第四節 おやすみの時間

 車を見送ってから、辺りを見回す。隕石が落下したというのに、周囲の建物や道路は崩壊していなかった。願ったことしか実現しないのか、もしくは、理念が発現したばかりだから完全ではないのか。どちらにせよ、頭の隅にとどめておいた方が良さそうだ。


 空を見上げると、そこには視界の覆いつくすほどのクジラが悠々と泳いでいた。


「生体オブジェ……普通のクジラと大差ないかな」


 腰からリボルバーを抜き、空のクジラに向ける。ただのリボルバーでは、あれに傷をつけることすら叶わないだろう。そもそもで、届かないかもしれない。


「理念発動。幸願者シャーデンフロイデ、『理想到達リーチ』」


 放たれた弾丸は、頭上のクジラの腹部に到達し、クジラの体が雲のように消散する。自分の定めた目標を絶対に果たす理念だったが、なるほど、こういう使い方もできるのか。


 これが、僕の理念である幸願者シャーデンフロイデ。他人や物体に理念を付与することができる力だ。付与できる理念は、過去に存在していたものに限るが、対象を強制的に縺れさせることで、新たな理念を発現させることも出来る。


 物体に付与した理念は、僕の意思で行使することが可能だが、他人に付与した理念に関しては干渉することができない。


「さて、とりあえず見てまわるか」


 辺りを見回してみると、サンゴ礁やイソギンチャクが、木や草の代わりのように生えている。その周りを、色鮮やかな魚たちが泳いでいる。自宅待機命令のせいか、町は静かだ。僕の歩く音が、嫌なほどあたりに響く。


 ふと、大通りの向こう側から、何かがこちらに向かってくるのが見えた。距離が縮まるにつれて、それが人であると分かる。


「人……いや、え、サメ?」


 制服に身を包んだ女子が、サメに追われて走ってくる。


「あ、そこの人! 助けて下さい!」


 その子は、こちらに気付くと同時に助けを求めてきた。どうやら、彼女が本体・・ではないらしい。

 それもそうか。彼女が本体だとしたら、自身の呼び出したオブジェに追いかけられていることになる。なんと、滑稽なことか。


 僕はリボルバーを構えて、新たな理念を発動する。


「サメだけを対象にする……『歪愛ストーカー』」


 一発の弾丸が放たれ、彼女を避けてサメに着弾する。

 サメは、水の泡のように消えていく。


「君、大丈夫?」


「まぁ、何とか……」


 胸元まで伸ばした黒髪に、整った顔立ち。まるで、学校の高嶺の花と言われても疑問を持たないような人物だった。ここまで走ってきたはずなのに、息が上がっていない。


「助けてくれてありがとう……って、高校生?」


「そうだけど。君、ここの学生?」


 すぐ横の崩壊した学校を指さす。


「そう、ここの……え、学校壊れてるじゃん!」


 前言撤回。高嶺の花というイメージにそぐわないような性格の人物だった。いや、こういうギャップも、人によってはありなのかな。


「ちょうどいい。君、羽田野音夢って生徒のこと知ってる?」


「……知ってたら、どうするの?」


 彼女の眼が、一瞬で敵意のあるものに変わった。


「分かりやすいね、君」


 おそらく、彼女は羽田野と親密な関係にある人物。加えて、この反応から推測するに羽田野が縺れたことを知っている。なら、特に隠す必要もない。


「僕はこの現象を止めに来ただけだ。彼女に害は及ぼさないよ」


「じゃあ、そのリボルバーは? 分かりやすい武器だし、なんかサメを消してたけど」


 彼女にリボルバーを指さされ、僕はそれに視線を落とす。僕が縺れた時から手元にあったリボルバー。なんで縺れたか、なんでリボルバーなのか。何も覚えてはいないけれど、このリボルバーには元から「消去」の理念が付与されていた。


 ブレザーの胸ポケットから、手帳を取り出す。特務省に所属している彷徨者の持つ、いわば生徒手帳のような物。それを開いて、彼女に見えるように持つ。


「特務国防省所属、白澤柳。政府の命令で、僕はこの心郷を解消しに来ただけ」


 それでも、彼女は疑念のこもった視線を向けてくる。


「僕ら特務省の目的は、発生した彷徨者による心郷の解消と理念の消失。彷徨者の抹消は含まれていないし、人殺しなんて御免だよ」


 リボルバーだって、自分の理念を発動するための媒体であって、人を殺すために使ったことは一度もない。いや、たった一回だけあったか。……覚えてはいないけれど。


「君だって、羽田野を助けたいだろう?」


「それは……そうだけど……」


 拒絶する人間に無理に協力は仰がない。相手がただの一般人なら、そうしていた。だが、相手は、羽田野と親しい関係にある人物だ。この機を逃すわけにはいかない。


「君は羽田野を助けたい。僕は、この心境を解消したい。僕たちの利害は一致していると思うけど?」


「ん~、わかった。状況が状況だし……正直、私だけじゃどうしようもなかったから」


 彼女は、仕方がなくという雰囲気ではあるが、警戒は解いてくれようだ。彼女の為にも、この選択が間違いじゃなかったと思える結果を約束することにしよう。


「ありがとう、協力感謝するよ」


 僕は、彼女に右手を差し出す。


「改めて、特務省所属、白澤柳だ。よろしく頼むよ」


「羽田野音夢の友人、星野夏織ほしの かおり。こちらこそよろしくね」


 彼女が、僕の右手を握る。握手をして、僕らは一時的な協力関係を結んだ。

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