2.4 クロックアップ

 フェニックスからの帰路、インターステート10号を走っている最中もずっとバイタルが乱れたままだった。乱れたバイタルにプロセッサが反応してランダムに蓄積データがシークされた。そして、その度に細切れになった過去の出来事が鮮明に思い出された。それがどういう意味だったのかサクラに聞かなくても今なら理解できた。これまで含みを持たせて書かれている内容や、メタファを含む他人の発言の真意を読み取ることが苦手で、どういう意味だと思うかをサクラに聞かなければ理解できないことが多かった。


 元々、サクラはシンタロウよりも洞察力が鋭かったが、PAと見分けがつかなくなってから尚更直感的な鋭さが増していた。シンタロウがサクラに何か訊ねるたびにサクラは口癖のように「そんなことも知らないの?」と大人ぶって話し始めた。シンタロウは少し癪に触りながらも、サクラをとても信頼していたので安心してその言葉を聞いた。


 しかし、今は感じたものを全て言語化できる。例えば両親に感じていた感情だ。父親も母親も端的に言えばこれ以上多くを望んでいなかった。それは両親の意志であると同時に遺伝子によってそう仕向けられているのだと理解していた。そういう両親を見て仕方がないという思いと、なぜそれに抵抗しないのかという思いがこみ上がる。この大陸に来た移民のジェレミーも、西海岸に住んでプロセッサの初期ロットを購入したケンジもそうしてきたんじゃないのか。同時に、それに気が付かないように遺伝子に仕向けられているのではないかとも考えた。それとも、わざと気が付かないように騙しだましゴルフの練習場に通っているのだろうか。もしかしたら、もうそんなことはとうの昔に考え尽くして今では一周回って遺伝子のそれに従うのが最も幸せを感じることができるのだと気が付いてBBQをしているのかもしれない。


 年齢とともに様々な見方で両親を図ろうとする自分がいた。それはシンタロウの中だけの世界の話で、当の両親は何も変わらない。その両親を都度ああだこうだと論じる自分がいた。なぜそんなことをするのか今はっきり認識することができ、それを知って愕然とした。なんのことはない、そうすることで何とか自分にだけは価値を見出すことができないか探ろうとしているのだった。両親への複雑な思いも何もあったものじゃなかった。ただ単に自分の人生には価値があると思いたいだけだったのだ。ばかばかしすぎて笑ってしまった。そして、笑いながら、今度は誰に向けるということもない怒りがゆっくりと湧きあがっていた。


 俺の半分の遺伝子は東洋の端に閉じ込められていたし、もう半分はヨーロッパに定住する土地を持つことができないようにあちこち訪ねる度に追い払われて、形だけの救済にたらい回しにされていたのだ。だから、何とかして自分に価値を見出さなければ、また半分に引き裂かれて、閉じ込められるか追い払われてたらい回しにされてしまうのではないかと感じていた。曽祖父が苦労して東洋の端とヨーロッパの移民を脱出したが、いまだに俺たちはあんな草原と畑だけの田舎に閉じ込められている。だけど客観的に見れば、俺自身にはそれが一番お似合いだった。努力の才能を持ち合わせてないし、従順さや勤勉さのかけらもないので優秀とは程遠かった。


 そして何よりも頭も悪かった。逆に頭がいいとはつまり、自分の欲しいものを何か理解できることだ。自分の欲しいものを手に入れられる可能性が最も高い手段を選んで実行する。そして、欲しかったものを手に入れることだ。だが、俺を含めて自分自身が欲しいものを認識できる奴なんてどれだけいるのだろうか?自分が欲しいものとは両親や同級生や情報チャネルやネットなんかのいわゆる世間が良いと評価を下したものの中から自分に手が届きそうなものを選ぶことではない。自分が欲しいものとは、自分以外の全員が、価値がない、くだらないと言い、全員がいらないと判断を下すようなものだ。


 俺にとってそれは何か?まるで煮込みすぎて何も残ってない祖母が作る豆のスープの3日後だ。目を凝らして残りカスのような破片を慎重にすくってそれが何だったのかをゆっくり味わって丁寧に推理しなければならない。とてもじゃないが俺にはできない。毎日毎日スマッシュしたビーフにチーズとサルサソースをべっとりつけたバーガーを食っているのに塩とコショウで薄く味付けされて煮崩れたそれがひよこ豆なのジャガイモの破片なのかどうかなんて、とてもじゃないけど認識できるわけがない。俺の欲しいものも一緒だ。他人の欲しいものと他人が思う俺が欲しいものでべっとりだ。とてもじゃないけど見つけられるわけがない。馬鹿は罪だ。いつだってその罰を受け続けている。俺たちは馬鹿税を払わされて生きている。しかも馬鹿は連帯責任だ。近くにいる馬鹿のせいで俺の罰も税も膨れ上がるばかりだ。クソッ、クソクソクソッ。


