第十節 おはよう、眠り姫。

 私の発した一言によって、私の理念は一時的に無効化される。


 ねむちゃんの理念はそのまま。私は抵抗する手段を失い、少し怖くなる。


 息が詰まる。思っていることを、この際全部吐き出してしまえ。私は、ねむちゃんを助けたいから縺れたんだ。


「私を頼って、ねむちゃん! 私のことを親友とまでは思ってなくても……私は友達でしょ! 頼って良いよ。迷惑かけても良いよ! それが友達でしょ?」


 ねむちゃんは、私の言葉を黙って聞いている。


「私はねむちゃんを信じてる。だから、ねむちゃんも私を信じて――」


「そんなの! 口だけなら何とでも言えるよ!」


 ねむちゃんが私の言葉を遮って叫ぶ。


 あぁ、そうだね。口だけなら、何とでも言える。


「じゃあ、証明するよ。私は、信じているって」


「証明するなら、ただ、肯定だけしてよ!」


 サメが二匹放たれる。完全に、標的は私だ。多分、ホホジロザメかな。噛まれたら死ぬだろう。でも、私は避けない。ねむちゃんを肯定するために。ねむちゃんを、信じているから。


 サメが私に噛みつこうとする。だがサメは、私にぶつかると共に泡となって消えていった。


「……だと思った」


 ねむちゃんは、人を傷つけられない。そう、信じていた。確証はない。ねむちゃんは違っても、理念の方に攻撃性があったら、おそらく私は死んでいた。半ば賭けだったが、私の重いを証明するには十分だろう。


「言ったでしょ……私は、ねむちゃんを信じてるって」


 だから、知りたい。私は、彼女が何に悩んでいたのかを知りたい。


「私でよかったら、教えてほしい。何に悩んでいたのか」


 私の言葉に、ねむちゃんは黙っている。おそらく、悩んでいるんだろう。相談には勇気がいる。ある程度の信頼関係がいる。私は、ただ待つことしかできない。互いに何も言わなくなり、静かな時間が流れ始める。


「私は、ただやりたいことができればよかった。やりたいことが、やりたいときに、やりたいだけできる。それだけでよかったんだ」


 無限のようにも感じられた沈黙が壊れた。


「そっか……」


「寝坊だって、本当はしたくなかったけど……やりたいことが多いせいで……」


 いろんな意見があるだろう。この世界は、やりたいことだけをやって生きていける世界ではない。むしろ、我慢を強いられる世界だ。でも、だからこそ、「やりたいことをできる」ということは、確かな「幸せ」だ。それに、私たちはまだ高校生だ。たくさん間違えて、たくさん学べば良い。


「……それでもいいと思うよ」


 私が言う言葉は決まっていた。


「今は今しかないんだし、どうせ人生さきは長いんだからさ。それだったら、せめて後悔の少ないように生きるべきだと思う。……我慢なんて、後から知ればいいんだから」


「でも……」


 それでも、それを許さない人はいるだろう。そんなの仕方がない。何をするにしても、それを批判する人はいつだっている。その人たちを意識していたら、この世界では何をすることもできない。


「良いんだよ、ねむちゃん。批判する人はいるだろうけど、絶対味方のほうが多いから。それに、私がいる。それで、十分じゃないかな……?」


 そこまで言ってから、急に恥ずかしさが込み上げてきて、彼女から目をそらす。今更だとは思うけれど、流石に自意識過剰すぎる発言だった気がする。


「そうだね、確かに。夏織が味方なら、怖いものはないや」


 笑いながら、彼女はそう言った。思わず顔を上げると、ねむちゃんと目が合った。


「ありがとう、夏織」


 彼女は涙ぐみながら笑う。その笑顔は、いつもの彼女のものだった。


「どういたしまして、ねむちゃん」


 私の言葉を最後に、森のような空間が崩壊を始める。


「これは……」


「羽田野の縺れが解消されたために、心郷が消失しているんだ。」


 白澤の言葉で実感する。そうか。終わったんだ。


 私は、ねむちゃんを助けることができた。


「達成感に浸りたい気持ちはわかるが、今はこらえてくれ。まずは、この空間から脱出するぞ……幸願者シャーデンフロイデ瞬間転移テレポート


 白澤が理念を発動した。気が付けば、私たちは見知った学校の前に来ていた。崩れていたはずだと言おうとした私に、白澤は「心郷が解消されたことで街が元の姿に戻っただけ」と説明してくれた。


「お疲れ様、星野。よくやってくれたよ」


「ううん、ありがとう、白澤。あなたがいなかったら、私はねむちゃんを助けられなかった」


「そんなことはない。ほとんど、君は理念を使ってないだろう……それじゃあ、僕は帰るとするよ。報告書をまとめなきゃいけないんだ」


 それだけ言って、白澤は私たちから離れていく。


「あ、星野の理念は、心郷解消と同時に消去しておいたから安心してくれ」


 こちらを向かずにそう言うと、彼はポケットから無線機を出して、どこかと通信を始めた。きっと、迎えを頼んでいるのだろう。


「あのー、夏織。ごめんね。心配かけたし、迷惑もかけちゃって」


「本当にそうだよ~。まったく、何度サメに襲われたことか……」


「……」


 ねむちゃんが急に下を向いて黙ってしまう。縺れが解消されたとは言え、少々軽口を言い過ぎてしまったのだろうか。少し反省をする。


「そういえば……さ」


 ねむちゃんが、しどろもどろに話し始める。


「あの空間で、夏織は私のことを親友って言ってくれたけど……」


 ねむちゃんの言葉を黙って聞く。次の言葉がなかなか紡がれないと思っていると、ねむちゃんは顔を上げ、真っ赤になりながら続きを話す。


「私も! 夏織を、親友だと、お、思ってるからっ!」


 緊張のせいか、はたまた恥ずかしさのせいか。ところどころ声を上ずらせながら、彼女はそう言ってくれた。重い話かと身構えた私がバカみたいだった。


 きっと、私はマヌケな顔をしていただろう。呆気にとられて、開いた口が塞がらなかった。でも自然と、私は笑っていた。


「ちょ、なんで笑ってるの! 馬鹿にしてる!?」


「あははっ、してない、してない。ただ嬉しくてさぁ。なにこれ、愛の告白か何か? 私たち、両想いじゃん」


 彼女の「親友宣言」に、私は嬉しさを感じ、同時になんだか照れくさかった。照れくささを紛らわすために、軽い冗談を言ってみる。


 二人顔を見合わせ、もう一度笑う。きっと、私たちなら大丈夫。彼女がどんなに悩んで塞ぎ込んで、夜の海に閉じ籠っても私が助ける。


 だって、彼女の眠りは、私が覚ますから。



――七月十七日 十四時三十八分 『夢言水郷』解消

  被害者、行方不明者は共に確認できず。

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