第五節 白馬の姫
「いきなりだけど、何年生?」
星野が、ありえない、と言わんばかりの驚きの表情を浮かべる。意外と、感情が顔に出やすい人らしい。ますます、高嶺の花というイメージが崩れていく。
「今は高校二年生」
今度は、僕が驚きの表情を浮かべる番だ。今の流れからして答えてくれない、ましてや軽蔑の言葉を浴びせられる可能性すら覚悟していたというのに。
しかし僕は、そんな心情を表には出さず、勤めて冷静な雰囲気を崩さないようにする。
「驚いたことに年下か。僕は高三らしいからね」
「らしい……?」
そう、らしい。僕には、自身に関する一切の記憶がない。そのため、この名前は仮名にすぎず、年齢なども容姿などからの推察にすぎない。
一度、小鳥遊に頼ったこともあったが、彼女の理念ですら僕の情報を探せなかった。彼女はその時『君という存在の情報が、白紙のページのようだ……これは興味深い!』なんて、はしゃいでいた。
「過去の記憶が無いんだ。おそらく、縺れたことが原因で」
「そんな……じゃあ、ねむちゃんも……」
「可能性は低いけど、否定できない」
縺れは心への負荷から引き起こされる現象だ。縺れる時は、心の歪みが一気に解放されるため、身体への負担が大きい。地震発生のメカニズムをイメージするとわかりやすいだろう。
そのせいか、記憶が飛んでいる人が稀にいる。失う記憶の程度は人によって様々で、縺れた理由を忘れた彷徨者などもいる。そういう場合は、彰のような理念を使って理念を奪うことで強引に解決している。
「羽田野が何処にいるかとか、分かる?」
「……分からないけど、家にはいなかった。彷徨者になったって電話があったけど、それっきり。こっちからの連絡には反応してくれないの」
「そうか、いる場所の心当たりとかは?」
「ん~、数か所あるけど……」
「とりあえず、そこを回ってみよう」
「わかった。じゃあ、こっち。案内するね!」
星野が走り出す。それに置いて行かれまいと、つられて僕も走り出す。
星野と羽田野が通っていた小学校、中学校、一緒に遊んだ公園。思い出のある場所を順番に回っていくが、何処にも彼女はいなかった。
町中を歩き回っている最中も、町は嫌なほどに静かだった。最初は、自宅待機命令が発令されているからだと思い込んでいたが、どの家にも電気がついていないのはおかしい。はっきり言って異常だ。
まるで、この町に僕らしかいないような。それに、先ほどのサメなどの攻撃的なオブジェがいないことも気になる。
「本当に何処にいるんだ、ねむちゃん……」
公園のベンチに座って星野がぼやく。住宅街に囲まれた小さな公園だが、星野が小学生のころ、よく羽田野と遊んだ思い入れのある公園らしい。なんでも、砂場で街を作っていたらしい。……小学生が作るにしてはなかなかに高度だ。
それよりも、やはり地上を歩き回って探すには限界がある。このままでは、羽田野と出会う前に体力を消耗してしまう。
「……仕方ない、飛ぶか」
「……え?」
星野の手を取る。星野は困惑しているようだが、関係ない。
「幸願者、『もしも僕に翼があったら』」
「え、ちょ、うわぁ!」
星野と共に、空に舞い上がる。ある程度の高度まで上昇し、町を見渡す。
すると、町の外れに、この地区には似つかわしくない建物があった。赤を基調とした、宮殿のような建物だ。とりあえず、海の世界だから「竜宮城」と形容することにしよう。
竜宮城の周りには藻のような植物が密集しており、まるで森の中の様だ。サメや見たこともないような大型の魚類が、竜宮城の周囲を守るように泳いでいるため、このまま接近するのは危険だ。
町中に攻撃的なオブジェがいなかったのは、このせいか。
「星野、あの建物、元からあった?」
「いや、無かったはずだけど……歴史的な建物とかも無いはず」
「じゃあ、あそこだ。少し距離があるけど……僕の力ならすぐ着くだろう」
十中八九、「夢言水郷」こと羽田野音夢はあそこにいるだろう。場所がわかれば、あとは攻撃を仕掛けるだけ。
「……」
地面に降り立ち、横にいる星野に目を向ける。彼女は、僕の目線に首をかしげる。
「星野、君を縺れさせる」
「……え?」
「簡単に言えば、君を彷徨者にして、羽田野と戦ってもらう」
「なんで、私がねむちゃんと戦わなくちゃいけないの?」
それもそうだ。僕が戦えばいい。だが、激しく抵抗されるのが目に見えている。見ず知らずの人が「理念を捨てろ」だなんて、気安く言うなって話だ。流石の僕でも、理想を形にする理念に勝てる気はしない。
「僕より君の方が、彼女のことをよく知っている。君の方が、彼女に寄り添えるんだ」
「……そう、なのかな」
「心郷は、縺れの原因を解消することで理念と共に解消される。僕は理念を『奪う』ことでしか解決できないけど……君は、彼女の縺れた原因に心当たりがあるんじゃない?」
理念を奪うのは、あまり推奨できる方法ではない。やっていることは、鳥の羽をもぐようなもの。最悪の場合、新たに縺れさせる可能性がある。理念を奪うことが許されるのは、対象が記憶を失っていた時だけ。
「まぁ、無いって言ったら嘘になるかな……でも、確証はないよ?」
「それでもいい。……確認だけど、君を縺れさせても良いかな?」
「……良いよ。ねむちゃんを助けるためだし」
「ありがとう。羽田野と会った時、僕が君をサポートする。君は、彼女を救うことだけを考えればいい」
彼女に手をかざす。
「確認だけど、君は、羽田野を助けたい?」
「当たり前だよ。……ねむちゃんは、私の親友だし」
分かりきった質問か。だが、覚悟は口にすることによって、より強固になる。
理念が発動する。
『夢言水郷』領域内時刻、七月十七日六時十八分。
星野夏織が彷徨者となる。
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