第18話

『第2次長州征伐』とは、その名の通り文久元(1861)年8月に長州藩は朝廷によって長州征討を命じられた事に対する報復を行うべく京都にいた西軍7藩の軍を将軍・徳川家茂の名の下に結成し幕府側に攻め入った武力弾圧の事を言う。

(この史実における桂さん達が京都でやろうとしている事はある意味、藩同士の潰しあいとも言えるかもしれない)


「長州藩邸で匿われていた桂君の弟子が何者かに拉致されたらしい」

「英君がですか!」

そんな久坂の言葉に対して河上は反射的に反応してしまったのだ。

そんな河上の表情の変化を見逃さなかった松蔭はここぞとばかりにこう告げた。

「私の記憶が正しければ確か長州征討における口実の1つとして長州藩邸にいた少年を捕えた筈だが・・・まさかとは思うが・・・」

この松蔭の一言で、久坂は英が薩摩(鹿児島)にいた時に命を落としかけているという事を思い出しながらこう問いかけてしまった。

「まさかとは思いますがその少年をさらった連中というのはもしや薩摩と組んでいるとでも?」

しかしそんな久坂の発言に対して河上は思わず口をついてしまったのだ。まるで肯定しているかの様な発言を口にしたのである。

「・・・だとしたら」

そんな事実を知らなかった桂は


「しまった」


という思いを抱きながらもつい言葉を発してしまう。

そして堰を切ったかのように今度は井上がこう告げたのだ。

「だとしたら事は急を要す!英君が無事であれば良いが最悪の場合命を落としているかもしれん!」

そんな訳で桂と久坂による口論を、松蔭の機転により回避する羽目になってしまっていた・・・。

6月5日、午後15時半頃・・・京都西町奉行所。

その役宅の前では久坂玄瑞率いる暴徒達がいた。

(何だ、これは・・・)

役人達はその光景に戦慄してしまう程だった。

とある番兵がこう漏らすのも無理はない事だったろう。

「なんだこいつ等は?」と・・・。

そんな混乱を極める中にあって冷静に対処しようとする者も存在した。

西町奉行・脇坂安董(わきざかやすただ)である。

しかしいくら冷静さを保とうとしても奉行所にいる全ての者達には為す術がないのだ。

そんな様子を冷静に……とは言い難い様な感情を持ちつつも眺めてる者がいたのだ。

それは言わずもがな松蔭の事を


「先生」


と慕って止まない長州藩士・井上聞多であった。

『脇坂安董』とは、文久2年(1862)に誕生し幕末・維新で活躍した長州藩士である。

実父の代から尊王攘夷思想を持っており第3代藩主・毛利元敏の時代(文久2年頃)に佐幕派と目される人物を藩内に集めた『御楯組』を組織し反藩の動きを見せたが藩主の父である毛利敬親からの信頼を勝ち得ず失敗してしまう事になってしまう。

(しかし結局この事件については元より彼の意思かどうかは不明なのだが)

そんな脇坂は井上とは因縁深い関係でもある。

それもそのはずで、何といっても脇坂安董は後に初代・京都所司代に就任し徳川幕府を事実上支えた重鎮となっていた程の人物なのだ。

そんな松蔭との関係もまた久しく途絶えていたものだったが、事態は一刻の猶予も許さない状況にまで達していた。(急がなければ!)

そんな思いを抱えながら、井上は混乱の渦中にある奉行所へと足を踏みいれぬ事を決意したのだった。

「まさかと思っていたが英君がいなくなったというのは本当なのですか!」

この桂の発言に松蔭が答えたその内容とは以下の通り。


長州藩邸にて英が突然姿を消したことから始まる長州藩邸における政変の経緯を簡単に説明すれば、こうまとめられる。

第10代藩主・毛利斉元の死去によって第11代藩主となったのが毛利元徳なのだが、元徳には5人の養子がいる。

それが桂家の実子でもある継高・文左衛門(本当は万延元年に前名・直方孝)

久坂家の次男で養子となった子貞・左馬之介と後の内閣総理大臣である伊藤博文などだ。

彼等はいずれも幕府の公金横領に関わった罪で永牢(終身刑)となっており、先に述べた毛利元徳が残した遺書から自身の死後は領地を継高に継がせ桂家に対し感謝の言葉を綴った『桂預言』を記した事から幕府よりの厳しい目が向けられている状態となっている。

それはつまり・・・桂は当時の幕府にとって悪い意味で目立つ存在として見られた事を意味していたという事でもある・・・。

そんな長州藩邸で起こった政変とは、幕府が英の捕縛命令を出した事によって幕が開く事になったと言えるかもしれない。

当の桂はと言うと藩の政治の事など全く考える様子もない自分の師である松蔭からそんな言葉を聞かされると耳を疑ってしまう様な気持ちに陥ってしまったのだ。

(何て事だ・・・)

そんな感情が表に出てしまっていたのか松蔭にこう指摘される。

「納得しかねるといったところかな?」

まるで心の中を見透かすかのような松蔭の発言に桂は多少なりとも驚いた表情を浮かべてしまったのだが、そんな桂の様子を見た松蔭はさらに言葉を続けた。

「よいか?今から話す事は紛れもなき事実なのだ。だからそれをよく頭に入れた上で聞いてほしい」

そう言って語り始めたその内容を長々と記述する必要はあるまい・・・簡潔に言うとこうだ・・・。

第11代藩主である毛利元徳(実はこの時、まだ藩主じゃないのだが)

↓ 幕府に対して長州藩の隠密を使い英の行方を追うよう指示 ↓ 第10代藩主である毛利斉元に松蔭・周布の両名を寄越すよう書状を送るが無視される。

↓ 第11代藩主には当時14歳だった正室の末の弟の孝子を養子とする形で後継ぎにする旨を伝え了承を得る。

(年齢からしてもまだ藩主に就任することは無理だったのだ)

↓ 第10代藩主毛利元徳が暗殺される ↓ 第11代藩主になるはずだった毛利斉元は藩主就任と同時にすぐに隠居する。(そうしなければならない程の怪我を負わされていたので当然とも言えるのだが、同8月に幕政へ発言を始めた後に急死してしまう)

(松蔭は生涯に一度たりとも治る事はなかったとされている健康な体を急に患った事による死としている)

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