第二節 眠り姫
特にやることもない私は、寝坊しない方法を考えることにした。
時間になると水が顔に掛かる装置だとか、布団が吹っ飛ぶ装置。
「だめだ、どれも現実的じゃない……」
てか、スマホで調べればいいじゃん。
寝て起きる。その行為自体は、誰にも咎められるべきではないと思う。だって眠くなるのは生理現象だし、生きていくためには必要なことだ。
それでも、時間はそれを許してくれない。時間があるから、寝坊があるんだ。
「休みだし、いったん寝よう……」
ベッドに横たわってスマホを開く。検索フォームに寝坊しない方法、と入力して検索をかける。すると、多くの解決策が表示される。
カフェインを取り過ぎない、適度な運動をする……寝る前にスマホをみない。
私はスマホを閉じて、天井を見つめる。いざ眠ろうと思うと、案外眠れないものだ。目を閉じて、一から百を数える。一、二、三、四、五……四で規則性がなくなるなぁ。
気が付けば、私は眠っていた。次に起きた頃には、太陽はもう沈んでおり、空の藍色が濃くなっていた。もう、夜が訪れている。
「夜か……嫌だなぁ、また明日が来る」
明日は明日の風が吹く、そんな訳が無いのに。明日だとか今日だとか、そんなの人が勝手に決めた区分だろうに。
寝坊することは、日を増すごとにストレスになっていた。先生に怒られることも、寝坊したことをいじられるのも。それよりも一番、寝坊する自分が嫌で仕方がない。
寝坊しないように色々考えているつもりだが、寝坊する理由が分からないから、改善のしようもない。
「あーあ。……時間なんて、無ければいいのに」
天井を眺めながら、静かな部屋に呟く。
突如、心臓が高鳴る。
胸を締め付けるような息苦しさに見舞われると、続いて、自分の体と意識が離れるような浮遊感が私を襲う。意識が遠のいていくのを感じ、私は思わずベッドから飛び上がる。
すると、さっきまでが嘘かのように、身体の異常は無くなっていた。手を開いても、足踏みをしてみても、特になんともない。上がった息と流れる汗が、先ほどを現実だと言っている。
喉の渇きを感じた私は、それ以上考えるのをやめてリビングに向かうことにした。
リビングには誰もいなかった。時計を見れば、十一時をまわっている。お母さんもお父さんも、もう眠りについている時間だ。机の上には、ラップのかかったご飯が並んでいた。今日はハンバーグなんだ。
ふと、自分が今日何も食べていないことを思い出す。そういえば、今日は一日中寝ていたんだった。
「いただきます」
席に座り、ラップを剥がしてハンバーグを口にする。冷めているが、十分美味しい。温かかったら、もっとおいしいかっただろう。
「……ごちそうさまでした」
話す相手のいない、黙々と食べる食事は、いたって質素なものだった。思い返せば、ハンバーグがどんな味をしていたのかすら既に薄れ始めている。
食器を流しに置いた私は、水を一杯だけ飲んで、また眠ることにした。
目を覚ました時、スマホのアラームは鳴っていなかった。スマホに手を伸ばして、時間を確認する。
「遅刻じゃ、ない」
六時十三分。今から準備すれば、絶対に遅刻しない。
けれど、私は学校に行く気になれなかった。遅刻しなくても、一昨日みたいにいじられるからだ。
今日は、いじられないかもしれない。でも、そんな保証はない。それでいじられたら、結局嫌な気持ちになる。
カーテンを開けると、澄んだ青い空が広がっている。窓を開ければ、夏にしては冷たい朝風が部屋に吹き込む。気分が、少し晴れる。それでもまだ、学校に行こうとは思えない。
「本当に、この世界が夢の中ならなぁ。こんな思いしなくて済むのに」
そう溢した途端、空が七色に光り出す。太陽の光でもないその光は、稲妻のように空を駆けまわり、町を照らした。しばらくすると、空の七色の光は消えた。代わりに、町の中を七色の光が埃のように漂っている。
「これは……」
最近、ニュースで似た現象を見たような気がする。
「もしかして……私、
縺れた人は、時として超常的な力である
昨日のあの感覚は、縺れた影響だったのか。そう考えると、この現実離れした現象も納得できる。
「私、彷徨者になったんだ」
口に出して、妙に納得できる。そうだ、私は