 身体の熱は下がることはなく、意識まで火照るようだった。そして、感じたことがないほどの訳の分からない大きな感情の昂りとそのはけ口である怒りが全てを支配しているようだと他人事のように感じる自分がいた。一つはっきりしたことは、俺も両親も豆のスープを作る祖母も、もうスッカラカンだということだ。涙は流れるほど余ってなかったし、それどころか自分自身すら持ってなかったことにわざわざ気が付かされてしまった。


 怒りの感情が通り過ぎると、ようやく激しい感情から解放され一息つくことができた。フリーウェイの隣のレーンからシンタロウを追い越す車のヘッドライトが目の端にたまった涙を照らして滲ませる。滲んだ光はシンタロウの真横を通り過ぎる辺りで解像度が大きく崩れて光の輪となり視界を奪う。それに気が付いた時には光の輪はすでに前方に消えていた。光の輪に包まれるその瞬間が心地よかった。そして、そのうち早く次の車が来ないかな、ということだけを考えていた。インターステート10を走っている間、サクラはシンタロウの思考に干渉もせず、何もコールしてこなかった。


 ウィルコックスで体調を崩してから1週間が経過していた。その間、何もする気が起きなくてサクラが生成した今の気分にちょうどいいアニメーションをずっと見ていた。そして気が付かないふりをし続けるのが面倒になって、ようやくアニメーションを見るのに飽きたことを受け入れた。


 近所のダイナーでテイクアウトしたサルサソースにまみれたスマッシュバーガーをコーラで流し込みながら、ケンジに許可してもらっていた外部ストレージにあるコンピュータサイエンスのコレクションを片端からインストールしてみた。このサイズなら通常、インストール内容が知識に定着するまで一本当たり数週間はかかる。あまりに自分の蓄積データと親和性がない知識の場合は定着せずにロストする。ケンジのコレクション全てをインストールして定着するまで3日もかからなかった。ケンジが東洋の国から帰ってくる頃にはオプシロン社が公開している論文を全てローカル上で蓄積データ化していた。


 サクラによればウィルコックスから帰る際にシンタロウのバイタルは一時、正常水域から逸脱して危険な状況に見えたという。それ以降、バイタルは安定しているが、今のフィジカルはこれまでのシンタロウとは別人のようだという。そういえば少し体に違和感があった。髪や爪が伸びるのが早い気がするし、身長も少し伸びたようだった。そして頭はすごくすっきりしている。もしかしたら今なら煮崩れた豆のスープの破片が何か当てられるのではないかという気がしていた。そして、あれほどありがたがって食べていたので念のために味を確認してみた他人の欲しいものでべっとりとしたスマッシュバーガーはもういらないと理解することができた。それにハイスクールの運動部の奴が自慢していた新車を友人たちと馬鹿にしながらも自分も欲しいと思っていたのがウソのように消えた。馬鹿税を支払わされるのはもううんざりしていた。


 ネブラスカに戻ってから家にこもってサクラとエミュレーションに関する情報を集めてはインストールした。Dr.イーサン・エヴァズの論文が特に興味深かった。イーサンはエミュレーション以外のバイオテクノロジー系の論文も書いていたのでそれもインストールしてみたが、エミュレーション分野ほど広いパースペクティブがあるわけでもなく、完成度が高いとは思えなかったので数本だけインストールして飽きてしまった。


 夏休みが終わる頃には髪が肩にかかるくらいに伸びていたが切りに行くのが面倒くさかったので頭の後ろで一つにしてゴムで結んでおいた。ジーンズもTシャツも小さくなってしまったので母親が、近所に住む友人の息子のおさがりをもらってきてくれたものを使った。デトロイトの大学に行ってしまった母親の友人の息子はシンタロウに比べてずっとセンスが良かった。


 ハイスクールに行くとそれまでシンタロウに無関心だった女子が、身長が伸びてセンスもよくなったシンタロウに積極的に声をかけてくることが多くなったが、シンタロウは相変わらずPAとコネクションを張りっぱなしだったので会話が続かなかった。シンタロウが興味を持っていたのはDr.イーサン・エヴァズの論文だった。それに触発されたシンタロウはハイスクールに通いながら3か月掛けてエミュレーションについて一本の論文を書いた。タイトルは「エミュレータの実現と新大陸発見の類似性」だった。


 シンタロウが論文を書き終えたその日にあの「鐘の音」を聞いた。論文の一部の補足になりえるこの現象についていくつかの客観的事実と考察を論文に加えた。そして、調査会社のマーティンから、万が一の場合に備えてUCLの窓口を教えてもらっていた連絡先を思い出し、そこに書かれていたUCLメサ研究所のDr.アールシュ宛に書き終えた論文を送っておいた。

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