2. 重なる偶然

2.1 インターステート40

 ネブラスカのカーニー郊外で生まれ育ったシンタロウは、ハイスクール最初の夏休みをロサンゼルスに住む伯父の家で過ごすためにデンバーからアルバカーキを経由してインターステート40を走っていた。


 父親の兄であるケンジはソフトウェアエンジニアだった。湾岸部に住むケンジは、シンタロウの父親とは全く異なる価値観を持っていた。科学的、合理的で、目の前にある不合理に目をそらさず、少しでも解消して前に進もうとするケンジのポジティブで自信に溢れた進歩主義とその価値観は、ネブラスカの父親の価値観でシンタロウが固定されてしまうことを拒絶するには十分な存在だった。シンタロウはケンジを尊敬し、その価値観に憧れた。シンタロウのワクチン接種費用を支払ってくれたのもケンジだった。そしてまた、子供を授かることが叶わなかったケンジ夫妻もシンタロウを自分の子供のようにかわいがっていた。


 シンタロウがプロセッサを接種したのは3歳になる年だった。ケンジは一般販売が開始されたプロセッサの初期スロットを購入していた。そして、貯蓄を取り崩してシンタロウのワクチンも購入してくれていた。プロセッサを訝るシンタロウの両親をケンジは熱心に説得した。


 天然ガスプラントの運用責任者であるシンタロウの父親は、核融合炉の本運用が始まって20年が経過した今でも世の中はそう簡単には変わらないはずだと言い続けていた。石油や天然ガスは測量技術の発展とともに推定埋蔵量は年々増え続けていた。そして、それと反比例するようにその需要は減り続け、損益分岐点に到達した採掘とプラント運用のコストが化石燃料をエネルギー資源として活用する時代の終わりを告げていた。シンタロウの父親はその客観的な事実を認識しながらもそれを受け入れることをできずにいた。


 シンタロウの母親はハイスクールを卒業してから現在までずっと、UCLの委託を受けた民間のシェア・リソースで働いていた。シェア・リソースは所謂便利屋でAIの利用やロボティクス化するにはパターン情報が不足しているタスクが解消されるまでの繋ぎや、単純にロボティクスを利用するためのコストが見合わないタスクをこなすために人間の作業員を置いている場所だった。具体的な作業といえばちょっとした家事やルーティン化されることもないほどのお使い、お茶の相手などが主だった。母親はフランス系の移民を出自としており、シンタロウのミドルネームである「ジェレミー」はこの大陸にやってきた最初の祖先の名前だった。


 母親はネブラスカどころかカーニーから出たことがないのではないのかと思うほど、どこにも出かけない人だった。休みの日には父親と25号沿いのゴルフ練習場に出かけるか、さもなければ親族と集まってBBQを永遠と繰り返しているような人だ。それを知っていた伯父のケンジはシンタロウにチャンスを与えようとしてくれていた。両親に、これからはプロセッサが当たり前になること、その時になって慌てて接種し始めたのでは手遅れになることを説いた。そして、シンタロウにチャンスを与えるのが両親の務めだと説得し、ようやくシンタロウのプロセッサ接種の許諾書にサインをさせたのだった。


 シンタロウが8歳になった時、PAを自らの意志でディーマッド社のS=T3(スチュワート=タイプ3)に換装した。ディーマッド社のPAはエンジニア好みで、カスタマイズアドオンについてはどのメーカーよりも互換性の幅が広かった。そして、S=T3はサードアイアン社製のAFA(アーティフィカル・フィルタ・アーキテクチャ)が使える唯一のPAだった。


 AFAはライフログを蓄積する際にインプットデータを故意に湾曲させる専用のトラッパーで、AIにアイデンティティを持たせることを目的に開発されたものだった。AFAが普及する以前、AIに人格や個性を持たせるためにはデータそのものではなく、データを格納する器である、データモデルの構造をどうすべきかの議論が中心となっていた。そして、研究者たちにより様々なデータモデル構造が考案されてきたが、そのいずれも大きな効果を生まなかった。


 結局、人はアイデンティがないAIに欲情することができなかった。性産業に投下されたオーガニックマテリアルのバイオロイドは「ヴィノ」と呼ばれ当初人気を集め利用者が殺到した。オーガニックマテリアルと呼ばれるボディーは軽量炭素フレームの骨格を筋繊維とタンパク質スポンジで包みコラーゲン補強フィルムで覆った材質でできている。センシングデバイスとの通信用に筋繊維内に菌糸を張り巡らせて電気信号を媒介させていた。ヴィノは非常に高額だが、体温、肌の質感や粘膜は人間と遜色がなく、その完成度は高かった。


 これまで、人間は思春期を経てほぼ全ての期間で欲情できるのだと考えられていた。しかし、近年では人間はほとんどの場合、他人との関係性や状況に対して欲情しているのだという研究結果が発表され、人々の耳目を集めている。そしてそれは、人間の純粋な発情期が主に思春期であり、それ以降は壮年期までに何度かの非周期的なタイミングでしか発生しないことを立証してしまった。


 端的に言えば、人間はほとんどの場合、発情でもなければ欲情でもなく、ただ単に倒錯しているに過ぎなかった。そして、確立した個人を持たないヴィノに対して、自分との違いを持つ「他人」だと認識することができなかった。モノであるヴィノと人間関係性を構築することできず、普通の人間にはヴィノに対して倒錯することができなかった。性産業で稼働するヴィノは高額な本体とメンテナンス費用を回収することができず、次第に廃れていった。


 ヴィノがその稼働を下げ続ける中、性産業を生業とするサードアイアン社の研究者が顧客のライフログからある法則性を見出し、着目した。ヴィノのAIが学習したデータ、つまり圧縮された蓄積データから顧客の要求事項に該当するデータを取り出す際、取り出そうとしている事実を顧客に合わせた内容に改変した上で行う会話やそのプロセス、しぐさの中に顧客は「気遣い」や「やさしさ」といった人の心のようなものを感じていたのだった。しかし所詮は同じ条件を基に同じデータから取り出した反応でしかない。常に再現される同じやり取りに幻滅されるか飽きられて長続きはしなかった。


 ここに着目したサードアイアン社の研究者は、それならば、同じデータを取り出す際に加工するのではなく、学習の時点で湾曲したデータをあえて投入したらどうかと考えた。コンセプトを実現するためにごく短い試行期間を経て、プロトタイプのAFAを開発した。ラーニング用にインプットデータを投入する際にAFAを組み込むことにより既成のデータモデルをそのまま使い、個体ごとに異なる個性を生み出すことができるまで数年もかからなかった。正確なところは未だに結論が出ていないが、結果として個性が生み出された、そう見えていたのだった。本流のAI研究者は当初、AFAを低俗なデータクラックの一種だとして批判的であった。


 しかし、需要は結果に従順だった。AFAを導入したヴィノの魅力は性産業や水商売の接客業へ広まり、サードアイアン社製のヴィノはたちまち人気を博した。サードアイアン社は巨額のライセンス料とともにインプットデータを湾曲させるためのパラメータチューニングのコンサルティング料で莫大な利益を生み出した。さらに顧客とAI双方のライフログから得られる膨大なデータにその利益を再投資し、AFAの機能向上を続けた。ヴィノ利用は性産業に止まらずに一般の商用利用に広まっていった。そして、PAのカスタマイズアドオンとしてサードアイアン社のAFAが登場するころには本流の研究者も懐疑的な目を向けることはなくなっていた。

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