第四節 おやすみの時間

 車を見送ってから、辺りを見回す。

 隕石が落下したというのに、周囲の建物や道路に目立った被害は無い。


 心郷外はもう九時になるというのに、まだ町は薄明るい。少し霞がかった町も相まって、まるで夢を見ているような気分だ。


 空を見上げれば、そこには視界の覆いつくすほどのクジラが悠々と泳いでいる。


「生体オブジェ……基本構造は、普通のクジラと大差ないか」


 腰からリボルバーを抜き、空のクジラに向ける。ただのリボルバーでは、あれに傷をつけることすら叶わないだろう。そもそもで、届かないかもしれない。


「それなら……幸願者シャーデンフロイデ瞬間転移テレポート


 理念を発動し、引き金を引く。


 クジラは、銃声とほぼ同時に光の粒子となって消えていく。


 届かないのであれば、体内に転移させれば良い。元は、その名の通り望んだ場所に転移できるだけの力だったが……なるほど、こういう使い方もできるのか。


 幸願者シャーデンフロイデ

 白澤柳の理念であり、他人や物体に理念を付与する力である。


 付与する理念は、過去に“実在”していたものかつ白澤柳本人が知っているものに限るが、対象を人為的に縺れさせることで、新たな理念を発現させることも可能である。

 物体に付与した理念は、白澤の意思で行使することが可能だが、他人に付与した理念に関しては干渉することができない。


「さて、とりあえず町を見て回るか……ん?」


 大通りの向こうから誰かがこちらに走ってくるのが見えた。

 よく見ると、何かに追われているようだ。


「え、サメ?」


 僕と同年代くらいの少女が、サメに追われて走ってくる。


「あ、そこの人! 助けて下さい!」


 走る少女は、こちらに気付くと同時に助けを求めてきた。


 どうやら、彼女はこの心郷のではないらしい。

 それもそうか。彼女が本体だとしたら、自身の呼び出したオブジェに追いかけられていることになる。なんと、滑稽なことか。


 僕は、もう一度リボルバーを構える。

 サメの数は二。彼女を挟んだ向こう側を撃つ。


「いいや、面倒だ。瞬間転移テレポート!」


 二発放ち、サメを分解する。


「災難だったね。君、大丈夫?」


 サメの消失を確認してから、肩で息をする彼女に声をかける


「まぁ、何とか……」


 胸元まで伸ばした黒髪に、整った顔立ち。まるで、学校の高嶺の花と言われても疑問を持たないような人物だった。


「助けてくれてありがとう……って、高校生?」


「そうだけど。君、ここの学生?」


 すぐ横の崩壊した学校を指さす。


「そう、ここの……え、学校壊れてる!」


 前言撤回。彼女が高嶺の花といわれたら、だいぶ疑問を持つような人物だった。いや、こういうギャップも、ありな人にはありなのかな。


「ちょうどいい。君、羽田野音夢って生徒のこと知ってる?」


「……知ってたら、どうするの?」


 彼女の眼が、一瞬で敵意のあるものに変わった。


「分かりやすいね、君」


 おそらく、彼女は羽田野と親密な関係にある人物。敵意を見せたということは、すでに羽田野が縺れたことを知っているのだろう。なら、特に隠す必要もない。


「僕はこの現象を解消しに来ただけ。彼女に害は及ぼさないよ」


「じゃあ、そのリボルバーは? 分かりやすく武器だし、分解したりしてたけど」


 僕が縺れた時から手元にあったリボルバー。


 特務省からは無機物オブジェに分類されて、「白紙はくし」と呼ばれている。


 なんで縺れたか、なんでリボルバーなのか。何も覚えてはいないけれど、このリボルバーには元から「消去」の理念が付与されていた。


 ブレザーの胸ポケットから、手帳を取り出す。特務省に所属している彷徨者の持つ、いわば生徒手帳のような物。それを開いて、彼女に見えるように持つ。


「特務国防省所属、白澤柳。政府の命令で、僕はこの心郷を解消しに来ただけだよ」


「んー、なんか納得いかない」


「僕ら特務省の目的は、発生した彷徨者による心郷の解消と理念の消失。彷徨者の抹消は含まれていないし、人殺しなんて御免だよ」


 この白紙リボルバーは、自分の理念の幅を広げられるから使っているだけで、人を殺すために使ったことは一度もない。


 いや、たった一回だけあったか。……覚えてはいないけれど。


 羽田野の知人ということならば、何とかして協力を仰ぎたいところだ。


「君、羽田野を助けたい気持ちはある?」


「それは……もちろんあるけど……」


「なら、話は早い。君は羽田野を助けたいけど、助ける力がない。僕はこの心郷を解消したいけど、……利害は一致している気がするけど?」


 彼女が黙って考えるそぶりを見せる。

 目線があちらこちらと泳いだ末に、僕の方に戻ってくる。


「確認するけど、あなたなら、ねむちゃんを助けられるんだよね?」


「あぁ、もちろん。僕はそのために来たといっても過言ではない」


「じゃあ、おねがい。私、ねむちゃんを助けたいの!」


「契約成立。よろしく頼むよ」


 僕は彼女に手を差し出す。


「うん。こちらこそ、よろしくね」

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