「これで、世界は夢の中……」
私は空に手をかざす。見えない何かを掴むように、自分の理想を描くように。
「学校に、隕石が降る!」
言葉の後、空に数多の星の光が現れる。その光が徐々に赤みを増していく。時間と共に大きくなっていく光は、ものすごい音と共に、落ちた。落下の衝撃が、轟音と共に伝わってくる。
窓から体を出して学校の方向を見ると、黒い煙が登っているのが見えた。
「これが私の理念……」
納得は出来ても、理解はできていなかった。でも、それでいい。私はこの瞬間を、この理念を享受しようと決めた。嬉々として、私は口にした。
「私の背中に翼を! 空を駆ける、白くて綺麗な翼を!」
背中に、白鳥のような純白の翼が生える。羽ばたき、部屋の窓から外に飛び立つ。風を切りながら、一気に上空に到達する。
「綺麗……世界が綺麗だ!」
足元の景色は、光の粒子も相まってこの世とは思えないほど綺麗なものになっている。
「光の蝶に……そうだ、空飛ぶ魚たち! この世界を夢のように彩ろう!」
途端、空が歪む。漂う光は蝶を象り、
近くに来たクラゲに触れると、確かな感触が帰ってくる。
「そして、極めつけはっ!」
指を鳴らす。多分、こんなことをしなくても力は発動するだろう。
でも、やっぱり形が大切でしょ。
私の世界に、夜はいらない。朝のまま時間が止まってしまえば夜は来ない。
――夜が来なければ、明日は来ない。
彼女の領域は、朝で閉ざされた。
七月十七日六時十八分、羽田野音夢は彷徨者となり、
そして、同日六時四十二分。特務省が彼女の存在を認知。彼女の
――一方、隕石落下と同時刻。
「どう、なってんの?」
窓から外を眺めて唖然とした。地鳴りのような轟音と共に目を覚ましてみればこの在り様。辺りには七色の光が漂っており、光っている蝶や魚が泳いでいる。
「何が、どうなって……」
頭の中を、色々な考えが巡る。だが、その全てが現実味を帯びていない。いや、今目の前で起きている事象自体に現実味がない。考えすぎか、頭が痛くなってくる。
これは、夢なのかもしれない。だが、私の願いに反してつねった頬が痛む。
「いや、嘘でしょうよ……」
衝動的にスマホを操作し、親友に電話をかける。四コール目で、相手は電話に出た。
『どうしたの、夏織』
「ねむちゃん……外見た?」
『うん、すごい幻想的でしょ? この世界』
「うん本当に、じゃないんだよ。おかしいでしょ、まるで夢の世界……」
『うん、夢の世界だよ』
「……さっきからどうしたの、ねむちゃん。なんか、おかしいよ」
『これ全部、私がやったから。まぁ、最初は驚いたけどね』
とんでもないカミングアウトをされた。気分は、推しが結婚を報告したそれと同じといっても過言ではない。何を言い出したのか、一瞬頭が理解を拒む。
『私、縺れて彷徨者になったんだぁ』
「……彷徨者って、あの彷徨者?」
超常的な力を持った人。あの「原点回帰」を起こしたのも、同じ彷徨者だ。
『そうそう、その彷徨者。私のは
言葉が出ない。この光景は、彷徨者になったねむちゃんがやった。自然と私は、通話を切っていた。
おもむろに制服に身を通す。学校は、無いと思う。学校に行くために制服を着るわけじゃない。制服を着ると、気持ちが引き締まる気がするから。スマホと財布を肩掛けバッグに入れて、家の外に出る。
すると、聞いたこともないような音が響く。ふと顔を上げると、空に何かが飛んでいる。
「え、クジラ……?」
いや、泳いでいた。空を覆うほどの大きさのクジラが、空を泳いでいた。
「本当に、夢の世界なんだ……」
ねむちゃんの言っていたことは本当だった。
けれど、戻るわけにはいかない。私にはやらなければいけないことがある、そんな気がするのだ。
「とりあえず、ねむちゃんを探そう」
非現実的な状況に置かれた私は、何故か冷静だった。私の中にあったのは、ただ一つ。友人を想う気持ち、それだけだ。私は、ねむちゃんの家の方向に走り出す。
私が行ったところで、何もできないかもしれない。それでも、会うだけで何かが変わるはずだから。
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