要なこともヘルプどころかソースコード上のコメントも何もないこのプログラムからそれを読み取るためには、コードから書式を解読しなければならなかった。


 フェニックス・スカイハーバー国際空港からカンクン国際空港までの4時間半の間、ソフィアはシンタロウとサクラを尋問した。シンタロウにはプロセッサへのインストールリストを提出させて年次履歴とそのロスト率を見た。驚いたことにエミュレーションやソフトウェアに関する学術的なライブラリの大半はここ数か月にインストールしたものでそれも全てロスト率ゼロで数時間から3日程度で全て定着している。それまでの履歴には特徴らしいものが何も見当たらない。ただ、胡散臭い旧ネットのデータが大量にインストールされていることと、S¬=T3とヴィシュヌの初期コードの解析時間が尋常じゃないほどの長時間であることを除けば。


 それを不審に思ったソフィアは、シンタロウにプロセッサのルート権を渡すように迫った。嫌がるシンタロウを接触通信に限定することで納得させる。ソフィアの側頭部をシンタロウの側頭部に押し付ける。サクラが驚いたようにこちらを見つめている。こんなガキに何かするとでも思っているのだろうか。サクラの視線を無視して、シンタロウのS=T3にアナライズをかけた。驚くことにそれはソフィアが知っているS=T3とは全く異なっている。当然ソフィアもS=T3を試したことがある。その時に逆コンパイルをかけたソースコードを持っていたのでシンタロウのS=T3とDIFFをとって差分を検証した。一致する部分は16%しかなかった。キチガイじみているが、おそらくシンタロウはS=T3を全て自分で書き直している。この程度の部分一致はどちらのコードもOSSから流用したスニペット部分のコードが一致したに過ぎないことを意味している。さらに驚いたのは、そのS=T3を動作させるために使っているOSもカスタマイズされたものだった。だが、そのOSのイメージにつけられたコードネームとナンバリングから、それが何であるかソフィアにはすぐに分かった。ヴィシュヌがまだプロトタイプだった頃にエヴァンズによって名付けられたコードネームだったからだ。


 ソフィアはシンタロウのプロセッサインベントリを見て気が付いたが、シンタロウはさらにもう一組のOSとPAを載せていた。そちらの方が現在稼働しているものだった。ベースとなっているのはOSSのマイクロOSだろう。そしてPAは南アジア発祥のハルカーだ。ハルカーはヒンドゥー語で「軽量」を意味する。確かにそのPAは世界最軽量だが、その分欠陥も多いので利用者を選ぶ。それにしても、プロセッサにオリジナルやカスタマイズのOSとPAを載せている一般人なんかソフィアでさえ見たことがなかった。


 ソフィアは驚くどころか呆気に取られてシンタロウをまじまじと見た。こいつはただの馬鹿そうなハイスクールのガキにしか見えない。それなのに、私の専門領域でいちいち驚かされている。ソフィアは舌打ちして、シンタロウに接触していた側頭部を離し、髪をかき上げて整えた。シンタロウが自分自身の側頭部を撫でているのが見える。その表情はまるで照れているようでソフィアを苛立たせた。


 ソフィアはシンタロウをそれ以上調べるのはやめて、サクラの方を確認した。シンタロウから分岐したのは8歳ぐらいだろうか。それ以前の蓄積データはシンタロウと全く一緒だった。8歳以降の蓄積データの所々にマージをかけた痕跡が見られる。AFAでトラップした差分のみをサクラ固有の蓄積データとして持っていたのだろう。インプットデータを差分持ちさせるのは、おそらくAFA利用による倒錯認知症候群への対策に違いない。近年PAのカスタマイズアドオンにサードアイアン社のAFAを導入している場合、事実誤認や因果関係の倒錯を起こす症例が増加しているというレポートがある。簡単な例えで言えば、高額な有料ウォレットを使うから金持ちになるというたぐいのやつだ。いうまでもなく金持ちが高額な有料ウォレットを利用しているのは金があるからだ。金がないやつがただ単に高額なウォレットを使っても金持ちになるはずがない。シンタロウのように湾曲データを差分として分けていれば問題ないがライフログそのものとして、湾曲データをそのまま蓄積データ化している警戒心のない無知な奴もいる。AFAを使ってPAをカスタマイズしている奴は意外に多い。自業自得だが、近いうちに大きな社会問題になるだろう。


 それにしても、ヴィシュヌOSとS=T3のPAをヴィノのオーケストレーションAIに据えるなんて考えもつかないことだ。私には全く意味の見出せない馬鹿げたことをしているようにしか見えない。サクラの顔を見た瞬間、単純に性的な趣味かと思ったが、この異常な成り立ちやAFAのパラメータチューニング履歴を見る限りただのそれとは思えなくなった。そうすると、このいかにもサクラの個性にマッチした外観は外部思考プロセッサに蓄積データとパラメータを読ませた際に自動生成されたものがベースだろう。癪に障るがこいつらは、ソフィアは思った。


「こいつらは私には理解できないし、馬鹿にできるほど低俗でもない。」

 

 チチェン・イッツァはカンクンから車で120マイルほどの位置にある。チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。観光客に混じってエル・カスティーヨと呼ばれる80フィートほどのピラミッドを見物して、そばの球技場に向かう途中にあるツォンパントリと呼ばれる壇を見物した。ツォンパントリはアステカ族の言葉「髑髏の壁」を意味する。シンタロウがしゃがみこんでそれを見ているので、もしかして本当はただ興味があって見物しに来ただけなんじゃないのかとソフィアは少し不安になった。


 それからセノーテ・サグラドと呼ばれる緑色に濁った泉を見物してカンクンに戻った。車の中でシンタロウが3人分のフェニックス行きのチケットを購入している。


「おい、うそだろ?これで目的は達成したのかよ?お前の趣味の観光にしても帰るのが早すぎるだろ。」


 それまでずっと黙っていたソフィアだったが、とうとう我慢できなくなりシンタロウに疑問をぶつけた。シンタロウはジーンズのポケットから握りこぶしに収まる程度の一つの石を取り出した。よく見るとその石は複数の層が積み重なって1つの石になっていた。各層を隔てる部分に光が反射して見える。何らかの鉱石を含んでいるのだろう。


「ツォンパントリで崩れた壁の奥に落ちていたのを見つけたんだ。先頭部分をスキャンして読み出し可能なデータだっていうことは確認できている。圧縮されているのか、暗号化されているのか分かんないけど、意味を抽出するためには結構な規模のリソースが必要だと思う。アールシュに手配してもらえるよね?解析はソフィアにお願いしてもいい?多分俺よりも得意な分野でしょ?」


 ソフィアは拍子抜けした。また「あの日」みたいなことが起こるんじゃないかと思っていたからだ。今回は気絶なんかさせられるかと色々と対策を講じてきたのにこんな簡単に「ジャーナル・レコード」を手に入れることができるなんて想定していなかった。ソフィアは外部拡張グラス越しにシンタロウの持つ複数層の鉱石をスキャンする。確かにデータのようだけどこの圧縮形式は初めて見る。


「これにハッキングかけてみろってこと?それ私に言ってんの?ふーん、なるほどね。お子様にしては私のことよく分かってんじゃん。」


 実践だったら、こいつらよりも私の方が場数を踏んでいる。ソフィアはカスタマイズのOSとオリジナルのPAを持つシンタロウに挑発されたように感じて対抗心を燃やした。ソフィアは帰りの航空機の中でずっと「ジャーナル・レコード」を解析していた。自分のリソースだけでは足りずにサクラのリソースを使ってアナライズプランを練っていたようだった。


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