第六節 理想と現実

 縺れたことで苦しむ彼女を近くの公園のベンチに座らせる。


 理念は、縺れた時に強く願っていたことを叶えるための力になることが多い。


「幸願者、記憶収束ウィズダム・オブ・ガイア


 手帳からちぎった紙に理念を付与する。紙には、今の星野の状態が浮かび上がる。


「付与された理念は、『発した言葉を現実に適応する力』だって」


「……えっと、つまりはだよ? 私が、『いない』って言ったら、『いなくなる』ってこと?」


「そういうことだね。『ただし、生死や過去、未来などへの干渉はできない』らしい」


「まぁ流石にね。『死ぬ』とか言って適応されたら強すぎるし」


 それはそうだ、と返して、紙を焼却する。


 なかなかに汎用性の高い理念だが、「羽田野音夢を助けたい」という願いが、なぜこのような形で現れたのか分からない。だが、これがその願いを叶える上で最適な形なのだろう。


「もう、身体は大丈夫そう?」


「うん。さっきまでが嘘みたいに楽になった」


「じゃあ、城まで向かおうか。その途中で、試せるようであれば理念を試そう」


「そうだね」


 彼女が立ち上がった瞬間に、静寂を裂く笑い声が響いた。


 思わず振り返ると、そこには先程までの住宅街とは違う、中世の街並みが広がっていた。


「さっきまで、誰もいなかったはずなのに……それに、私の知ってる朝海じゃない……」


 何がどうなっているのか。四方を見回しても、見慣れないレンガ造りの家が軒を連ねている。所々に露店があり、歩く人たちはフィクションの中でしか見たことのないような服を着ている。


 再度、鳥に感覚を接続する。どうやら、この異常は町中に適応されているらしい。


 だが、町全てが中世の街並みというわけではなく、広い草原や荒廃した町というように、様々な空間が継ぎ接ぎされたように混在している。


 ただ、竜宮城だけは変わりがない。周囲を泳ぐ大型魚類も、依然として存在している。


「なんか、この風景見たことあるかもしれない」


「本当?」


「……やっぱり。最近ねむちゃんがプレイしたゲームの風景にそっくり」


「……どういうことだ?」


 羽田野の理念によって引き起こされたことは間違いないが、先程までの海とはまるで関係が無い。


 ゲームの世界で暮らしたいという理想を形にしたとしても、それでは様々な空間が混在していることの説明ができない。


 いや、違う。そもそも、羽田野の理念は「理想を叶える力」では無かった。


 山口が最初に言っていた。夢言水郷の理念は「夢と現実の境を無くす力」。


 これは、夢と現実が入り乱れたために起きた現象であるという訳か。だがそうなると、何故さっきまで普段の朝海区の街並みだったのかという疑問が残る。


「羽田野が、眠っているのか……?」


 彼女の理念は、眠ることで真価を発揮する。夢と現実の境目、という言葉を考慮すれば、十分にありえる仮説ではないだろうか。


 リボルバーを取り出して、臨戦態勢を取る。


 本体が眠っていると仮定した場合、この空間の改変は本体の無意識下で行われているということになる。そうなると危険だ。

 竜宮城に向かう道中で、何が起こるか分からない。攻撃的なオブジェが増えた可能性もある。


 なんにせよ、先程以上に警戒する必要がある。


「待って、もしかしてだけど……」


「ん? どうかした?」


 星野が周囲を見渡し、少々間をおいてから言葉を口にした。


「『いつもの朝海区の風景に戻る』」


 星野の理念が発動する。口にした言葉の通りに、周囲の風景が徐々に先程までの朝海区の街並みを取り戻していく。歩行人は消え失せ、賑やかだった町に再び静寂が訪れた。


 鳥を覗いてみると、星野の理念が町中に適応されているのが分かった。ただ一つ、竜宮城を除いて、朝海区は普段の姿に戻っていた。


「……強大だね」


 ただ一言で、町一つを変えてしまうほどの理念。理念はその願いを叶えたいと思う気持ちが強ければ強いほど、より強固で強大なものになるとわかっている。


 もしくは、口にした対象によって範囲が変動するタイプなのか。どちらにせよ、彼女の理念が強大なことには変わりない。


「理念に名前を付けないの?」


「あ、そうか。ねむちゃんも付けてたな……」


 星野が考えるようなそぶりを見せる。やがて決心したように顔を上げ、僕の方を見ながら宣言する。


「この力は、ねむちゃんを取り戻すための力。あっちが幻想なら、私は現実を見なきゃ。ねむちゃんの幻が実を結んで実現するように、私の力は幻実トゥルースだ」

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