第三節 白馬
「六時四十二分頃、
オールバックにスーツという堅い恰好をした
椅子に座った白澤は退屈そうに、けれどもしっかりと話を聞いていた。机の上には伊藤が読み上げているものと同じ資料が置かれ、彼はそれに目を通している。
「対象の理念は?」
「はい。
「……
「彰さんは現在、別の案件を対応中でして……」
「ちなみに、なんで僕?」
「はい。現在手の空いている彷徨者の中で、実力者があなただけだからだそうです」
溜息をつく。特務省の人手不足には、つくづく嫌気がさす。
「なんだか、てきとーだね」
「そう言われましても、私には成す術もありません」
席を立ち上がり、椅子にかけてあったブレザーを羽織る。特務省に所属した彷徨者には、専用の制服が配布される。灰色を基調とした、どこかの学校にありそうなデザインになっている。
「仕方ない。僕がやるよ。おそらく、それの方が最善で確実だ」
「ありがとうございます。送迎は私が務めます。……何か、用意する物はありますか?」
「じゃあ、あのリボルバーを」
「分かりました、用意します」
伊藤が部屋を出て、備品を取りに行く。残された僕は、机の上に置かれた資料をゴミ箱に投げ入れる。
部屋の隅に置かれた姿見の前に立ち、ネクタイと髪型を整える。制服と同じように灰色の髪に、前髪の間から覗く薄い碧眼。
政府の政策のおかげで、心郷の発生数は確かに減少した。だがやはり、一つ一つの被害の規模が大きいことは変わらない。心郷に対応できるのは、この国では特務省だけだ。
現在、特務省に所属している彷徨者は三十五名。心郷の規模によっては、複数人での対応が求められるため、どうしても人手が足りない。それに、特務省所属の彷徨者は心郷処理を主な仕事とする中で、何もないときは一種のカウンセラーのようなことも行っている。蛇の道は蛇。縺れている人だからこそ、悩んでいる人の気持ちを理解できる、ということらしい。
「……彷徨者が生まれないように、改変できれば良いのに」
この世の摂理を改変する理念なんて、今まで見たことも聞いたことも無い。今回の理念でも、恐らく叶わないだろう。
しばらくして、伊藤が部屋に戻ってくる。そのまま駐車場まで案内され、朝海区に向かうことになった。
〇
「現在、朝海区全域に自宅待機命令が発令中。地区内への一般人の侵入は特務省の職員、機動部隊によって制限されています」
特務省本部から車で移動すること、およそ三十分。街路樹の並ぶ道を車で走行しながら、伊藤が現在の状況について話し出す。
「オブジェは?」
オブジェとは、理念の影響によって生じた物品や生物などを幅広く指す言葉である。生体オブジェ、無機物オブジェなどのように使うこともある。
窓の外に目を向ければ、光の粒子が舞い、夢見心地な雰囲気の街が広がっている。ふと、上の方から下りてきた魚が車と並走するように宙を泳ぐ。
「理念によって生じた海洋生物は、その影響下でないと生存できないようです」
「……幸いだね」
「彷徨者となったのは、区内の高校に通う二年生、羽田野音夢という生徒です。」
特務省に、博識の彷徨者である小鳥遊
「天真爛漫で、悩みなどなさそうな子であったそうです。」
博識なら縺れの原因について教えてくれれば良いのにとも思うのだが、同じ負の力であるために知ることができないのかなと、僕は勝手に納得している。本人に聞いたことは無い。
「そういう人ほど、悩んでいるものだよ」
「そうですね。……あなたにも言えますが」
人によって悩みの許容量は差がある。度重なったいじめなどで縺れる人もいれば、たった一回の無視で縺れる人もいた。悩んでいる人、縺れそうな人は外見だけでは判断できない。
「目的地に着きました」
伊藤が、車を路肩に止める。
車は、羽田野音夢が通っているという高校の前に止められた。当の学校は、見るも無残なクレーターを残して崩壊していた。
「隕石が落下した様です」
「あの冗談を本当にする人いるんだね……」
「申し訳ないですが、対象を探すところからが任務です。通信機を渡しときますので、何かあったら連絡を」
「わかった。運転ありがとう」
車を降りる。
「白澤柳、これより任務に当たらせてもらうよ」
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